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第18話

 昨夜、王宮暗部の精鋭たちが「存在ごと」消滅したことなど、今のエリスには何の関係もないことのように思われた。


 この一週間が二人にとってあまりにも、永遠とも思える幸せな静かな時間が過ぎ去って行った。


 朝の柔らかな光が差し込む侯爵邸の寝室。エリスは、普段なら侍女が丁寧に行うはずの身支度を、エリスは前世で慣れ親しんでいたときと同じようにアスレンにお願いし……それをアスレンが全力で応えて見せた。


「……ふふ、アスレン。そこ、くすぐったいわ。でも、こうしてアスレンに触れてもらえるのは嬉しい…」


 エリスが鏡の前で歓びの声を上げる。彼女の白銀の髪を梳いているのは、実体を持たないはずのアスレンが力を極限まで繊細に制御し半実体化し、髪を愛おしむように撫でているのだ。


『エリシーラ、お前の白銀の髪はいつ見ても美しい。俺も触れられて良かった』


「ありがとう、アスレン。私の我儘を聞いてくれて。それに、貴方の髪も漆黒の髪もとても綺麗よ」


 エリスは頬を赤らめ、鏡越しに「彼」を見つめる。


 私の背後に寄り添うように立ち、愛おしそうに見つめる彼の双眸。そして、優しく彼の腕が私の腰を抱きしめている。


 こんなに幸せでいいのか怖くなる。でも、彼との今という時間を全力で実感しろと、内なる私が(ささや)く。


「今日は、少し市場までお出かけしませんか? お屋敷の食材も心許なくなってきましたし……それに、幼馴染のチェイルに教えてもらった、新しくできたアイスクリーム店へ行って、私も食べてみたいの」


『ああ、いいぞ。天気も良いし、気分転換にもいいだろう。もし、襲撃があったとしても、撃退すればいいからな』


「そうね、せっかくだから、ずっと今の状態で行けないの?」


『ずっとは無理だな、かなりエネルギーを消費するからな。少しの時間なら問題ない』


「それなら良かったわ。こうして手を繋げて歩けるチャンスだし、今日は楽しいデートにしましょうね。それに街ではエリスって呼んでね」


『ああ、分かった』


 エリスはいたずらっぽく微笑み、アスレンに向けて、「愛してるわ」と囁いた。


 その瞬間、アスレンの頬が朱色に染まり黒い燐光を撒き散らした。


『あぁ、俺も愛してる。そろそろこの状態を解くぞ』


「ええ、いいわよ。ありがとう、アスレン!」


 はにかみながら、花が咲き誇った笑顔で、すみれ色のワンピースの裾を揺らした。


 調理場に立つエリスの姿はいつもより増して、花が咲き誇った様な雰囲気を振りまいていた。食事を食べ終わり、片付けを終え、家事を熟しても、その雰囲気は楽しげだった。


「さあ、アスレン。お出掛けに行きましょうか」


 エリスは軽やかな足取りで、屋敷を出た。心から切望していた夢が叶ったからだ。空は澄み渡り、雲一つない青空が広がっていた。


 頬を撫でる風も柔しく、スカートが揺らめいた。手を血に染めた日々が嘘の様に、暖かな日差しを運んで来る。


(いい気持ちね、アスレン。お日様がとても心地いいわ。そよ風に運ばれて来る温もりも、私には幸せの息吹に感じられるわ)


(そうだな、俺はお前が幸せなら、それが俺の幸せだ)


 二人は、幸せを噛み締めながら、王都を歩き、市場へ歩みを進めた。


 王都は、朝から緊張感に包まれていた。


 8日前の騎士団消滅の噂や、昨晩、悲鳴が木霊する侯爵邸のことは、既に王都中に広まっていたからだ。


 そこへ、当の本人であるエリスが柔らかな清楚な雰囲気で現れ、まさか騎士団を消し去った噂の少女だと信じられない王都の人々は、誰もが2度見した。


(噂が広まっているようだな)


(そうみたいね、今さら気にしても仕方ないわ。それよりもデートを全力で楽しまないとね!)


