第24話
勝ち誇っていたウインストの顔から、一瞬で血の気が引いた。背後から途轍もない冷気を纏った声が響き渡った。
ウインストは、反射的に背後を振り返ろうとしたが、強烈なプレッシャーで全身から鳥肌が粟立ち、強烈な寒気に身体が動かすことすら出来なかった。
漆黒の霧の中から、紅蓮と漆黒のオーラを纏い、怒気を孕みゆっくりとエリスは姿を現した……。
「んっ!?んん!…」
(ひっ、ひぃいい!?な、何、こ、この、ば、化け物は!?…な、なんで!?こ、この化け物が!わ、私を…た、助けるの!?……こ、この…ば、化け物……だ、誰かに似て…いる……?)
「チェイル、もう大丈夫よ。安心して…」
チェイルの恐怖に引きつる顔を見たエリスは、悲しげに眉を潜めた。後悔はしていない、けれど、復讐の鬼と化した自分を見られるのは辛かった…。
「んんっ…!ん…!?…」
(こ、この声は!?えっ!うそっ!?間違いないわ!エ、エリスなの!)
未だに親友のチェイルに覆い被さって硬直しているウインストに不快感を顕にしエリスは眉を顰めた。
「いつまでその汚い手で、私のチェイルに触れている!…離れろ!!」と、怒りを振り払うように勢いよく強く手を横に薙いだ。
───ドォグゥォォオオン!!
ウインストは強烈な不可視の衝撃を受け、身体をくの字にして、猛烈な勢いで水平に吹き飛ばされ絶叫したのだった。
「ぐぅぁぁあああーー!?」
───ガッシャァァン!ドォゴォォン!
「っ!グゥハッ!!!」
一瞬の出来事だった、気がつけばウインストは壺を粉微塵に粉砕し、壁に叩き付けられていた。壁は深く陥没し、衝撃の強さが伺い知れた。
宰相と軍務卿は驚きに目を見開き、滑空するウインストを見て、空いた口が塞がらなかった。強い衝撃とともに轟音が鳴り響き、その後には、血を流し苦悶の表情を浮かべ、蹲るウインストの姿を見て冷や汗が背を伝ったのだった。
「っ!ん〜んん!?……!」
(エ、エリスなのね!?エリスが助けてくれたのね。……でも、なんでこんな姿に……)
「…チェイル、今、元に戻してあげるわ…」
エリスが、指で空間をなぞった…。チェイルの猿轡や両腕の縄は瞬時に焼き切られ、破かれたドレスも時間が巻き戻ったかの様に元通りとなった。
「チェイル。たった一人の私の親友……貴女に…この姿を見られたく無かったわ。怖かったでしょ。私のせいでごめんなさいね。チェイル、お別れよ…さようなら。私の分まで幸せになってね……」
「えっ、う、うそ!? さようならってなに!? エ、エリス!?ちょっ、ちょっと、まって!?さようならってなぁ……ぃ…」と、必死に変わり果てた親友に手を伸ばしたが、無情にも徐々に意識が遠のいていった。
朦朧とする意識の中で、チェイルは、幼馴染で一番の親友の悲し気な瞳を見た。
──エリス、『さよなら』なんてしてあげないわ。絶対!『忘れて』あげない!忘れないわ!………。
例え姿形が変わったとしても、心優しい気弱な親友を心から想い、エリスの力に抗った。
「……ツクヨミ……お願いね……」
ツクヨミが闇から現れ、チェイルを影に収め、「にゃぁ」と鳴き、エリスに一瞥すると、再び闇に消えていった。
エリスは、ゆっくりと三人がいる方向へ身体を向けた…。
「さあ、次は貴方達の番ね……」
エリスが纏う重圧が、瞬間的に部屋を支配し、シャンデリアが軋み震えた…
三人は、エリスの変わり果て姿を直視して、抗うことができない恐怖に身も心も凍りついた。
「「「ヒイッ!?」」」
エリスの瞳は紅蓮の焔が揺らめき光を放ち、凍てつくような眼差しを向け、髪は漆黒に染まり黒き闇を纏い、額からは禍々しくも美しい2本の真紅の角が生え、紅蓮の翼から紅蓮と漆黒のオーラが立ち昇り、青白い見ているだけで、魂が抜かれていくような霊圧が陽炎のように放たれている。ドレスは鮮血のような真紅の幾何学文様を浮かび上がらせ脈打っていた。
「ば、化け物……」
「チェイルを穢そうとした…貴方は、死すら生ぬるい……」
「く、来るな…!来るな、来るな、来るな!来ないでくれ!?」
打ち付けた額から血を流し、壺の欠片で全身傷を負い鮮血で床を汚し、腰と背の痛みに苦悶の表情を滲ませながら、必死の形相で這って距離を取ろうとした。
だが、壺の破片で手足を切り裂きながらも這って逃げた先は…壁だった。絶望に打ち拉がれ、心臓が破れんばかりに高鳴り、壁を背にして恐怖で震え、迫り来るエリスに怯える事しかできなかった。
「…あっ…あ、嫌だ…よ、寄るな……」
紅蓮のオーラと漆黒のオーラを陽炎のごとく空間を歪ませ、近づく度に身体から流れ出る血以外にも、まるで自身の命が溢れ落ちる感覚が一層の恐怖が煽られた。
「く、来るな!? ひ……、ひいぃっ…!? お、お前が、何故ここにいるのだ!! 衛兵! 衛兵ッ!!」
ウインストの虚しい叫び声だけが静寂の中に響き渡った。しかし、その沈黙をエリスだけが無慈悲にも崩壊させたのだ。
「貴方を助けに来る人は誰もいないわ。だって、衛兵は、もう一人も居ないわ。この屋敷に居るのはあなた達だけだもの」
ウインストにゆっくりと歩み寄るエリスから放れる絶対的な「死」のオーラに当てられた三人は、根源的な恐怖に全身を支配された。自然と全身が震え、背筋は凍りついた様に冷たくなった。
持っていた金杯が手から零れ落ち、ワインが真紅の絨毯を血のように染めあげた。
「あっ!?あ…ぅあ…!?」
ランバート軍務卿と宰相は、息を呑み慌てて逃げようと椅子から立ち上がろうとするが、腰が抜けたように足に力が入らず、椅子から崩れ落ちた。
──ガターン!バターン!
