料理長
エリセント侯爵家の養子になって20日が経った。少しずつ、呼び名にも言葉遣いにも慣れてきたけど気を抜くと言葉遣いが乱れてしまう。今はお兄様とお母様を相手に貴族女性らしい言葉遣いを練習している。お兄様は王宮に勤めていて休日しか相手をしてもらえないから大半はお母様とお茶をしているだけだ。
毎日毎日お茶をするのにも飽きてきたけれど、この屋敷のお菓子はすごく美味しいから頑張れる。
今日はヴィカというしっとりとしながらもふわふわな焼き菓子を食べた。これまでに食べたことがないお菓子だったのでどうやって作っているのか見せてもらおうと思ってお母様とのお茶が終わるとすぐに自室に戻った。
ドレスを汚してしまうわけにはいかないから、街から持ってきたワンピースに着替えてエプロンを付けてお菓子を作る道具を持って調理場へ向かった。
調理場へ顔を出すのは今日が初めてだ。どんな人がいるかすら分からない。
調理場の中を除いていると、お父様と同じ年くらいの男と目が合った。男は驚いたような顔をしてこちらへ歩いてきた。
「あなたが、ステラお嬢様ですか?」
「はい。初めまして」
「お初にお目にかかります。私は料理長のヘンリックと申します。それで、お嬢様がどうしてこちらに?」
私はヘンリックの顔を見上げてお菓子の道具を見せた。
「あの、ヴィカの作り方を見てみたくて。私、街ではお菓子を作るのが趣味だったの!だけど、ヴィカのようなお菓子は食べたことがなかったからどうやって作ってるのかなって」
いけない。興奮して口調が乱れてしまった。お母様に見られたらもっと美しく整った言葉遣いをしなさいと言われてしまうところだった。慌てて口を手で塞ぐとヘンリックが急に笑い出した。
驚いて顔を見上げると、申し訳ないと言って私の顔を見下ろした。
「お嬢様はセリーナお嬢様にそっくりだと思っていたが、そういうところは父親譲りなんだなと思いまして」
「お父さんを、知ってるんですか?」
「ああ。知ってるも何も、お嬢様の父親は私の弟子でここで働いていたからな」
私の父が街では料理人をしていたのは母から聞いていたから知ってたけど、その前のことは聞いたことがなかったから知らなかった。一度だけ尋ねたことがあるけれどまた今度話すねと言われたきり話してくれなかったから、聞いてはいけないことだと思って聞かないようにしていた。
「父の話聞かせてください。わたくし、会ったことがないのです。物心がつく前に亡くなったので」
「あいつは、そんな早くに亡くなっていたのか。では、俺が知っていることを話しましょう。」
見習いの料理人がヘンリックと私の分のお茶を用意してくれて、調理場の端にある席に向かい合って座った。
「お嬢様の父親、レオは17のときにここに弟子入りに来た。向上心も根性もあるやつで雑用ばかりやらせていたが、すぐにスープを任せるくらい腕の立つやつだった」
〜〜〜〜〜
「料理長!新作です!味見してもらえませんか?」
「ああ。これだと、素材の主張が強すぎる」
「野菜を煮詰めて、鶏は炒めてから入れてみようか。いや、鶏の出汁をとって、野菜を炒めた方が……」
レオはそうやってどんどん新しいレシピを俺に味見させてきた。料理人としての腕は良かったが、変なところで冒険心を出すやつだったから時々物凄い味のものを持ってくることもあった。不味いと分かっていながら持ってくるようなまだ悪戯心のある青年というより少年に近い男だった。
そんな男も、修行に来て2年が経つとスープだけじゃなくて簡単なお菓子も作れるようになっていた。その頃だったと思う。セリーナ様に正式に縁談が持ち込まれたのは。セリーナ様はずっと縁談を断り続けていた。空色の美しい髪に紺の瞳を持つお嬢様は貴族子息たちから絶大な人気を誇っていた。だけど、どんな貴族相手にもお嬢様はなびかなかった。俺が知らなかっただけで、その頃にはもう、レオとお嬢様は恋人だったのだろう。
