第2話 異世界トウキョウ
目を覚ますと俺はベッドに寝ていた。
起き上がり、部屋を見渡す。
小さな部屋だ。
「俺はバンドを追放され、飲みすぎて水たまりで溺死した……」
前世の記憶はある。
そう、俺は神爺さんのおかげで転生した。
口に出すと恥ずかしいが事実だ。
戒めとしてしっかりと心に刻もう。
テーブルには見たこともないショルダーバッグが置かれている。
きっと俺の持ち物なのだろう。
中身を取り出すと、紙幣と硬貨、一枚のカードが入っていた。
「Fランク冒険者カードと書いてあるな。名前はヴィニーのままか。俺が冒険者になりたいって言ったから、気を利かせて冒険者にしてくれたんだろうな。そういや、サービスしてやるって言ってたしな」
神爺さんは、この世界をめちゃファンタジーと言っていた。
俺は部屋を出て廊下を進む。
階段を下りると、一階は酒場だった。
「二階が部屋で、一階が酒場だ。まさに異世界ファンタジーの宿屋って感じだな」
「お! お客さん、起きたかい。宿泊は一か月だからって、ゆっくりしすぎだろ。あはは」
カウンターのおっさんが話しかけてきた。
その内容から、ここは本当に宿屋で、俺はこの部屋を一か月借りているようだ。
神爺さんが色々と設定してくれたのだろう。
「えーと、俺は宿泊して何日目だっけ?」
「おいおい、昨日来たばかりだろ。まあ昨夜はめっちゃ飲んでたしな。記憶が飛んだか? あはは」
「そ、そうなんだよ。二日酔いでさ。わはは」
俺は酒が原因で死んだんだ。
もう酒はやめよう。
「金はどうしたっけ?」
「前払いで一か月分貰ってるよ」
「そうか。なら安心だ」
ひとまず、一か月はここに滞在できる。
俺は酒場を見渡した。
メニューの文字は読める。
会話も問題ないし、完全にこの世界にフィットしているようだ。
「ん? 鏡か」
鏡を覗くと、いつも見るおっさんがいた。
俺の容姿は前世と同じだ。
ってことは、年齢も三十八歳だろう。
「お客さん、冒険者なんだろ? ギルドへ行くって言ってたじゃないか」
「そ、そうだったな。えーと、冒険者ギルドはどこにあるんだっけ?」
「ここを出て、街道を左に進めばあるよ」
「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
宿を出ると、広い街道に面していた。
人々が往来し、馬車が通っている。
石造りの建物や木造の屋台が並ぶ風景は、まさに西洋風の異世界ファンタジーそのものだ。
「これだよこれ! ヨーロッパの風景! まあ本物の景色は知らんけどな。わはは」
俺は海外へ行ったことがない。
日本国内をライブツアーで回ったくらいだ。
ただ、金がなく、ボロい車で無理やり回ったから、観光などは一切していない。
「見てるだけでテンションが上がるぜ。まさか転生して海外に来ることができるとはな。異世界ってやつだが。わはは」
街を眺めながらしばらく歩くと、ひときわ大きな建物の前に出た。
石造りで四階建てだ。
看板を見ると『シモキタザワ冒険者ギルド』と書いてある。
「え!? シモキタザワ? いやいや、待てって……。でも、どう考えても下北沢のことだよな。どういうことだ?」
偶然の一致とは思えない。
「と、とりあえず入ってみよう」
扉を開けると広いスペースが広がっていた。
巨大ショッピングモールのフードコートのようだ。
ホールにはいくつものテーブルが並んでおり、奥にはカウンターと、大きな看板のような板が立ち並ぶ。
板にはクエストボードと書いてある。
「イメージ通りの冒険者ギルドではある。だけど、ここは下北沢なのか?」
まずは情報収集だ。
俺は受付で話を聞いた。
***
「ちょっと怪訝な目で見られたが、なんとか状況は理解したぞ」
俺はホールのテーブルに移動して、購入したコーヒーを飲む。
コーヒーは前世とほぼ同じ味で安心した。
受付嬢の話をまとめるとこうだ。
ここの地名はシモキタザワで間違いない。
俺はFランク冒険者になったばかり。
冒険者ギルドはいくつもの支部がある。
実力を上げれば、別の支部へ遠征することも可能。
郊外はモンスターが出没する。
さらに、今持っている金について聞いてみた。
俺の持ち金は十万エンだそうだ。
「エンって円だよな。物価もなんとなく似てる。コーヒー一杯百エンだったし」
そして、驚いたことに、この世界では冒険者パーティーのことを『バンド』と呼ぶらしい。
正直、音楽用語を別の意味で使用するのはめちゃくちゃ恥ずかしい。
「普通にパーティーでいいだろ。バンドってなんだよ」
だが、この世界にとってそれが当たり前のことであれば、慣れるしかないだろう。
