第19話
夜明けと共に目覚めたエリスは、カーテンを開けた。空はまだ薄紫色と紺色の物寂しげなグラデーションが支配していた。
建物の合間からは朝日の残光が輝き、朝日を遮るように竈の煙が立ち登り、人々の生活の息吹が伝わってくる光景に、確かな温もりを覚える。
「アスレン、綺麗な空よ。雲一つないわ」
(ああ、綺麗だな。だが、白銀に輝くエリスの方がずっと綺麗だ)
「ありがとう、アスレン。嬉しいわ。昨日は長い時間半実体化してくれたけれど、今日は無理なの?」
鏡越しにアスレンの姿を探し当てたエリスは、期待に満ちた上目遣いで彼を仰ぎ見ると、悪戯っぽく口を開いた。
(そうだな、あれはかなり力を使うからな。今はこうして声でそばにいさせてくれ)
「残念ね、でも…また我儘言った時はお願いね」
エリスは、一瞬舌をペロッと出し、残念そうにしながらも、楽し気にアスレンと他愛もない会話をし、儚げな百合の華を思わせる可憐な笑みを浮かべて朝の仕度を済ませた。
鼻歌を歌いながら、調理場で昨日購入した食材から材料を取り出し、竈の火を調整しながら、いつもより品数を多く作り、手際よく調理を済ませた。
テーブルに白パンと目玉焼きに、焼きベーコン、新鮮なキャベツとりんごのコールスローをテーブルへと並べ、最後に鶏とマッシュルームのスープパスタを器によそいテーブルへと並べていく。
テーブルに座り、一瞬の静けさが、運命の歯車が止まる前の、束の間の静寂にように感じ、皿の上の目玉焼きが、まるで最後を見守る冷ややかな瞳のように私を射抜いてるように見えた。
「こんなに長く、両親と離れたのは初めてだから、少し感傷的になってるのね」と、エリスは自分に言い聞かせ、アスレンに見守られながら朝食を食べ、後片付けをしていた。その時、エリスは僅かな物音を捉えた。
耳を澄ませば、調理場から微かな物音が聞こえたような気がしたエリスは、眉をしかめ、片付けを中断し、足音と気配を殺して調理場にやってきた。
「ねぇ、アスレン。やっぱり、何か物音がしなかった?」
(ああ、何かいるな……。あそこの棚の隙間から小さな生体反応がある。それ以外にも、別の部屋にもう一つ反応があるな)
エリスは、漆黒のオーラを盾にして、注意しながら棚の隙間を覗き込んだ。薄暗い隙間の奥には、埃を被った真っ黒な猫が震え、何かから逃げ隠れるように、尻尾を体に巻き付け縮こまっていた。
「まあ……! 可愛い猫ちゃんね。こっちにおいで、怖くないわよ」
手を出し見守るが一向に出てくる気配がなかった。仕方なく、漆黒のオーラの盾を手の形に変形させ、そっと抱きかかえ、棚の隙間から連れ出した。
真っ黒な猫は両耳をペタンと伏せ、小刻みに震えていたが、逃げる素振りは見せない。時折、此方を覗う様子を見せた。
「怖がりね、何もしないわよ。迷い込んだの? お外に出してあげようか」
(エリシーラ、その猫はこの世界の猫じゃない。冥府の力を感じる)
「あなた、冥府から来たの? もしかして、王家の暗部を始末する際に冥府の蓋を開けたから、そこから迷い込んだのかしら」
『そうだろうな。おい、猫。お前、言葉が解るだろ。喋らないなら消し炭にするぞ』
「こら、アスレン! さらに縮こまったじゃない。大丈夫よ、消し炭になんかにさせないからね。あなた、お話しできるの?」
エリスはリビングに移動し、黒猫を膝の上に乗せた。その毛並みをそっと撫で、黒猫が落ち着くまで慈愛の笑顔を向け撫で続けた。
「可愛いわ、今世では初めて触ったわ。前世は、白狐のコンを二人で飼ってたの覚えてる?」
(ああ、覚えてる。お前が森から拾ってきた狐だな。あれでも聖獣だからな)
「アスレンが私の傍に来たら、いつもヤキモチを妬いて、私と貴方の間に居たわよね。私が居なくなってからは、ちゃんと森へ帰ったのかしら……」
アスレンと前世の話をしていると、安心しきった黒猫は、気持ちよさそうにそのまま寝てしまった。エリスは猫をソファーに寝かせ、部屋からそっと出た。
「アスレン、もう一つの反応はどこの部屋からなの」
(こっちだ……)
エリスがアスレンの導きで使用人用の部屋へ入り、半開きのクローゼットを開けると、そこには黒い鴉が隅で震えていた。
「この子も震えているわ。この子も冥府から来たの…」
(そのようだな)
エリスは再び漆黒のオーラを出し、鴉を包み込むように外へ連れ出し、リビングへと戻った。
「冥府から来た猫と鴉……どうしましょう。冥府の蓋をもう一度開ければ帰れるかしら」
エリスは困り顔で首を傾げ、震えている鴉に問いかけた。
「ねえ、あなたもお話しができるのよね? 冥府から来たの」
『は、はい……そうです……』
「本当にお話しができるのね。お名前は何て言うの」
『な、名前は無いです……』
