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準備


「ステラお嬢様、またわたくしの足を踏んでいます」

「す、すみません」


広間に楽器の音とコツコツと靴の音と私の謝る声が響く。

ダンスの練習を始めて一月は経った。慣れないかかとの高い靴で歩くことだけでも大変だというのにそんな靴で踊るのなんて大変なんて言葉じゃ表せないくらいだ。

ダンスの講師をしてくれているディオーナ先生は40くらいの女の先生でお祖父様曰くとても優秀な講師だそうだ。だけど、いつも表情が(特に目が)怖い。私にはダンスは笑顔でしなさいと言うくせに先生が笑っているのは見たことがない。もっと優しい先生が良かったなと思いながらいつも練習している。


もう一度始めからやり直してなんとか足を踏まずにミスも5回以内に抑えて踊り終えた。


「お嬢様、そんな強張った表情で踊ってはいけません。淑女たるもの社交界では常に優雅で余裕のある笑みを浮かべていなければなりません」

「こうですか?」

「もっと胸を張って自信を持って」

「どうですか?」


しっかり胸を張って視線を上げて、先生の顔を見た。先生は表情一つ変えずに『それなら問題ありません』と頷いた。


「これから踊るときは常にその表情でいるように心掛けてください」

「ですが、それだと何を考えているか分からなくて怖くないですか?」

「何を考えているか分からないのが良いのです。社交をするにおいて自分の感情を相手に見透かされることほど不利なことはありませんから」

「そういうものなのですか」


貴族は大変なんだな。

先生に言われた通り笑みを浮かべたまま一曲踊り終えた。今回は先生の足を一度だけ踏みそうになったけれどなんとか踏まずに踊れた。


「それでは本日のお稽古はここまでです」

「ありがとうございました」



練習を終えると、サリーと一緒に広間を出て応接間へ向かった。

今日はドレスの仮縫いと装飾品の注文をする。

応接間には既に間仕切りが用意されていた。仕立て屋に挨拶をして早速間仕切りの裏へ行ってドレスを脱いで薄着になって仮縫いをする。

手早く仮縫いが終わるとすぐにドレスに着替えて間仕切りの裏から出た。デザインを改めて確認し直して仕立て屋が出ていくと入れ替わりで商人がやって来た。


「耳飾りと髪飾りと首飾りを一通り持参いたしました。好みの物が無ければ注文することも可能です」

「サリー、全部選ばないといけないのですか?耳飾りだけとかじゃいけませんか?」

「はい。全てお選びください」


見るからに宝石があしらわれた装飾品たちを見ていると選びにくい。だけど、どうせ選ぶなら可愛い物がいい。

迷いながらじっくり見比べて髪飾りは決めた。あとは耳飾りと首飾りだけど、両方つけたことがないからどういう物がいいのか分からない。選ぶのに飽きて耳飾りの構造を見ているとサリーが咳払いをした。


「お嬢様にはこちらとこちらの物がお似合いになると思われます。ドレスの色合いや雰囲気ともよく合いますし、それにお嬢様の瞳と同じ金色の宝石が使われていますのでお嬢様にこそ相応しい物ではないかと」

「じゃあ、耳飾りと首飾りはそれにいたします」


購入の手続きを終えると箱にしまわれた装飾品たちをサリーが受け取った。決めるのに時間がかかっていたからもうお茶の時間になっていた。


今日はお母様はお茶会に呼ばれていていないから、1人で中庭でお茶を飲む。

中庭にある東屋へ行ってサリーが淹れてくれたお茶を飲みながらお菓子を食べる。至福の一時だ。

秋になって少し涼しい日が続いていたけれど、今日は暖かい。心地よい風に吹かれながらぼんやり庭を眺めていると話し声が聞こえてきた。

声のする方を向くと、お兄様と紺色の髪に深緑の瞳の青年がいた。見たことがない人だけど、お兄様の友達かな。それにしても綺麗な人だな。お兄様も顔立ちが整っているけど、青年はその比じゃないくらい顔立ちが綺麗だ。

