第15話 株価と心拍数は連動するのです
寝不足なのに、目だけは、ぱっちり覚めてしまう。
社畜の習性というやつか。
(便利だけど、悲しい。ひたすら追い立てられる社畜さんだよ)
ベッドの上でスマホを開く。
株アプリの情報欄に『今月の期待の注目株——A社!』という記事が出ていた。
(おぉ——これはファンドの仕込みと関係した記事なのか)
記事には、次世代チップ関連の期待、業績の回復、外国人投資家の流入など——古谷さんと潜入した会議で説明された内容が、そのまま並んでいた。
(これで、株価は動くのか? 勝利なのか? もう嫌だこんなに心が揺れるのは)
「おはようございます。今日も早起きですね」
振り向くと、古谷さんがスーツ姿で立っていた。
ネクタイもきっちり締まったままだ。
「今日も、これからネットカフェに行くのですか?」
「はい。経済ニュースや、為替、米国十年債、SP500の動きを、チェックをしておこうと思いまして」
「幽霊が、ネットで情報検索。なんかシュールですね」
「社会は常に動いています。真面目な情報収集を怠れば、株には勝てませんから」
「古谷さん、いつもスーツですけど、他の格好にも変えられるのですか」
「できますよ。でも——身なりはきちっとしたいです。そうでなければ、真面目な心が乱れてしまいます」
「なるほど、古谷さんはスーツが似合っていますからね。ところで、どこでも通り抜ける幽霊が、キーボードを打てるのですか?」
「私、ものすごく短時間ですが、他人に乗り移ることができるんです。便利でしょ——! 憑依した人に、高速でキーボードを操作してもらうわけです」
「俺に乗り移るのは、絶対禁止ですからね——絶対ですよ。約束ですよ」
「もちろんです。お約束します」
(古谷さん、俺のために頑張ってくれてるんだ。すばらしき幽霊との出会いに感謝)
***
会社に着くと、俺のデスクに、いつものやつが山のように積まれていた。
報告書、営業資料、会議の下書き——全部『田中くん、よろしく』の付箋付き。
(どの付箋も同じ文字——余計に腹が立つ。せめて依頼内容くらい書けよな)
課長の荒木が、腕を組んでこちらを見下ろしていた。
相変わらずだ。嫌な奴。
(仕事を押し付けるのが、自分の仕事だと思っている)
(この会社の管理職教育では、そういう指導をしているのかな)
「お、元気になったじゃないか。待ちくたびれたぞ。田中くんがいないと始まらないから、な!」
コーヒーに口臭を付加した息が、とにかく臭い。
(『始まらないからな!』の、“な”のところ、妙に力を込めるの、止めてほしい)
(息もどうにかしろ)
「え、はぁ、ご迷惑を……」
(なんで俺は『ご迷惑』なんて。これだから俺はダメなんだよ)
「田中、風邪だったんだよな? 体が弱っているかもしれないから、軽めにしといた。よろしく頼むぞ」
机の上に置かれたのは、軽めどころか山盛り案件の資料。
(はい出た、課長の軽めという名の地獄コース。俺、病み上がりってことになってるはずだけど)
「古谷さん、近くにいないかな? 励ましてほしいな。心が沈没しそうです」
すぐに、古谷さんの声が聞こえてきた。
「逃げても資料は減りません……」
(優しさゼロの正論、ありがとうございます)
***
午前9時。
メールチェックを装いながら、机の下でスマホの株価アプリをこっそり開いた。
相場が始まると、A社は寄り付きから+1%、さらに+2%上昇した。
(おぉ——戻ってきとるではないか)
昨日の終値から一気にプラス域。
画面の数字がじわじわと上へ伸びる。
「順調ですね。ファンドの買いが入り始めています。大きな陽線が立てば、明日辺り、買いイナゴが群がってきますよ」
俺は、ぼそぼそと呟く。
「たった数%なのに、こんなに気分が違うものなんですね」
(地獄と天国を行ったり来たりで、心臓に悪い)
「株価というのは感情の温度計です。株価と心拍数は連動するのです」
(確かに健康に悪そうだ)
(寿命削って、古谷さんの横で幽霊になっていたりして——笑えないな)
***
昼休み。
社員食堂でカレーを食べながらも、頭の中は株価のことでいっぱいだ。
小早川さんが向かいの席に座り、スプーンを持ったまま、俺をじっと覗き込んでいる。
「田中さん、やっぱり顔色悪いです。まだ休んでいた方がいいんじゃ」
「あ、いえ——ちょっと寝不足でして……」
「無理しすぎですよ。課長の案件、全部やっているんでしょ? 山盛りでしたよ、資料が……」
「まあ、ついつい頑張ってしまうのが、俺のモットーですから」
「真面目すぎるのも考えものですよ——体を壊しますよ」
その言葉が、やけに胸に刺さった。
(真面目すぎると、いつか古谷さんと同じコースをたどるかも——なんてね)
古谷さんが横から口をはさむ。
「おぉ——癒し系美女さんですね。あなたの心配をしてくれるなんて、うれしいじゃないですか。やりますね田中さん」
「ちょ、聞こえたらどうするんですか!」
「いや、私の声はあなたにしか届きませんから」
「そういう問題じゃ……」
「田中さん、どうされました? なにかブツブツと」
「え? あ、いや、カレーが熱くて——ですね」