ここでは音楽用語とは関係ないようだし、郷に入っては郷に従えだ。
「それにしても、地名といい妙に前世とリンクしている部分があるな」
俺は購入した広域地図をテーブルに広げた。
一枚千エンで、よく見るとトウキョウ地図と書いてある。
「ト、トウキョウってマジかよ……」
地形的に、前世の東京の地図とほぼ同じだ。
コーヒーを飲みながら、じっくりと地図を眺める。
「シンジュク、シブヤ、イケブクロ、アキハバラ。キチジョウジもある。地名も場所も位置関係も大体同じ……。これじゃあ……」
俺は瞳を閉じ、天井に顔を向けた。
「異世界感がないだろうよ……。海外の景色が見たいって言ったのに……。神爺さんは馴染みがあるって言っていたが、このことだったのか」
景色や建物は洋風なのだが、地名が前世の東京そのままだった。
「まあ来ちまったもんは仕方ないか。せっかくだし、のんびり異世界トウキョウ観光でもするか。前世でできなかったスローライフにチャレンジだ。はは」
バンドでのメジャーという夢がなくなったし、そもそも死んだんだ。
やりたいことは特にない。
神爺さんが言ったように、冒険者としてのんびりとスローライフを過ごすのもいいだろう。
俺は地図を眺めながら、現在地のシモキタザワ周辺を指差した。
そして北東へ指をなぞる。
「とりあえず、シモキタザワからシンジュクへ行ってみるか」
前世なら電車で数分。
徒歩でも約一時間の距離だ。
それとなく受付嬢に聞いてみたら、「徒歩ですか? 無理ではないですけど……」と馬車乗り場を案内された。
「もしかして、歩けない理由でもあるのか? そういや、郊外はモンスターが出るって言ってたな。さすがにモンスターは怖い」
俺はギルドを出て、街の馬車駅へ移動した。
路線図らしきものを眺めると――。
「な、なんだこりゃ!」
この世界ではシモキタザワからシンジュクまで、馬車で片道一日かかるという。
さらに、運賃は七千エンと高額だ。
イケブクロまでなんて馬車で二日だ。
運賃は一万三千エンと高すぎるし、シンジュクで一泊するという。
「確かに『西洋風な城や家』『無限に広がる大地』が見たいって言ったけど……。それを東京で再現しろって話じゃないんだよ……。神爺さん……」
地名に異世界感はなかったが、この広さはヤバい。
あの神爺さんの軽いノリを思い出した。
きっと今頃、してやったりとピースサインでもしているに違いない。
「馴染みはあるけど完全な異世界か。はは、おもしれーじゃん。神爺さん、俺はこの世界を楽しみながらやり直すよ」
俺はギルドに戻った。
***
今の持ち金では、高額な馬車代を支払うことができない。
となると、このシモキタで稼ぐしかない。
まあ、このシモキタ自体が恐ろしく広いってことなんだが……。
「ひとまずソロで行けるクエストを探そう」
俺はクエストボードを眺める。
だが、どれがいいのか全く分からない。
受付嬢に聞くことにした。
「すみません。Fランクで、お勧めのクエストを教えてもらえますか?」
「Fランクですか?」
「はい。一人で行けるクエストでお願いしたいです」
「お一人で……。そうですね」
書類の束をめくる受付嬢。
「あ、これなんかどうですか? 調査クエストです」
「調査ですか?」
「はい。廃墟の調査ですから、ソロでも可能です。場所もそう遠くないので、一日で終わります」
俺は受付嬢から書類を受け取った。
◇◇◇
【クエスト依頼書】
難度 Fランク
種類 調査
内容 廃墟レストラン『ガルデル』の現状調査
報酬 五千エン
◇◇◇
「現状調査で日給五千エンか」
Fランクだし妥当な線なのだろう。
気になる点は、命の危険があるかどうかだ。
「危険はないんですか?」
「そうですね。それを含めた調査ではあるのですが、先月の調査では問題はありませんでした。ですので、今回も安全なFランクでの依頼となります」
「分かりました」
「報告書をお渡しするので、それに調査結果を記入して提出していただきます。こちらが建物の間取り図です」
「ありがとうございます」
俺はクエストの手続きを終え、ロビーの売店で冒険者セットなるものを購入した。
いくつかの道具と、シモキタの地図がセットで五千エンだ。
いわば初心者セットのようなものだろう。
武器も購入しようと思ったが、剣は安くても一本数万エンだった。
今の持ち金で数万エンの出費は痛い。
クエストに危険はなさそうなので、武器は次回に回す。
「使う武器の種類も考えたいしな。ってか、そもそも武器なんか使ったこともないし、訓練しなきゃいけないか……」
クエストにかかる道具類は、全て自前だそうだ。