鴉の話によれば、冥府に空いた穴に吸い込まれ、気が付いたらこの屋敷に飛ばされていたのだという。そこで悍ましい力の奔流を感じ、逃げるようにクローゼットに隠れていた。
「あの時の、冥府の蓋を開けた時のことね。大丈夫よ。あなたたちには何もしないわ。それで、あっちの黒猫ちゃんはお知り合い?」
「は、はい!」と 鴉は首を上下に振ると、バサリと翼を広げて眠る黒猫の元へ飛び移った。
『おい、起きろ! バカ猫!』
『にゃ〜、もうちょっと寝かせるにゃ。……って、誰がバカ猫にゃ! このアホ鴉!』
『おい、いい加減にしろ。お前たちは何者だ』
『にゃっ!?』
黒猫は驚きのあまり飛び跳ね、覗き込んでいた鴉に衝突した。
「黒猫さんに鴉さん、初めまして。私はエリスよ。それから、見えないと思うけど私の傍にいる人はアスレンというの。よろしくね」
エリスは落ち着きを取り戻した二匹から、冥府について詳しく聞き出した。そこは冥王ハデスが治める世界。太陽はなく、三つの月が輝く夜の国だという。
「素敵な場所ね。……でも、どうして穴に吸い込まれたの?」
『それにゃ! 冥界と現世の狭間でとてつもない力が爆発して、それを探して捕らえるか、知らせるように、冥王様に言われていたんだにゃ』
『そうだ、そうだ。探している最中に穴に捕まったんだ』
エリスとアスレンを探し出し、捕らえよという冥王からの命令。不穏な言葉に、二人の間に緊張が走る。
今の王家と同じように、また誰かが自分から大切なものを奪おうとするのか。エリスの心から憎しみが溢れ出す。漆黒の瞳が白銀に輝き、部屋全体が彼女の威圧に悲鳴を上げる。
「冥王が探しているのは私とアスレンよ、冥王もお前達も、私から大切なものを奪おうとするの……?」
「ち、ち、違うにゃ! そんなつもりはないにゃ!」
「そ、そうだ! 命令されただけで、理由は聞かされてない!」
豹変したエリスの怒気に覇気が混じり、重厚な威圧を放った。小さな二匹はただ震え、許しを乞うしかなかった。
『おい、お前たち。冥王の配下を辞めると誓えるか。誓うなら命だけは助けてやる』
「わ、分かったにゃ! 辞めるにゃ!」
「辞めるから、殺さないで欲しい!」
(その言葉を信じよう。今からお前たちは、このエリスの従魔だ。分かったな)
「「は、はいです…」」
──『魂魄隷属縛鎖』
漆黒と白銀のオーラが混じり合い、黒銀に輝く鎖になり、二匹の身体に絡み付き、光を放つと同時に二匹の魂を縛り付けた。
(終わったぞ、エリス、その威圧を抑えてやれ)
落ち着きを取り戻したエリスは、オーラを抑え、瞳も漆黒に戻り、二匹も消される事が無くなった事に安堵した。
「アスレンが言った通り、あなたたちは今から私の従魔よ。もし裏切ったりしたら……分かっているわね?」
微笑む彼女の瞳の奥で、漆黒の焔が揺らめく。二匹は必死に首を縦に振った。
「ところで、名前がないと不便だから、私が名前を付けるわ。いい?」
『名前を頂けるのですかにゃ!?』
『名前をくれるのか!?』
「ええ。黒猫ちゃんは女の子ね、鴉くんは男の子。……黒猫ちゃんは黒いから『くろ』、鴉くんは黒曜石の様な羽だから『黒曜』はどう?」
「「………」」
(……おい、エリシーラ。ネーミングセンスがなさすぎだ。こいつらが不憫だ)
「えっ、なんでよ失礼ね! じゃあ、アスレンが考えてよ!」
(分かった。黒猫の瞳は黄金に似た黄と碧のオッドアイ。常世と現世を映す瞳だから『ツクヨミ』。鴉は、お前が付けた『黒曜』の響きを生かそう。黒曜石は魔除けや浄化の力を持つ石だ。名は『コクヨウ』。これでどうだ)
エリスと二匹は、アスレンのネーミングセンスに感動し、固まってしまった。
「ええ、素敵ね……! 黒猫ちゃん、あなたは今日から『ツクヨミ』よ。鴉くん、あなたは『コクヨウ』よ。これが、あなたたちの新しい名前よ」
名付けた途端に、二匹は黄金の輝きを放ち、額に白く輝く宝石が浮かび上がった。
そして、エリスの身体から漆黒と白銀のオーラが立ち登り、二匹の身体に入った瞬間。二匹からも漆黒と白銀のオーラが立ち登った。
(潜在能力が解放されたか。これは中々の拾い物だな)
──ピシッ……。
エリスもアスレンも気づかぬところで、エリスの白銀の魂に、微かな異変が生じ始めていた。
こうして、エリスに従属する新たな仲間が加わった。新たな実体のある家族として、エリスは、二匹と一日戯れ、ペットのいる生活に癒やされたのだった。
冥府と現世を巻き込む大きな渦の中、新たな復讐の舵が切られる。エリスとアスレンの安寧の日々は、果たして守られるのだろうか。
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