見惚れていると、お兄様が私に気付いてこっちへ歩いてきた。


「私たちも一緒にお茶をしてもいい?」

「もちろんです」


私が頷くとサリーがすぐに食器を取りに行った。お兄様と青年が東屋へ入ってきて腰を掛けた。


「ステラ、こちらはベルヴァディス公爵家のジークフリート様だ」

「初めまして、ステラ嬢」

「お初にお目にかかります。ステラ・エリセントです」

「そう堅くならなくていい。兄の友人くらいに思って接してくれる方がこちらも楽だ」

「はい」


ジークフリート様はお兄様と同じ20歳で、学園に通っていたときの同級生らしい。お兄様もジークフリート様も共に王子に仕えているから未だに交流があってこうして仕事が早く終わった日や休日は時々お互いの家に遊びに行くことがあるらしい。私が知らなかっただけで私がこの屋敷に来てからも何度か来ていたらしい。ちょうど勉強をしていたりお母様とお茶をしていたりで顔を合わせることはなかったけれど。


「ステラ、勉強はどう?」

「貴族の家の関係や傍系王族などに与えられる役職などが複雑で面白いです」

「面白いと思えるのはいいね。私の周りだと複雑すぎて覚えられないから勉強する気が失せるという声が多かったから」

「どうして私を見る」


ジークフリート様がお兄様を睨むとお兄様はケラケラと楽しそうに笑った。こんな楽しそうなお兄様を見るのは初めてだ。本当に仲が良いのだろう。

話しているうちにサリーがお茶とお菓子を用意してくれた。そこから話題は婚約話になった。貴族は早ければ私くらいの年齢でも婚約している人もいるそうだ。


「父上と母上も10を過ぎた頃に婚約をしたそうだからね」

「ですが、お母さんは学園を卒業してもしてなかったのですよね?」

「そうだね」


私とお兄様の会話にジークフリート様が意味がわからないという顔をした。そうか。ジークフリート様は私とお兄様が実の兄弟ではなく従兄弟同士だということを知らないんだ。

もしかして言ってはいけないことだったのかと慌てて口を手で塞いでお兄様の顔を見上げると優しく微笑んだ。


「ジークフリートには話しても大丈夫だよ。お祖父様に許可は取ってあるから。だけど、社交界では私とステラは実の兄弟という設定だから気を付けてね」

「はい」


お兄様がジークフリート様に事情を説明すると納得するように頷いた。お母さんがお父さんと結婚するために駆け落ちしたことは知られているらしい。お母さんにそっくりな私は平民の子だと言われて辛く当たられてしまうかもしれないからあくまでも私の両親はお母様とお父様だと周知することで私自身を守ることに繋がるそうだ。


「そう言えば、お兄様はご婚約されていませんよね?お父様が早くにご婚約されているのにどうしてお兄様はご婚約されていないのですか?」

「私はジークフリートが婚約するまで婚約しない」

「ジークフリート様もご婚約されていないのですか?どうしてですか?」

「ギルベルトが婚約しないからだ」


このままだと二人ともいつまで経っても婚約しなさそう。お母様が嘆いていた理由が分かるような気がする。


「お二人とも人気がありそうなのに、婚約の申し出があったりしないのですか?」

「………ないね」


お兄様の言葉にジークフリート様も頷いた。だけど、この間は絶対に婚約の申し出がたくさん来ている。まあ、好きでもない人と婚約するのが嫌なのかな。お母さんもそれが嫌でお父さんと出会う前も婚約話を断っていたのかもしれない。


「ステラも婚約話が上がるようになったらこの面倒さが分かるようになるよ」

「そういうものなのでしょうか」

「そういうものだよ」


お茶を終えてお兄様と一緒にジークフリート様を玄関まで見送った。



次のダンスの練習の日。復習した甲斐があったのか、表情管理に関してはとても褒められた。だけど、ディオーナ先生の足をまたしても踏んでしまった。私は自分のステップに必死になりすぎて相手と呼吸を合わせることができていないらしい。


「大切なのは相手の足元ではなく目を見て顔を合わせて踊ることです」

「はい」


先生の助言通りにすると足を踏まなくなった。踏んでしまわないようにと足元を見ていたけれど息を合わせれば2人とも同じ歩幅でステップを踏んでいるから足を踏むことはないようだ。



