婚約者
ジークフリート様に借りたコートは、昨日のうちにサリーが手入れをしておいてくれた。
お昼にお祖父様のところへ行って昨日分かったこと話した。
父が生きていたこと、記憶喪失になっていたけれど今はもう記憶を取り戻したこと、王宮で料理人として働いていること、私はエリセント侯爵家に来てここで料理人をしてほしいと思っていること。
祖父はとても驚いた様子だったけれど、少し複雑そうな表情で父が我が家で料理人として働くことを許可してくれた。
私のお願いはなるべく全て叶えたいのだそう。
きっと、父もここへ戻ってくるのは複雑だろうけれど私が来てほしいと頼んだから来てくれるのだろう。甘やかされていることに気付いて少し申し訳ないような嬉しいような気持ちになる。
だけど、春からは父と同じ屋敷で暮らせるようになるんだ。
手紙を書いて魔法で父に送った。
そういえば、貴族のように魔力を持つ人が対象でないと手紙が届かずに帰ってくるんだった。
だけど、いつまで経っても手紙は戻ってこない。もしかしたら、母の手紙に涙が滲んだ跡があったと言っていたからその魔力に反応して届いたのかもしれない。
返事はエドガーを通してジークフリート様を通して私に送ってくれるように頼んだ。
ジークフリート様は仕事が長引いているのかもしれない。お兄様もジークフリート様と同じ殿下の補佐官だけどまだ帰ってきていない。
夕食を済ませて湯浴みをした。さすがにパジャマで会うわけにはいかないからワンピースに近い室内着に着替えて本を読んでジークフリート様が来るのを待つ。
本を四分の一ほど読み終わった頃、侍女がジークフリート様と一緒にお兄様が帰ってきたことを知らせてくれた。サリーにコートを運んでもらって一緒に広間へ向かう。
「ジークフリート様、お仕事お疲れ様でした」
「ああ」
「あの、お兄様は?」
「息子と夫人に会いに行った」
お客様であるジークフリート様を置き去りにするなんて。まあ、珍しい客というわけでもないから特に困ることはないけれど。
コートを返してお茶を淹れようかと訊ねると、結構だと断られた。あまり長居をするつもりはないらしい。
「ステラ、この魔法具に魔力を込められるか?」
「可能ではありますが、どうしてですか?」
「少し、調べたいことがあるんだ」
私は言われた通り、ジークフリート様に差し出された魔法具に魔力を込めた。
体にある魔力の三分の一くらい込めた気がする。これでやっと魔法具の容量が満たされた。
「何を調べるかは結果が分かった時に一緒に言う。それまで待っていてくれるか」
「はい」
「悪いな」
ジークフリート様を見送って自室へ戻った。なんだか、夜に会うのが新鮮でいつもより心拍数が速い状態が続いていた気がする。
それからあっという間に時は過ぎ、冬の終わり、婚約式の日がやって来た。
生憎、父は王宮での仕事があって見に来られないそうだけれど婚約式は貴族にお披露目するものだから仕事が休みでも見れたかどうかは分からない。
ジークフリート様の象徴の色である紺の宝石のイヤリングやネックレスをつけて、ドレスも少し明るめの紺色のものだ。レースが何重にもなっていて綺麗なだけでなく防寒にもなる。
そこに白い手袋をつけて右手の中指にリングをつける。貴族令嬢が社交界において婚約者がいるのでと殿方からの誘いを断るためのものだ。
ドレスからリングまで全てジークフリート様から贈ってもらったものだ。私は手袋しか贈っていないからなんだか申し訳ない。女性側は何か一つだけ贈り物をして、男性側は女性側の身に付けるもの全てを準備するというのが貴族の風習らしい。
準備が整い、ジークフリート様が控室へやってきた。
私の瞳に合わせて金の糸で刺繍が施された黒いコートを羽織って、金のボタンの付いた黒いベストも中に着ている。
いつも素敵だけど、今日は本当に美しいという言葉をそのまま擬人化したのだと確信してしまうほどだ。
思わず見惚れていると、ジークフリート様が私の顔を覗き込んだ。急に距離が近くなって驚きと緊張が一気に込み上げてくる。
「どうか、されましたか?」
「いや、本当に綺麗な顔立ちをしているなと思って」
「急にどうしたのですか?」
「私の中でステラはずっと初めて会った時の見た目で止まっていたが、色々な人に言われたんだ。ステラのような美しい令嬢と婚約なんて幸せ者だなと」
それはむしろ私の台詞だと思う。ジークフリート様に憧れている令嬢なんて数え切れないほどいる。ただ、対応が冷たいと言われているから婚約したいという令嬢がいるかは分からないけれど。
頭の中でそんな考えていても、それよりも綺麗と言われたことへの嬉しさが上回ってきて情緒がおかしくなってしまいそうだ。
「ジークフリート様、ステラ様、皆様お揃いになられたそうです」
ジークフリート様の側近に言われて何とか切り替えた。
