↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死寸前だった営業マン、幽霊を味方に成り上がる  作者: ゲンタ
第1章 ミナト精密パーツ 営業マン

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/39

第22話 ああいう女性は——組織を腐らせる毒花です

「はぁ……」

朝のすっきりした目覚めはいつ来ることやら。


(なんで……ため息を?) 

退職届を出したのに、すっきり気分じゃないのには理由がある。

引き継ぎ作業だ。


あの職場のことだ、どう考えても、すんなりと退職とはいかないはずだ。

それが今日から始まだろう。

「ふぅ——」


いつものように、スーツ姿の古谷さんが、テーブルの椅子からこちらを見ている。

「田中さん。ため息はやめときましょう。今日から、引き継ぎ作業が始まりますね。もちろん無視も拒否もできます。ですが、あなたは、そうしたくないんでしょ」


「基本、揉め事が嫌ですからね。やはり円満に退社したいです」


「田中さんならそうでしょうね。今まで押し付けられてきた仕事量が多いだけに、さぞかし引き継ぎは大変だと思います」


(自業自得とはいえ、いろんな案件に顔を突っ込んでいるからな)

靴紐を結びながら、大きく息を吸って家を出た。


「いってらっしゃい」

その背中を古谷さんが、優しい笑顔で見送ってくれた。


***


出社すると、すでに社内はざわざわしていた。

昨日の『荒木課長による部長殴打事件』が会社中に広がっているためだ。


廊下を歩くだけで視線を感じる。

ヒソヒソ話が耳に入ってくる。


「荒木、終わったな……」


「よりによって、部長を殴るか……」


「荒木——飛ばされるって……」


「いや、辞めるって聞いたけどな……」


(自業自得だろ)


席に着いた瞬間、背後から部長の声が飛んできた。

「田中くん。昨日出した退職届の件だけどな。確認するが——このまま処理を進めていいんだな」


(荒木の無茶振りを、見て見ぬふりをしてきたくせに。『いいんだな』ってなんだよ——いいに決まってるよ)


俺は一度だけ息を吐き、後ろを振り返って答えた。

「はい。退職でお願いします。ご迷惑をおかけします」


「そうか。君の意志を尊重しよう。引き継ぎはしっかりと頼むぞ」


「もちろんです」


部長は淡々としていたが、その目の奥には『こんなことで辞めやがって、俺が若い頃なんて——無茶振りなんて常識だったのに』という色が浮かんでいた。


それを見た瞬間——。

(やっぱ辞めて正解だった)

と心の底からそう思った。


***


午前中から、俺の机には、押し付けられていた案件が、まるで催促状のように次々と積み上げられていった。

(これは、引き継ぎ資料の作成じゃないよな)


「田中くん、これ、やりかけだったよな? 最後まで仕上げてから辞めてくれ」

そう言って無造作に付箋付きの書類が置かれる。


・担当顧客リスト 21件

・見積案件:未完了12件

・納期調整案件:8件

・クレームフォロー:3件

・新規営業開拓プラン:A4ファイル×2冊

・過去の議事録データ整理:数十ファイル


どさくさ紛れに、新規案件も混じっている。

(俺がやるべきは、引き継ぎリストなんだけどな)


辞める人間に、どんどん仕事が振られてくる。

(この職場——いや、ここにいる社員、どうなってんだ)


古谷さんがぼそっと言う。

「田中さん。これは、いじめに分類されますね。真面目な人ほど、生きづらい世の中というわけです」


「最後だから、円満に退社したいとは思いますけど。この書類はちょっと」


そこへ——現れた。

「おはよう、田中くん」

(なんだ、この化粧品臭いにおいは——)


お局様・西垣にしがき

社内の裏ボス。


入社25年オーバー。

社内掌握力は社長の次、社員からは『西垣さんに嫌われたら、会社にいられなくなる』と恐れられている。

最凶、最悪のおばさんだ。


「退職するんだから——最後くらいは、しっかり貢献してもらいたいものね」


机にさらに書類をドサッ。

「これもお願いできるかしら? あなた——荒木さんが、ずいぶんと目をかけていたみたいだけど。荒木さんには、ちゃんとお礼を言ったのかしら」


(『目をかけて』じゃなく『目をつけて』が正解だけど)

(お礼どころか——二度と会いたくない)