 朗らかな日差しのなか、白銀の髪に日差しが煌き、清楚なすみれ色のワンピースを纏った彼女が、ご機嫌に軽やかな足取りで、街の通りを歩く。


 一歩、エリスが足を踏み出すごとに、雑踏が波を引くように割れていく。商人も客も、誰一人として声を出すことができない。


「あら、このリンゴ、とても美味しそうですね」


 エリスが果物屋の前に立ち、にこやかに微笑む。


 店主の男は、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、震えながらリンゴを差し出した。


「は、ひ、ひぃ……! ど、どうぞ、お納めください、エ、エリスお嬢様……! お代など、め、滅相もございません!」


「怖がらなくても、取って食ったりしませんわ。お代を払わないわけにはいきませんし、はい、こちらを」


 エリスが銀貨を置き、お釣りを店主から受け取った。


 アスレンは、さり気無く半実体化した。突然人が現れた事に街を歩く人々は目を白黒させ、その光景を疑った


 しかし、現れた男性が、漆黒の髪と瞳に、端正な顔だちその美し過ぎる相貌に、街を歩く女性達が頬を染め立ち止まり見惚れていた。


『……その、りんごは俺が持とう。店主、それを渡してもらえるか』


「ひ、ひぃぃ!?」


 店主は、突然現れたアスレンに驚き、白目を向いてその場に卒倒してしまった。


「アスレン! 突然現れたらビックリするでしょ! それに、貴方を見て女性がウットリしてるわよ!もぅ!」


 エリスが頬を膨らませて拗ねると、あれほど凛々しかった漆黒の青年が、一瞬で「借りてきた猫」のようにシュンと気配を萎ませた。


『すまない、エリス……』


「もう、本当に……。ほら、他のお店も見て回りましょうね?そのままの姿でも大丈夫なの?」


『ああ、かなり力を使うが、一刻ほどなら大丈夫だ』


 エリスは、その言葉を聞いた途端に、大輪の花が咲き誇ったかの様な華やかな満面の笑顔をアスレンに振りまいた。


 半実体化したアスレンの大きな手をごく自然に握り、指を絡ませた二人は、恋人繋ぎのまま寄り添い、市場での買い物を楽しんだ。


 時折、見つめ合い微笑み合う二人に、街の人々も噂を忘れ、微笑ましく見守っていた。


「ねえ、お買い物はこれでいいから、 チェイルが言ってた、アイスクリーム店へ行ってみたいの。私も食べてみたくて!」


『ああ、行こうか』

 

 見目麗しい漆黒の青年と、可憐な白銀の少女が、手を繋いで仲睦まじく街を進むその光景は、人々を和ませた。


 ご機嫌なエリスは足取り軽く進んでいると、通りの隅に羽根をバタつかせる黄緑色の綺麗な小鳥がエリスの目に入った。


 「あら、小鳥が傷ついているわ。翼を怪我しているようね、あなたもあの澄み渡った大空を、再び羽撃きたいよね。治してあげましょうか」


 エリスは、にこやかに小鳥を掬い上げ、両手で包み込んだ。両手がパーッと光輝き、辺り一帯を柔らかな光で包み込んだ。


 小鳥を包み込んだ手を開くと、小鳥はエリスの手から飛び立ち、まるでお礼をするように、頭上で(さえず)りながらクルクル回り飛んで行った。


「良かったね、元気になって」


 嬉しそうに小鳥に手を振り、怪我が治ったことを喜んだ。まるで、伝説の聖女の再来かの様な神聖な空気が辺り一帯を包み込んだ。


「お、おい、見たか……小鳥が治って飛び立って行ったぞ……」と、通りに居た民衆は静かな驚きに包まれ、感嘆の声が上がる。


 広場に面したテラス席。


 エリスは、アスレンに促されて椅子に座り、アスレンはエリスの隣に腰をかけバニラのアイスクリームを一つ注文した。


「はい、アスレン。あーん」


 エリスは、花も綻ぶ可憐な笑顔で、冷たいバニラのアイスクリームをスプーンで掬い、アスレンの口へ向けて差し出した。


『エリス……俺は半実体化してはいるが食事は……』


「いいから、あーん。……してくれないのですかぁ……」


 エリスが少し潤んだ瞳で見上げると、アスレンに拒否権などあるはずもなかった。


 困り顔のアスレンの口がわずかに開き、エリスのスプーンを口に入れアイスクリーム食べた。


『……味は分からないが、お前の気遣いと優しさと愛の方が、数千倍甘い』


「……っ、そんな恥ずかしいこと、外で言わないでください!もう…」


 顔を真っ赤にするエリス。その様子を遠巻きに見ていた民衆たちにも、温かな熱が伝播していく。


「エリスお嬢様、顔を赤くして……まるで、ただの恋する乙女じゃないか……」


 そう、エリスとアスレンの間には、他人が入り込む隙間など存在しないほど、二人だけの蕩けるような甘い時間が流れている。


 エリスは幸せそうに笑いながら、ふと、遠くで両親に手を繋がれ、無邪気に笑い合う幸せそうな親子を見つめた。


「アスレン、私達もあの親子のように幸せになれるかな…」


『ああ。……必ずお前を幸せにしてみせる』


「ふふ、ありがとう。楽しみにしているわね。……あ、アスレン。お口にアイスが付いているわよ…」


 エリスは頬を染め、はにかみながら自分の指で、アスレンの唇をそっとなぞり、その指を自分の口に含んだ。


『…………ッ!』


 アスレンは照れながらそっぽを向いた。


「ふふ、照れてるあなたも素敵よ。いつか、あの親子のように、貴方と本当の家族になりたいわ」


『そうだな、俺も同じ思いだ』

 

 どうしても目が離せない王都の住人たちは、あまりにも甘く、世間の噂が『まやかし』の様に感じるほど、二人の「デート」は、王都そのものを不可逆的な「熱」に浮かせていくのであった。


「さあ、帰りましょう。今日は本当に楽しかったわ」


 エリスは、アスレンの腕に抱きつくようにして、幸福な溜息をついた。


 その光景を見送る王都民たちは、いつしか恐怖を忘れ、ただ噂の「断罪の女神」の幸せな笑顔に諭され、「断罪と癒しの女神」として王都の新たな噂として広まっていった。


 満面の笑顔で腕を絡ませ街を歩く二人は、街の喧騒に溶け込み二人だけの時間を楽しんだ、永遠にこの時間が続くと信じて。


 それは、あまりにも脆く、あまりにも悲しい、残された平穏の一時(ひととき)だった。

お読み下さりありがとうございます。応援と評価を下さると励みになります。

どうぞ、引き続きご覧下さい。

宜しくお願いします。

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