ある日、レオが仕事を辞めたいと言い出した。理由を聞いても辞めたいの一点張りだった。これまでずっと仕事熱心だったレオが急にそんなことを言い出すから意味がわからなかった。今思えば、セリーナお嬢様の婚約式の日取りが決まる頃だった気がする。
レオは最後まで真面目な男だった。自分が抜けても上手く回るように、ちゃんと後進を育て上げていたのだ。
仕事を辞めると言った日の夜、レオとお嬢様が屋敷から姿を消した。お嬢様の兄のレインハルト様は探しに行こうとしたけれど、侯爵様はレインハルト様を引き留めた。なんて冷たい父親なんだと思った。娘が駆け落ちしたというのに、探しもしないなんてと。だけど、違った。侯爵様はお嬢様の意思を尊重したんだ。貴族としては結ばれない運命だった2人を見逃した。そもそも、そうでないと2人は屋敷を出られなかったはずだ。
門の前には毎晩守衛がいる。だけど、その夜は侯爵様の言い付けで守衛は休みで代わりにお嬢様の護衛騎士2人が立っていた。その2人に最後の別れをさせてあげるためのようだった。
それから、2年ほど経ったある日、一通手紙が届いた。ステラお嬢様の誕生の知らせだった。その日は屋敷に仕えてる者みんなでステラお嬢様をお祝いした。料理も豪華な物を用意して侯爵様たちも俺らも皆で生誕祭を行った。
〜〜〜〜〜
「俺が知っているのはこれくらいだ。って、お嬢様!?大丈夫ですか?」
「大丈夫、です。父の話が聞けて良かった」
お母さん、お父さんのこと大好きだったんだ。それに、お父さんも。しばらくして落ち着いて涙を拭った。
ようやく本題に入る。ヴィカの作り方を教えてもらう。料理長は何種類かの粉の袋を取り出してカップで分量を計って入れていく。
「それは、小麦粉?」
「はい」
「それでこっちは?甘い香りがするけどドゥーエとは違う物ですよね?」
「これは砂糖です。ヴィカなどのスポンジ生地の焼き菓子はこの砂糖がないと作れません。クッキーやタルトなどはドゥーエでも作れます」
ドゥーエとは、ドゥチェルというすごく甘い果実を一度凍らし、それを解凍してから一月ほど干して粉末状にしたものだ。料理の味付けやお菓子を作るのに使う。砂糖も同じ用途らしいけれど、焼き菓子を作るときの効果が違うらしい。
「スポンジ生地を作るときに卵白を泡立てたメレンゲを使う。そのメレンゲの泡を維持するのに砂糖が必要なのです。それと砂糖を入れることで生地がしっとりと仕上ります」
「なるほど。砂糖が大事なんですね」
「はい。ですが、高価なので貴族か富豪の屋敷でないと砂糖は使われていないと思います」
それから工程を一通り見せてもらった。結構大変な作業だ。お菓子作りに体力が必要なのは知っているけれど、スポンジ生地のお菓子は混ぜる工程が多いから余計に大変そうに感じる。だけど、これを作ってみたい。作れるようになりたい。
私はヘンリックの顔を見上げた。
「ヘンリック。いえ、料理長。わたくしを弟子にしてください!」
すると、料理長は驚いたように目を見開いた。今のうちに押さなければ。
「お願いします!わたくしも、スポンジ生地のお菓子を作れるようになりたいんです」
「お嬢様、本当にそういうところはレオにそっくりだ。分かりました。だが、弟子ってなると俺は容赦しない。たとえ、相手がお嬢様だろうと。それでもいいのか?」
「はい!」
「分かった」
その翌日から2日に一度ほどの頻度で調理場へ行くようになった。見学ばかりさせられる日もあれば、粉を振るう作業をずっとする日もあった。
私が調理場に通っていることを他の誰にも気取られぬようにしているため長時間いられないせいもあって、ケーキの焼き上がりまでいられないときがほとんどだ。味見がしたいのに、全然できない。お母様とのお茶会で食べられる量はほんの2口ほどの大きさだからもっと味わいたいのに。