小早川さんが心配そうに近づいてくる。

「田中さん——これ、多すぎません? 私も手伝います」


「いや、小早川さんは自分の仕事を……」


「私、理不尽なのが嫌いなんです。田中さんばかり損するの、見てられません」

真剣な顔で見つめてくる彼女。


その瞬間——西垣の目が細く、鋭くなった。

「小早川さん。あなた、そういうの——誰に教わったのかしら」


「え——なんのことですか……?」


「男に媚び売って——仕事減らすタイプに勘違いされるかもよ」


空気が一瞬で凍りついた。

(この人、なんで、こんなことを)


古谷さんの声が聞こえてきた。

「田中さん。あのお局さん、男性社員から人気のある女子社員を、徹底的に追い詰め、退職に追い込むのが趣味だという噂です」


(西垣さん、なんのために会社にいるの——)


***


昼休み。デスクでコンビニおにぎりを食べていると、また西垣が現れた。

「田中くん。荒木さんね、あなたの退職を『ショック』だと言っていたわよ」


(そんな訳ないだろ——喜んでるだろ……絶対に)


「『田中は——俺に気を使って辞めるんじゃないか……』ってね」


(こいつ、荒木のセクハラを『小早川さんに対する、男二人の恋バトル』にすり替えようとしているのか)

(小早川さんを追い詰める気なんだな)


小早川さんも意図を理解したはずだ。

顔を伏せ、小さく震えている。


西垣は冷ややかな声で追い打ちをかける。

「癒し系とか言われて、いい気になって。あなたが媚を売って歩くから——課長が勘違いしてしまったんじゃないの!」


(課長のセクハラ——ひょっとして、こいつの仕込みか)


俺の中でなにかがカチッと音を立てた。

「西垣さん。そんなことはないと思いますけど」


(本当は、もっと強く言いたいけど——ここまでか)


「どういうことかしら? 私は事実を伝えているだけだけど」

反論なんか聞かないわという態度で、彼女は去っていった。


(どこまで意地が悪いんだよ)

残されたのは、食欲の消えた俺と、沈んだ小早川さんだけ。


古谷さんのため息が聞こえてきた。

「田中さん。ああいう女性は——組織を腐らせる毒花です」


(この会社って——こんな地獄だったのか)


***


午後も引き継ぎ作業という名の、仕事の押しつけはとまらなかった。

だが、小早川さんは俺を助け続けてくれた。

コピー、資料整理、顧客データのまとめ。


「田中さん、本当に辞めるんですか……?」


「うん、まあ……」


「私、田中さんがいなくなると——会社にいても、つまらないです」


ドキッとして、思わずペンを落としかけた。

(いや、そんなストレートに)


「それに、荒木課長も、もうすぐいなくなるかもしれないわけですから、辞める理由は、もうないのでは?」


「いや、まあ、それは」


言葉を探していると、小早川さんが続ける。


「今度の日曜日、時間ありますか?」


「えっ」


「もしよければ——水族館、アクアパーク品川に一緒に行きませんか?」


心臓が跳ねた。

彼女はうつむきながら、しかし耳まで赤い。


「もちろん——行きます」


「よかった♡」


***


定時を過ぎても書類は減らない。

そして——20時、ようやく帰れる状況になった。


古谷さんが現れ、ぼそっと言う。

「田中さん。彼女と急速に距離が縮まっておりますね」


「部屋に戻ったんじゃないんですか。やめてくださいよ。プライベートに関わってくるの……」


「また来ちゃいました。いやあ、デートとは青春ですねえ」


「その言い方、絶対ついてくる気ですよね。来ないでくださいよ!」


古谷さんが残念そうに言った。

「行きませんよ。私はあなたの人生を邪魔したりしません。でも、小早川さん——いい娘ですね」


「まあ、それはそうですけど」


「ところで、田中さん。あなたの会社の裏の問題——だいぶ見えてきました」


「裏の問題ですか」

(そういえば今日、やけに総務や人事の連中が落ち着きなかったな)


「はい。今日、人事の一部が不自然にざわついていました。内部告発があったのかと思いましたが、どうやら違いました」


古谷さんの表情が、どこか重い。


「どうも、親会社から調査員らしき人が、人事に配属されたみたいです」


「調査員ですか」


「建前は、親会社との人事交流ですけどね。温和な雰囲気ですが、仕事のできるタイプに見えました。田中さん。親会社から極秘で調査が入るということは、なにか起こるかもしれませんよ」


俺は背筋が、ぞくりとした。

(なんだ——なにが起きてるんだ……)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。