第6話 静かな距離
それでも、時は進む。
リュシエンヌとエリシアが、学院を訪れる日。
カーラとヴィオレッタが、生徒代表として案内を務めることになった。
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リュシエンヌの希望により、二人以外は通常通り授業に戻る。
シンシアも席についた。
しかし――
黒板の文字が、うまく頭に入らない。
ふとした拍子に、昨日の光景がよぎる。
近すぎる距離。
呼び方。
触れていた手。
(……違う。)
小さく、息をついた。
視線を落とす。
ノートには、何も書かれていなかった。
廊下から、話し声が聞こえてきた。
「……皇太女様は、お好きな授業などございますか?」
カーラの声だった。
「剣術です。何も考えずに身体を動かすのが好きなの。」
凛とした声が、静かに響く。
「まあ、そうなのですね。剣術といえば、アルベルト王太子殿下も見事な剣さばきなのですわ。我が国の誇りですのよ。」
ヴィオレッタが、自然に会話へと入る。
「褒めすぎですよ。」
すぐにわかる。
好きな人の声。
鼓動が、早まる。
しかし――
「皇太女殿下が、見事な剣技をお持ちなのは知っておりました。王太子殿下も、素晴らしい剣技をお持ちなのですね。」
落ち着いた声が、重なる。
「お二人とも、それぞれの良さがあって素敵ですね。」
やわらかく微笑む。
「一緒に案内していただけるのが、とても心強いです。」
視線が、ヴィオレッタへと向く。
「王太子殿下のお話も、誇りを持って伝えていらっしゃるのが印象的でした。その国を大切に思っていることが、よく伝わります。」
そして、カーラへ。
「先ほどのご説明も、とてもわかりやすかったです。授業の流れが自然に想像できました。」
少しだけ視線を巡らせる。
「この学院は、今年から始まったと伺っていましたが――」
静かに言葉を続ける。
「皆さまがとても熱心に取り組まれているのが伝わってきます。」
「先生方のご尽力はもちろんですが、ここにいる方々が、この学院を大切にされているのですね。」
その場の空気が、わずかにやわらいだ。
やがて、声は遠ざかっていく。
授業が終わる。
昼休み。
「女伯爵様、とても素敵な方だったね。」
「帝国ってもっと怖いと思っていたけど……全然違った。」
「皇太女様も、あんなに凛々しくて……」
「お二人とも、本当に綺麗だったわ。」
「女伯爵様、独身なんですって。」
「え、本当?」
「でも、あんな方がいらしたら……」
「ふふ、緊張して話せなくなりそう。」
「それに……私たちのことまで褒めてくださって。」
「本当に、お優しい方ね。」
声が、途切れ途切れに耳に入ってくる。
(……敵わない。)
たった数分。
それだけの時間だった。
それなのに――
これほどまでに、人の心を動かしてしまう。
そして——
アルベルトとの距離を悟らせない配慮。
(……私は。)
「……シンシア、大丈夫か?」
はっとして、顔を上げる。
レオンハルトだった。
一瞬、胸が揺れる。
(……どうして。)
違う。
この人ではない。
(アルベルト殿下が――)
その考えが浮かんだ瞬間。
胸の奥が、ひどく痛んだ。
(……違う。)
小さく、首を振る。
目の前にいるのは、レオンハルトだ。
心配して、声をかけてくれている。
それなのに。
「……大丈夫です。」
言葉が、少しだけ震えた。
「明日の神殿案内、大丈夫か?」
一度、視線を逸らす。
「……大丈夫。」
レオンハルトは、シンシアの顔を覗き込む。
「……そうか。」
わずかな間。
「……あの人は、いずれ帝国へ戻る。」
静かな声だった。
「守るべきものがある人だ。この国に留まることはない。」
(……それでも。)
シンシアは、彼のいる学院へと視線を向けた。
あの人の隣に立てたとしても――
心までは、手に入らないのかもしれない。
それは、とても残酷なことだった。