会場の扉の前まで向かって、入る前に恐る恐るジークフリート様の腕に手を回した。歌劇を観に行った時にエスコートしてもらったけれど、その時はまだ婚約していなかったからこうして腕を組むのはこれが初めてだ。
緊張が表情に出てしまわないように気を引き締める。
ジークフリート様が頷くと、ヘルヴァディス公爵家の侍女が扉を開いた。
入場すると、ざわざわと騒がしくなった。きっと皆、ジークフリート様の美しさに感嘆の声を漏らさざずを得なかったのだろう。
婚約式とは言っても既に婚約の書類は提出しているため、披露パーティーみたいなものだ。
初めに来客に向けた挨拶をして、そこから個人的に挨拶に回っていく。特に、ジークフリート様のお仕事関係の人たちには失礼な態度を取ってしまわないように特に注意を払わなければならない。
「こちら、王宮の財務部で財務官長をしていらっしゃるヨハネス様だ」
「お初にお目にかかります。ジークフリート様の婚約者のステラ・エリセントと申します」
ヨハネス様と同じ部署の文官の方や事務文官の方が集まってきてそれぞれに挨拶をした。彼らは自分の娘をジークフリート様に嫁がせようとしていたらしく、改めて断るためにわざわざ親しくもないのに挨拶をすることにしたそうだ。
「ステラ様は確かセリーナ様の娘だとお聞きしたのですが」
「はい、」
「いやあ、こんなにお綺麗なお嬢さんだったとはな」
「さすがセリーナ様の娘だな」
ありがとうございますと微笑むと、ヨハネス様の部下のフリッツ様がにやにやとした顔でジークフリート様と私の顔を見比べた。
「まさか、ジークフリート様が年の離れた未成年の令嬢と婚約するなんて誰が想像できたでしょう。通りでどんな令嬢との婚約話も蹴っていたわけだ」
つまり、フリッツ様はジークフリート様が私と婚約したのは子供が好きで、私が未成年の子供であるからだと言いたいのだろう。
そんないい加減なことを言われたからと怒ってはいけない。ジークフリート様の婚約者として、それくらい笑顔で受け流さないといけない。頭では分かっているけれど気持ちが追いつかない。
ふざけないで!と叫びたかったけれど、何とかその言葉は飲み込んで笑顔を作った。
「ジークフリート様にそのような癖があったとは存じ上げませんでした」
「フリッツ!失礼なことを言うのではない!」
だけど、フリッツ様はヨハネス様に止められながらもやめない。
「ステラ様も失望なさったのではありませんか?」
ケラケラと笑うフリッツ様に流石に我慢の限界が来て口を開こうとすると、ジークフリート様が私の前に手を伸ばして制止した。顔を上げると、ジークフリート様はフリッツ様を睨みつけていた。
「フリッツ殿、ここは祝いの場だ。申し訳ないが其方はこの場に相応しくないと判断した。今すぐこの場を去ってくれ。そうでなければ実力行使とさせてもらう」
ジークフリート様のいつもより低い静かな声に怯えたのか、フリッツ様はすぐに帰っていった。
フリッツ様が帰ると改めてヨハネス様に謝罪をされた。だけど、ヨハネス様はむしろ庇ってくれたから気にしないでほしいと伝えた。
ヨハネス様曰く、フリッツ様はジークフリート様と同い年で学園時代からずっとジークフリート様に嫉妬心を抱いていたらしい。だけど、社交界で話題になった私と婚約したことでその嫉妬心がさらに悪化したのだろうと言うことだ。
どんな人でも誰かに嫉妬してしまうことはあるかもしれない。少し当たってしまうことも。それでも、さっきの言葉は度が過ぎている。私がジークフリート様に失望なんてするわけがない。
というか、8歳差なんて貴族の婚約なら当たり前に存在してるし、10歳くらいの時に一回りも離れた男性貴族と婚約することもあるのに。
怒りがなかなか収まらずにいると、ジークフリート様が私の手に触れた。
「ステラ、あまり気にするな」
「ですが」
「あいつの言葉に傷付くなど時間の無駄だ。挨拶は一通り済んだからヘンリエッタと話してくるといい。向こうで待っていたぞ」
「ありがとうございます」
ジークフリート様の言う通り、あんな人の言葉に振り回されるなんて時間の無駄だよね。
ヘンリエッタ様と合流して、お祝いの言葉をもらった。
「そういえば、殿下はどちらへ?先程までヘンリエッタ様と一緒にいらっしゃったのに」
「ステラ様がこちらへ来られたので、ギルベルト様と一緒にお兄様をからかいにいかれました」
「殿下らしいですね」
苦笑しながら、周りを見る。
ロゼッタがいないのがなんだか落ち着かない。子爵家の娘であるロゼッタはこのパーティーに参加していない。招待状は送ったけれど、ジークフリート様の知り合いばかりが集まったパーティーだと、どうしても高位の貴族ばかりになってしまう。
