第22話
王都の喧騒から隔絶された公爵邸の広間。そこには、王国の腐敗を象徴するような、澱んだ贅沢が満ちていた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが放つ光は、床に流された高級ワインの赤を、まるで鮮血のように不気味に照らし出している。
「ははは! 見ろ、この震える姿を! これがかつてのエリスの幼馴染、誇り高きギラスト伯爵令嬢の成れの果てか!」
ウインスト・ランサルドは、狂気に満ちた哄笑を上げながら、床に転がされたチェイルの燃えるような赤髪を乱暴に掴み上げた。
無理やり仰け反らされたチェイルの白い首筋には、恐怖で浮き出た血管が脈打っている。
彼女の瞳は涙に濡れ、猿轡に阻まれた悲鳴が、くぐもった音となって喉の奥で震えていた。
「無駄だ、チェイル。お前の親愛なるエリスは、今頃両親の命を盾に取られ、軍務局の地下で絶望の淵に沈んでいる。」
チェイルは、気弱な心優しい親友の悲しみ苦しんでいる姿を思い浮かべ、悲壮感に心が軋んだ。
「……さあ、王女殿下への無礼を、エリスに代わってその身をもって、償ってもらおうか。まずはその身体で愉しませてもらおうか。チェイルお前はエリスのせいで穢されるのだ……最後にはエリスへの憎しみだけを植え付けてやろう」
ウインストの背後では、軍務卿ランバートと宰相が、金縁の杯を掲げて勝利の美酒に酔いしれていた。彼らにとって、この拉致と拷問は、ただの愉悦を感じさせる娯楽に過ぎない。
「エリス・エルヴァン……あの化け物の力も、親の首筋に刃を当てられれば無力よ。今頃は、エルヴァン侯爵と夫人は軍務局に到着して、エリスを懐柔するように拷問が始まった頃だろう。それに、兵がエルヴァン侯爵邸へ知らせに走ってる頃だ。こちらの要求通りにその力を封印し、一生を王家の『飼い犬』として過ごす契約魔導にサインするしかないだろう」
軍務卿ランバートが、脂ぎった顔を歪めて笑う。
「くくく、王家と我らに楯突く化け物を、泥水に押し付けてやりたいものだ。宰相、両親の指を一本ずつ送り届けてやれば、さらに『忠実な飼い犬』になるのではないか? 絶望に濡れた顔を想像するだけで、身体が昂ぶるわい」
彼らは勝ち誇っていた。自分たちが仕掛けた二重の「人質」という卑劣で、しかし抗いようのない策略が、エリスという人外の存在を完全に檻に閉じ込めたと信じて疑っていなかった。
その優越感は、猛毒のように彼らの理性を麻痺させ、より残酷な、より非道な妄想へと彼らを突き動かしていく。
公爵邸上空で、翼を羽撃かせ、真紅の輝く瞳が見下ろしていた。その身体には既に多くの死臭を纏い、手は血で汚れていた…。
「アスレン…チェイルがいる部屋だけ、結界をお願い…」
(分かった、──『黒閻結界』)
「さあ、喰らいつくし、永劫の苦しみを与え続けなさい……一人も生かさないで…」
公爵の敷地全てが漆黒の半球状の異界に包まれ、漆黒のオーラに禍々しい紅蓮の霊圧が混じり、冥府の蓋が開き亡者の叫びや呪怨が静かに響き渡り、暗闇から怨霊やレイスが溢れ出した。
──グゥクルシイ呪ゥァウラメシイゥ怨ゥァッ──
「な、何事だ!?こ、これは、レイス」
「あ、あなた…い、嫌ぁぁああー!」
「に、逃げるぞ!?」
ランサルド公爵や夫人が必死の形相で邸宅の密室を避け、見渡しがきく中庭へ駆け出し、空の異変に固唾を呑んだ…。
「公爵邸が何かに囲まれてる……」
その前に紅蓮の翼を羽ばたかせ、ゆっくりとエリスが降り立った。
「ようこそ、死の舞踏会へ。ランサルド公爵閣下に夫人、余興は楽しんで頂けましたでしょうか」
「そ、その姿は…お、お前が…エリス・エルヴァンなのか…、こ、こんな事をして、た、ただで済むと思っているのか!」
「何なのよ、その姿はなに!?何故、空を飛んでるのよ!その翼はなに!?その角はなに!?」
公爵夫妻がエリスの姿に驚愕し目を見開き、その醸し出す隔絶した異様な気配に畏怖を覚え根源的な恐怖から、自然と二人は膝を落とした……。
ランサルド公爵夫妻に助けを求め、中庭に駆け寄る家令や執事たち使用人も、同様に根源的な恐怖に立ち止まり、膝から崩れ落ちてしまった……。
背後から忍びよる闇が次々と家令や執事たち使用人に襲いかかる。
現れたレイスや怨霊に取り憑かれれ苦しみ悶える者、手足をもがれ絶叫にのたうち回る者、暗闇に引き込まれて行く者の悲鳴と絶叫の声が木霊する。
──ぎゃぁあ…嫌ぁあ…痛い…グゥぁあ…た、助けてぇぇ………
「ええ、私の大切なものを奪う人達から、同じように、全てを奪ってるだけですわ。そう、同じようにね…ふふっ」
愛らしく首をコテンと傾け、紅蓮の瞳が輝きを増す。その刹那、公爵閣下と夫人の恐怖と絶望で歪んだ相貌のまま固まった首がゴトリと床に転がり落ち、暗闇に呑まれていった。
「ふふっ、素敵な表情ですこと…さあ、皆様もっと啼きなさい」
──た、助けてぇぇ…嫌ぁあ…ぎゃぁあ…痛い…グゥぁあ…………
阿鼻叫喚の楽曲を背景に、ステップを踏みながら、舞踏を楽しむかのように、舞い踊り、全てを紅く紅く染め上げていく……。
生者が居なくなり静まり返る公爵邸──
結界内にいる彼らは気づいていなかった。
広間の隅、豪奢なベルベットのカーテンの陰で、黄と碧の二条の光が、彼らの「死」を冷たく宣告していることに。
(……愚かな。主の逆鱗どころか魂に触れた哀れな人間か……)
ツクヨミの冷徹な声が、エリスの意識の底で共鳴していた。
お読み下さりありがとうございます。応援と評価を下さると励みになります。
どうぞ、引き続きご覧下さい。
宜しくお願いします。




