第25話
ランバート軍務卿と宰相は壁際まで追い詰められていた。身体からは命そのものが零れ落ち続けていることも知らずに……。
それは、ウインストも例外ではなく、三人は気づく事なく倦怠感に襲われ、全身から冷や汗が吹き出し、床を濡らした。
「止めてくれ!?もう何もしない!私の家族を奪っただろう!?」
「そ、そうだ、これ以上は何も差し出すものは何も無い!」
「まだ、足りないわ。貴方達の存在も過去に積み上げて来た歴史も何もかもを含めて全て奪い取らないと、この渇きは治まらないわ」
エリスの眼光が紅蓮に燃え、翼から陽炎が立ち昇った。怒りの波動を纏わせウインストを流し見た。
「……ねえ、ウインスト。チェイルに何をしようとしていたのかしら?その汚らわしい下半身と両腕は、もういらないわね」
死の言霊が響いた瞬間、ウインストの視界は、己の腰から下と両腕が、サラサラと「塵」へと変わっていく光景だった…。
「あ……、あああ……!? 俺の、俺の両腕が!?下半身がぁぁッ!!」
軍務卿ランバートと宰相はウインストの身に起こった光景に、驕り高ぶった自身の謀略を悔やんだ。騎士が報告書に残した通り『人の身で抗うことはできない』と書かれた事を遅まきながら理解した。
「あらぁ……残念ね。痛み苦しむ姿が見れなかったわ。この力は、私に取り込むだけみたいね。失敗したわ」
新たに得た力の制御と効果に首を傾げながら、力の使い方を探っていくエリス。
「あなたたちの存在そのものを、この世界から『なかったこと』にしてあげたいのだけども。力の制御が難しいわね。王都の住人全てを消してしまいそうだわ……」
突然得た力に翻弄されながら、アスレンと、同調せずに力を行使していることに気づき、不思議そうに首を傾げた。
(アスレン、同調してないようだけど、力を使えてるわ。どうして?)
(お前は、既に俺と同格の神格を得ている。だから、今使っている力はお前の存在による力だ。今の様に無秩序に力を行使して同調すれば、この国は瞬く間に塵に帰るだろう。お前の大切な人も共にな)
(神格を得て、アスレンと同じになったということは、アスレンから、魔力を貰わなくても生きて行けるってこと!?)
(ああ、そうだ。俺との繋がりが無くなるってことだぞ)
アスレンの気配から寂し気な感情が伝わって来る。
(ええ、それでも。対等な存在に成れた事が嬉しいの。でも、魂と記憶のパスはそのままでしょ?)
(ああ、その通りだ)
(それなら、いつまでもアスレンと一緒よ。この世界が滅んだとしても。だけど、お父様とお母様と大好きな人達が暮らすこの世界は何があっても守り通すわ)
(それなんだが、冥王が俺達を狙っている事は、知ってるな)
(ええ、知ってるわ)
(お前の力は、死と再生を司る権能だ。その力を欲しているのが冥王だ。死と再生を司る権能は黄泉の国を支配するための力そのものだ、冥府はその一部にしか過ぎない)
(良く分からないけど、冥王が私達を欲しがる理由は朧気ながらも理解したわ。それなら、冥王がこの世界に攻め込んで来るということなの? 私の力が欲しいがために?)
(そうだ、既に、さっきお前が退けた冥府の狭間の雑兵もそうだ。冥府の狭間に力が集まりつつある。お前の冥府を呼び出す力を逆に利用しようとしているのかも知れない)
(そう、ありがとう教えてくれて。ついさっき、私が開けた冥府の蓋の繋がりを使って、冥府の蓋をこじ開けようとした死者の王を牽制しておいたわ。あれが、そうね。)
エリスは、冥府の狭間を意識した。禍々しい冷気と紅蓮のオーラが小さな渦を巻き、冥府の狭間を映し出した。そこには、幾万の冥府の亡者が溢れ返っていた。
(本当ね。なら、悩む事は何一つ無いわ。お父様とお母様とチェイルや大好きな人達の世界を奪われる事なく護って見せるわ)
(ああ、エリスならそう言うと思ってた)
(それと、私がこの世界にいる限り、皆の生命を吸い取ってるのよね)
(それも気付いていたのか…)
(ええ、だから早く終わらせるわ。この、渇きに抗うために。だから、力の制御を同調で手伝って欲しいの)
(分かった。終らせるぞ、エリス。いくぞ、同調!)