そのため、経費を安く済ませないと収益が減ってしまう。
「下手すりゃ赤字だよな。冒険者って個人事業主と同じ扱いなんだな」
冒険者は基本的にパーティーという名のバンドを組み、役割分担を決めてクエストを受注する。
通常は固定メンバーで行動するらしい。
「バンドか……」
俺は前世でバンドを追放された。
理由は年齢だ。
この世界でも、おっさんはバンドに加入できるのか疑問ではある。
神爺さんが若返らせてくれると言ったが、俺は断った。
「かっこつけすぎたかな」
だが、後悔はしていない。
俺は今の年齢に誇りを持っている。
「おっさんになって演奏できるようになったこともあるしな。あの深みは、わけー奴には出せんよ。わはは」
俺は立ち止まり、冷静になった。
「って、この世界に演奏なんて関係ないか……」
まだ前世の気分が抜けてない。
まあ、この世界に来て初日だ。
ゆっくり慣れればいいだろう。
***
俺は繁華街を抜けて、石畳で舗装された街道を歩く。
シモキタの郊外は、のどかな田園風景が広がっていた。
これこそ俺がイメージしていた景色だ。
一時間ほど歩いただろうか。
街道から外れた緩やかな丘の上に、目的地の廃墟があった。
「よし、ついたぞ」
この廃墟は、ガルデルという名の有名レストランだったそうだ。
石造りの三階建てで、地元産の食材を使ったメニューが好評だったのだが、資金繰りが悪化し閉店したという。
新たに活用もされず、こうして廃墟になった。
「これほどの建物を解体するには、それなりの費用がかかるんだろうな」
解体はできないが、盗賊などが悪用しないように、行政が定期的に調査を行っているそうだ。
このクエストの依頼主は、シモキタの領主だった。
「領主ってのがファンタジーらしくていいな。はは」
預かっていた鍵を取り出し、両手で重厚な二枚扉を開けた。
蝶番が擦れるギーっという甲高い音が、不気味に鳴り響く。
室内に照明はない。
だが、大きな窓から光が差し込むため明るい。
一応、冒険者セットに懐中電灯のようなライトはあるが、使う必要はなさそうだ。
まずは一階のホールをチェックした。
続いてキッチンを見て回る。
「異常なしだ」
俺は幽霊の類を一切信じていない。
だから、こういった廃墟も怖くない。
怖いのは生きている人間や動物だ。
二階と三階も見て回り、屋上へ出た。
「す、すげーな。シモキタとは思えん景色だぜ」
三百六十度に広がる景色は、まるでイタリアの南部の田園風景だ。
もちろん行ったことはない。
一階に戻り、埃を被ったテーブルを綺麗に拭き取り、そこで書類に調査報告を記入した。
不思議と文字も書けるため、読み書きに関しては全く問題ない。
これでクエストは終了だ。
調査クエストは想像以上に簡単だった。
俺は改めてホールを見渡す。
「なんだかライブハウスっぽいな。そういや、下北も潰れたライブハウスがいくつもあったよな……」
二十年もやっていれば、新規オープンや閉店を何度も経験している。
こけら落としや、閉店の最終公演に出演したこともあった。
「思い出しちまったぜ……。さて、帰るか」
席を立つと、キッチンからガシャンと大きな物音が聞こえた。
何かが床に落下したようだ。
「ビ、ビビった。なんだ?」
だが、音は一回ではなく、何度も聞こえてくる。
「な、何かが歩いてるのか?」
俺は慎重にキッチンへ向かう。
「ひ、ひいぃぃぃぃ!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
本気の悲鳴は、マジで情けない。
「なんだよこいつ!」
さっきまでいなかったはずの巨大な生物の姿があった。
俺の身体よりも大きい蜘蛛だ。
「モンスターか!」
巨大蜘蛛は俺の姿を見るなり、口から白い糸を吐いた。
突然のことに驚きながらも、俺は咄嗟に右へ飛び込んだ。
前転してすぐに起き上がる。
「なんなんだよ!」
自分の身体よりもデカい蜘蛛なんて初めて見た。
気持ち悪いなんてものじゃない。
「確か蜘蛛って、獲物を生きたまま食らうんだよな……」
あの糸に掴まったら死ぬ。
しかも俺は丸腰だ。
「くそっ! 武器を買っておけば! この世界を舐めてた!」
武器を買ったところで扱えないが、それでも買っておくべきだった。
「はあ、はあ! どうすりゃいい! 何か武器の代わりは!」
俺はすかさずキッチンの作業台に身を隠す。
この際なんでもいい。
武器になりそうな道具で攻撃して、蜘蛛を怯ませ、その隙に逃げる。
「ん?」
顔に水滴がついた。
天井から液体が降ってきたようだ。
視線を上げると、大蜘蛛が俺を覗き込んでいた。