ウインストのように、床を這いずりエリスから遠ざかろうと、必死に逃げようと二人は藻掻いた。
「ひっ!ひぃぃい!?」
「うっ!ぁああ!?」
「ランバート軍務卿も宰相も無様ね、小娘一人操るのは造作もないと豪語していなかった?」
自分たちの策謀が破綻したことが信じられず、ランバート軍務卿は思わず叫んだ。
「な、何を、ざ、戯事を!?今頃、お前は王城へ連行されて、我々の飼い犬として傀儡になっていたはずだ!な、何故、お前がここにいる!?そ、その姿は何だ!?お、お前の両親がどうなってもいいのか!?」
「それは残念ね、ランバート軍務卿。私はここにいるわ、貴方達には、もう何も奪われたりしないわ。代わりに貴方のご家族、私が奪っておいたわ。ほらっ……」
───ぐちゃ……ゴロゴロゴロ、ゴロ……
ランバート軍務卿の影から生首が次から次へと溢れ出した…。その中の生首を凝視し、目を見開き悲鳴をあげた。
「…ぁあっ…あっ…!?……う、嘘…だろ…ミ、ミザベラ!?お、お前!!……リ、リベラまで!!……ア、アリスゥーー!!お、お前たち!?!?……うっ…うわあぁぁぁぁあああ!!!」
恐怖に引き攣る、ランバート軍務卿の妻と子供達の首だった。三つの頭を抱き抱え、泣き崩れるランバート軍務卿…。
「な、何故、こんな…む、酷いことを、な、何の罪もない妻と子供達を……うぐっ…」
「あらっ、同じ事をやり返しただけですわ。私ばかりが奪われるのは理不尽でしょ。だから、奪われる苦しみを知ってもらおうと思いまして、貴方の邸宅にいる者全てを奪って差し上げましたの」
「ご、ごろしでやる……」
ランバート軍務卿は悔し涙を流し、憎悪を孕んだ目でエリスを睨んだ。
「まあ、私をですか?私は既に王女殿下に呪毒の刑で一度殺されていますが?また、私の命を奪おうと?」
驚愕に目を見開く、ランバート軍務卿と宰相とウインスト公爵令息……
「そうそう、宰相閣下、公爵令息も私からの、心ばかりの手土産ですわ」
宰相と公爵令息の影から溢れ出す生首…
「ぁぁぁ…うわぁぁぁああああ!!?」
「ち、父上ぇぇぇえええーー!?は、母上ぇぇぇえええーー!?」
ランバート軍務卿と同様に家族や親しき家令や使用人を見つけ、泣き叫び発狂する二人。
「どう?奪われる気持ちは、憎いでしょ?悔しいでしょ?恨めしいでしょ?理不尽だと思うでしょ?私が、今もなお受け続けているのだから、貴方達から奪って差し上げたのよ。貴方達に永劫の苦しみを与えるためにね」
エリスが一歩踏み出すたびに、ランバート軍務卿と宰相が家族の首をその手から溢れ落としながら恐怖に慄き、床を後退っていく。
「ご覧のとおり、人間としての檻は、もう壊れたわ。貴方達が私から奪って行く数だけ、私は壊れていったの…その代償として、今の姿があるの…」
一歩、また一歩、エリスが歩み寄る。紅蓮のオーラが居間を支配する。その場に居るだけで生命が零れ落ちていく。
「奪われたくなければ、端から奪わなければ良かったのよ。そして、愉悦に嘲笑い穢そうとする、その汚らわしい存在を、私の憎悪で跡形も無く消してあげるわ」
絶叫が、紅蓮色の王都を切り裂いた。
勝ち誇っていた者たちの優越感は、今、この瞬間、永遠に終わることのない絶望の悲鳴へと塗り替えられた。
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