刹那、公爵邸全体を、漆黒の球体が包み込んだ。
それは爆発ではない。音もなく、光もなく、光すら反射しない黒球
煌びやかなシャンデリアも、高価な絵画も、そしてウインストの、軍務卿ランバートの、宰相の、勝ち誇っていた魂も――。
ただそこにあった「存在」が分解され、全て等しく、黒い塵となってエリスへと吸い込まれていった。
後に残ったのは、ただの巨大な空洞。
王都のど真ん中に、まるで誰かがスプーンですくい取ったかのような、虚無の空間が出来上がっていた。
公爵邸が消滅した瞬間、エリスは、漆黒の霧に包まれ、すでに別の空間に移動していた。
軍務局の地下深く。冷たい石壁に囲まれた、陽の光も届かぬ地下牢の闇の中だった。
次の瞬間、地下牢の影の中から、鮮血のような真紅の文様を浮かび上がらせているドレスを纏ったエリスが、まるで影そのものが起き上がったかのように姿を現した。
「……お父様、お母様」
鉄格子の向こうで、怯えながらも、エリスを守り抜くと強い決意の目をした傷だらけの父プレイドと母テレモアがいた。
父と母の首に剣を突きつけた衛兵はエリスが、突然現れた事に驚き、目を見開き固唾を呑み身体を硬直させた。だが、衛兵長から受けた指示通り衛兵が叫んだ……。
「う、動くな!?お前の両親が、ど、どうなっても、い、いのか!? う、一歩でも動くとお前の両親を切る!」
「そ、そうだ!う、動くと切る!」
「黙りなさい…」
刹那、言葉が終わるのと同時に、衛兵二人は『死』を認識する間もなく、短剣も兵装も兵士も塵になり霧散しエリスの中に吸い込まれていった。
「エ、エリス…な、のか…? そ、その姿は、お、お前、何故ここに……!?」
「逃げて、エリス! 奴らは……、奴らはお前を……!」
「大丈夫よ、お父様、お母様…少し待っててね」
エリスが鉄格子に手を触れると、強固な魔導障壁が施されていたはずの鉄は、まるで飴細工のようにぐにゃりと歪み、塵となって崩れ落ちた。
「お父様、お母様……この世では、私を縛る鎖は、もうどこにもないの。お父様とお母様を傷つける者は、私がこの世から消し去るから」
「エリス…お前…また、姿が変わったのか、今度は角まで生えて……」
「ええ、私もアスレンと同じで、神格を得たそうよ。詳しくはこの世での私がすべき全てが終わったらお話するわ」
エリスの手から溢れ出した黄金の光が、両親の身体を優しく包み込んだ。
それは、地下牢で与えられた傷と冷気と恐怖を、瞬時に癒し温かな安らぎへと塗り替えていった。
「さあ、帰りましょう。私たちの家へ」
エリスが影を操ると、地下牢の床に巨大な影の渦が出来上がった。その渦は両親を優しく飲み込み、監視していたコクヨウを連れ邸宅へと移動させた。
両親をエルヴァン侯爵邸へと送り届けたエリスは、自身の影から侯爵領で亡きものにされた使用人達を出し、二人の世話と守護を命じた。
「お、お前達、生きていたのか!?無事で、本当に良かった……」
エリスは眉を寄せ、侯爵領での出来事を両親に伝え、聴かせた。
「…この使用人達は、全員殺されていました。こうして、私が仮初の命を吹き込み、私が生きている限り、この使用人は死ぬ事はありません」
父プレイドと母テレモアは、ショックを隠すことなく、涙を流し、父プレイドは膝をつき使用人達に赦しを乞い、母テレモアは侯爵領で専属侍女をしていたリサを抱きしめ同じく赦しを乞うた。
「リサにみんな、助けてあげられなくて、ごめんなさい……」
「ありがとうございます。旦那様、奥様、私達は皆、悲観しておりません。お嬢様から再び頂いた命は、エルヴァン侯爵を護るために使って参ります」
リサは、微笑みテレモアを抱きしめ返した。
エリスは、ツクヨミに意識を繫げ、チェイルを無事に部屋まで送り届けたのを見届けた。そうして、ツクヨミの前に漆黒の霧を発生させ、ツクヨミを呼び戻した。
両親達が使用人達を労っている様子を見て、もう大丈夫だろうと判断したエリスは、邸宅に結界を張った。
漆黒の霧を発生させ、誰にも気付かれる事なく、静かに従魔と共にエリスは霧の中に消えて行った…。
ツクヨミとコクヨウを連れだって漆黒の霧を抜けた先は軍務局の屋上だった。
エリスの視線の先には、先ほどまで公爵邸があった場所に広がる、巨大な「虚無」のクレーター跡。
公爵邸を消滅させ、両親を救い出したというのに、彼女の心には満ち足りた感情はなかった。あるのは、ただ、終わることのない渇き。
「……アスレン。まだ足りないわ。王女も、王も……、私から全てを奪おうとした者たちが、まだ生きている」
エリスの復讐は、まだ終わらない。