だけど、仕方がない。お母様にバレてしまったら、お菓子作りをする暇があるならお作法の勉強をしなさいと言われてしまうだろう。
今日もお母様に教わりながら言葉遣いやお作法の練習を終えてから調理場に向かった。今日は時間が空いているから、ようやく一から全て作らせてもらえる。ワンピースに着替えてエプロンを持って調理場の扉を開けようとすると、後ろから名前を呼ばれた。
「お、お兄様!どうしてこちらに?お仕事は終わったのですか?」
「ああ。ステラこそどうしてそんな格好で調理場に入ろうとしているのだ?」
どうせ何を言ったって誤魔化せないだろうから、簡単に事情を説明した。
「お母様には内緒にしててください!今日で最後なので!」
ヴィカを作ってみたかっただけだから、今日で目的は果たせる。恐る恐るお兄様の顔を見上げると私の頭に手を置いて優しく微笑んだ。
「母上には言わないから安心して。そのかわり、見学させてくれないか?」
「もちろんです。あ、料理長の許可を得られればですが」
「それで構わないよ」
料理長も驚きながらも許可をしてくれて、早速ヴィカを作る準備をした。粉類は先にふるっておいて、窯は温めておく。
下準備を終えると、卵を泡立ててからふるった粉類を加えて再び混ぜる。完全に混ぜ終えると、型へ流して窯へ入れた。あとは焼き上がるのを待つだけだ。
一息ついて椅子に座ると、お兄様は感心したような顔で私を見ていた。
「ずいぶんと手慣れているな」
「街にいた頃はよくお菓子を作っていましたから」
「趣味ならこれからも続ければ良いのではないか?母上に止められたら私からも進言するよ」
「お心遣いに感謝しますが、趣味と言うほどではないので遠慮します。ヴィカのような焼き菓子を食べたことも作ったこともなかったので自分でも作ってみたかっただけなのです」
「ステラは好奇心が旺盛なんだな」
ヴィカが焼き終わると、型から出して皆で仰いで冷まして小さく切り分けた。本当はゆっくり冷ます物だけどそんな時間はないから急いで冷ます。小さい型で焼いたから料理長と料理人たちとお兄様と私の分で切り分けると、一口ほどの大きさになってしまった。まだほんのり温かいヴィカを口に運ぶと甘い香りが口いっぱいに広がった。料理長の腕には負けるけれど、すごく美味しい。
「美味いな。菓子職人が作ったと言われても疑わないくらいだよ」
「ありがとうございます、お兄様」
食べ終えて片付けも終えると料理長にお礼を言った。早く戻って着替えないと夕食の時間になってしまう。エプロンを外してすぐに部屋に向かった。部屋に行くまではお兄様がこの格好のまま私とお母様が鉢合わせないように見張ってくれた。本当に優しいお兄様だ。
ドレスへ着替えると広間へ行った。お祖父様とお父様とお母様とお兄様。全員揃って夕食を食べ始めた。
夕食を終えて食後のお茶を飲んでいると、お祖父様がお母様と目配せをして頷くと私の方を見た。
「ステラ、冬の始まりにある舞踏会に社交界デビューをすることになった。それまでにダンスを踊れるように明日からダンスの練習に励むように」
「ダンスなんてしたことがありません」
「案ずるな。すでに腕のいい講師を雇っている。ステラは飲み込みが早いからすぐに上達するだろう。季節1つ分ほどの時間があるのだから心配はいらない」
舞踏会のダンスってそもそもどんなものなのか分からないなんて言えなくて分かりましたとだけ答えた。街に来ていた踊り子たちの踊りとは違うのだろうということくらいは分かるけれど、こんな知識しかないのに本当に上手くなれるのかやっぱり不安だ。
今は夏の終わり。冬の始まりまで確かにまだ季節1つ分ある。長いのか短いのか分からないけれど、頑張ってみよう。自分で貴族になる道を選んだのだから。