それでもロゼッタは行きたいと言ってくれたけれど、ロゼッタの両親はそれを許さなかった。そのため、昨日の晩にお祝いの手紙を贈ってくれた。今度、ロゼッタに改めてジークフリート様を紹介しよう。
「そういえば、あれからお兄様と何か進展はありました?」
「わたくしのことを1人の女性として意識してくれるようにはなりました。それと、『綺麗な顔立ちをしているな』とジークフリート様に初めて褒められました」
「ステラ様のお美しさに気付くのが遅すぎますわね、お兄様は」
「美しいかどうかは分かりませんが、ジークフリート様の中でわたくしは初めて会った12歳の外見で止まっていたようです」
ヘンリエッタ様は少し困ったように微笑んでジークフリート様に視線を向けた。ジークフリート様は鈍感すぎて困るとヘンリエッタ様は言うけれど、今は鈍感というよりも、私のことを身内に入れてくれていたのだろうと思う。身内からの好意は家族愛に似たものだと考えても仕方がないと思う。
ジークフリート様は私の事情を一番初めに知っていたにも関わらず、蔑んだりせず優しく接してくれていたし貴族の常識を教えてくれたりもした。だから私はジークフリート様のことを好きになったのだろう。
「あ、いけない。わたくし、パーティーが始まってから奥様と旦那様に挨拶に行くのを忘れていました」
「お父様とお母様は珍しくパーティーに参加されたせいでパーティー開始後すぐから囲まれていらっしゃいましたからね」
「はい。ですから、ご挨拶に行ってもよろしいでしょうか」
「ええ。わたくしもご一緒します」
ヘルヴァディス公爵と夫人は相変わらず人に囲まれていたけれど、婚約者の両親に挨拶をしないわけにはいかないので周りにいた貴族たちに話す順番を譲ってもらった。
公爵は仏頂面で祝いの言葉を告げるだけで、夫人がそこに付け足すように私のドレスやアクセサリーを褒めてくれる。やはり、ジークフリート様は公爵に似たんだろうな。
話題は変わり、学園についての話になった。
私は春から4年生になる。4年生からは役職別の授業が始まる。私は事務文官を選んでいたけれど、ジークフリート様と婚約したことで補佐官候補に移ることになった。
公爵家の長男であるジークフリート様と婚約したことで私は次期公爵夫人がほぼ確定した。そして、ジークフリート様は殿下の補佐官を務めているので、ヘルヴァディス公爵家の仕事との両立は一人では大変だ。だから私はジークフリート様の補佐をできるようになるために補佐官の授業へ選択し直すことになった。
「王宮で働きたい夢などがあったなら申し訳ないわね」
「お気になさらないでください。わたくしが事務文官の授業を選択したのは、どの仕事に就いても活かせると思ったからです」
王宮で働きたいとは考えたこともなかった。だから、授業内容が変わることに特に不満はない。補佐官は少し難しいと聞いているからその辺りは少し不安ではあるけれど、魔法系教科以外の勉強はそこまで苦手ではないのできっと大丈夫だろう。
婚約式もお開きとなり、招待客たちを見送ってジークフリート様と一緒に控室に戻った。
すごく疲れた。一日で一週間分の疲れが来たくらいだ。
「さすがに疲れたな」
ジークフリート様もそうらしく、襟元を緩めてソファに腰掛けた。
「お疲れ様です。サリー、お茶をお願い」
「かしこまりました」
お茶を二杯淹れてもらって少し距離を空けてジークフリート様の隣に座る。
「ステラ」
「はい」
「何か嫌な噂を聞いたりはしなかったか?」
ご婦人たちの噂のことだろう。
私はラウレンツ様と、ジークフリート様はレモニー様との婚約を破棄しての二度目の婚約になる。しかも、ラウレンツ様に至っては次の婚約をしないせいで私にまだ未練があると思われている。面倒なことになるだろうからと、ラウレンツ様はこの式に招待しなかったのが悪い方向に働いてしまったらしい。
私とジークフリート様がお互いに婚約者がいる時から密かに想いを通わせていたのではないかと言われている。それだけでなく、私がラウレンツ様からジークフリート様に乗り換えた軽い女だとも噂されている。
別に他の噂なんてどうでもいいけれど、ジークフリート様と密かに想いを通わせていたということだけは事実であってほしかった。
そんな本心は隠して私は首を傾げた。
「噂、ですか?」
「……知らないならいい」
ジークフリート様は一瞬間を置いて私の目をじっと見てからそう答えた。もしかしたら知らないふりだとバレたのかもしれない。
私、結構表情を取り繕うのが上手いはずなのに。
「ジークフリート様は心を読めるのですか?」
「そんな能力はない」
「そうですよね」
もっと鍛えないと。どんな時も常に平常を保てるように。フリッツ様のように嫌みを言ってくる人もいるだろう。それでも、冷静に対応できるようにならないと。
なんと言っても私は次期公爵の婚約者なのだから。