秋と冬の境目に、ドレスが完成した。もう十日で社交界デビューの日が来る。ドレスが思っていたよりも時間がかかってしまったけれど間に合ってよかった。

出来上がったドレスを着て一度だけ踊る練習をすることにした。もうすっかり先生の足を踏まなくなって、注意されることよりも褒められることの方が増えていった。


「お嬢様は吸収が早いので教え甲斐がありますね」


相変わらず表情一つ変えずに言うからお世辞なのか本心なのかは分からないけれど、嬉しいので笑顔でありがとうございますと返す。

すると、ほんの少しだけ口角の端っこが上がった気がした。


「ディオーナ先生!今、少しだけ笑いましたか?」

「そんなわけがありません」

「そうですか?わたくしには笑っていたように見えたのですけれど。ディオーナ先生。………先生は、どうしていつも無表情なのですか?」

「幼い頃から笑えないのです。少々複雑な家庭環境で育ちまして、表情が乏しいのです。ですが、もしわたくしが笑っていたと言うのならお嬢様のお陰でしょう」


ようやく先生の無表情の謎が解けた。だけど、先生はさっきも今もやっぱり少しだけ笑ってくれている。

今日はダンスの練習の最終日。

最後の最後に先生の笑った顔を見られてよかった。


「ディオーナ先生、ありがとうございました」

「仕事ですから。それでは失礼いたします」


あっさりとした別れだけど、先生らしい。


先生を見送って自室に戻ると、お母様が呼んでいるとサリーから知らされた。お母様のところへ行くと真剣な顔で待っていた。

促されて向かい側の席に座ると、お母様は話を切り出した。


「エスコート相手を決めなければならないのだけど、旦那様とギルベルトのどちらを選びますか?」

「どちらを選ぶのが正解ですか?」

「そうですね。ギルベルトでしょう。ですが、ギルベルトは婚約相手を探さなければなりません。あなたをエスコートすればしばらく婚約するつもりがないと言っているも同然です」


つまり、お父様を選べと言われているようなものだ。私は別にお兄様でもお父様でもいいからお母様がお父様を選んでほしいのなら私はそっちを選ぶ。だけど、わざわざ訊いてくるのは私がお父様を選べばお兄様と仲が悪いという印象を持つ貴族も出てくるかもしれないからだそうだ。


お母様は深くため息を吐いてお茶を一口飲んだ。それと同時に扉が叩かれた。お母様が返事をすると入ってきたのはお兄様だ。お母様は鋭い目付きでお兄様を睨んで扇子を広げた。


「母上、そんな怖い顔をなさらないでくださいよ」


お兄様がヘラヘラと笑うとお母様は扇子をピシャリと閉じた。


「貴方のせいよ!貴方が婚約話を受けていればわたくしがこんなに悩むことはなかったのよ!」

「まあまあ、母上。落ち着いてください。私はまだ20歳になったばかりですよ。まだまだこれからです。というわけで、ステラのエスコートは私がします。ステラはいいよね?」

「はい」

「今回は仕方ないですが、ギルベルト。貴方はもう少し跡取りとしての自覚を持つように」

「かしこまりました」


無事にエスコート役も決まり、あとは当日が来るのを待つだけだ。


夕食を終えて部屋へ戻ると窓から満天の星空が見えた。今日は新月だとサリーが朝言っていた。月の明かりがないお陰でいつもより星がよく見える。


そういえば、街にいた頃にエドガーと母と天体観測をしたことがあった。確か、エドガーが街の図書館で古い天体の図鑑を読んだ日の夜だった気がする。



 〜〜〜〜〜〜



その夜も新月で広場には満天の星空が広がっていた。


「そういえば、ステラの名前って星って意味なんだよな?」

「そうよ。地上と星くらい離れていてもずっと見守っているよって気持ちを込めてステラのお父さんが名付けたのよ」

「お父さんが?」

「ええ。だからね、寂しかったら空を見上げてみて。お父さんが見守ってくれているから。もちろん、エドもね。悪さをしたらお父さんがエドのお母さんやお父さんに報告しちゃうかも」

「え〜!それは困る!」


エドガーが慌てる様子に母も私もつい笑ってしまった。


母が亡くなった日、エドガーが自分よりも泣く私を見て励ましてくれた。


「おばさんは俺たちからは見えなくなっても、今も見守ってくれてるはずだ。ほら、空を見てみろよ。これだけ晴れてりゃおばさんもステラの父さんもステラのことよく見えてるぜ、きっと」


エドガーは涙を堪えるように笑って私の方を見た。空を見上げると満天の星が広がっていた。確かにこれならよく見える。

両親そろって見守ってくれているだろうか。

いや、きっと母は、父との再会に喜んで私を見守りながらも父にたくさんこれまでの話をしているだろう。


「お母さん、お父さんと再会できてるよね」

「ああ。絶対できてる」

「うん」




 〜〜〜〜〜〜



懐かしい。

今も、父も母も私のことを見守ってくれているといいな。社交界デビューを失敗しないように、直前までダンスだけでなく挨拶やその他の所作の練習も頑張ろう。

だから、お母さん、お父さん、見ててね。

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