帰省
3ヶ月ぶりにエリセント侯爵家に帰ってきた。
お祖父様は私の帰りをとても待ち遠しくしてくれていたようで、帰ってきた初日はおかえりパーティーを開いてくれた。私の好きな料理を用意してくれたり、夏用のドレスや髪飾り、帽子をプレゼントしてくれた。
3ヶ月経ってもお祖父様もお母様もお父様も変わらず優しく出迎えてくれた。だけど、お兄様だけが少し違った。表面上は3ヶ月前と変わらないけれど、心ここにあらずというか話し掛けてもぼんやりしていることが多い。
お兄様らしくなくて少し心配だ。
だけど、その理由がようやく分かった。
「求婚された!?」
私の取り乱した様子に少し驚きつつも、リンデは頷いた。
「は、はい。この間行われた舞踏会でロアニエト公爵子息がわたくしに婚約してほしいと」
しかも、よりにもよってロアニエト公爵家の子息だなんて。ロアニエト公爵は現国王陛下の弟君が王室を離れる時に与えられた爵位で、ロアニエト公爵子息はルクレシオ殿下の従兄弟にあたる。そんな相手からの求婚は、本人の意思がどうだろうと家族からすれば引き受けさせたいだろう。
リンデも父親から全く振り向かない相手を追うよりも、自分を好いてくれている相手の求婚を受ける方が幸せになれるのではないかと諭されたそうだ。
「最近は、ギルベルト様がわたくしに少し興味を持ってくれているように見えるのです。ですけど、求婚の話を知っても尚ギルベルト様は何も変わりません。自惚れだったのでしょうか」
リンデは目を伏せて小さくため息を吐いた。だけど、自惚れなんかじゃないと思う。事実、お兄様はこれまでに見たことがないくらい話し掛けても食事中もずっと上の空だ。リンデの求婚の話を知ってからだとお母様が言っていたから求婚の話に動揺しているのは間違いないと思う。
リンデを見送って自室に戻る途中、応接間にソヴェルが入っていくのが見えた。
「ソヴェル、お兄様にお客様が来ているのですか?」
「ジークフリート様がいらっしゃっています」
「わたくしもご一緒してもよろしいか確認していただけませんか?」
「承知いたしました」
ソヴェルがお兄様たちに確認をすると許可が出たようで応接間の扉を開けてくれた。少し緊張しながら中に入ると前の前の冬以来のジークフリート様がいた。見た目は特に変わった感じはしないけれど、雰囲気が変わった。なんだか、前よりも人を信用しない目をしているように見えて少し怖い。
「お久しぶりです、ジークフリート様」
「ああ。見ない内に随分と背が伸びたな」
「1年半以上経ちましたからね」
前まではジークフリート様の胸の真ん中辺りに頭があったけれど、顎の下くらいにある。この1年でドレスも部屋着もどれもサイズが合わなくなって全て買い直した。まだ成長は止まっていないらしく、少しずつ背が伸びてきている。お母さんが少し高い方だったから私も背が高くなるかもしれない。
「婚約者とは上手くやっているか?」
「はい。ご心配には及びません。学園内では憧れのカップルだなんて言われているくらいですから」
「それなら良かった」
ジークフリート様は表情1つ変えずにそう言うと、お兄様の方を見た。こんな情けないお兄様、見たことがない。どうしてもっと早く行動を起こしてなかったのだろうと少し呆れつつ、お兄様の向かい側に座った。
「お兄様は、リンデのことが好きなのですか?」
私の質問に力なく頷くとそのままテーブルに突っ伏した。いつもなら兄らしく格好をつけているというのに、そうでないお兄様を見ていると調子が狂う。
「私は、自分の気持ちに鈍いのかもしれない。ハイデリンデが、ロアニエト公爵子息に求婚されたのを聞いて初めて気持ちを自覚した」
お兄様の告白に少し驚いた。私はお兄様は自分の気持ちに気付いていたけれど意地を張って否定していただけだと思っていた。まさか、本当に無自覚でリンデのことを好きだったなんて。
「どうするのですか?リンデは引き受けるつもりはないと言っていましたけれど、リンデの家族は違います。特にお父上は求婚を受けることをお望みだそうです」
「……私と婚約するよりも好条件だ。ハイデリンデは子息の求婚を受けると誰もが思っている。私も、こんな鈍感な男と婚約するよりも子息のような紳士な男と婚約する方がハイデリンデは幸せになれると思う」
お兄様の言っていることは貴族として正しいのかもしれない。だけど、私からすればふざけるなと叫びたくなる。
「今日のお兄様は格好悪いです」
思わず口から出た言葉にお兄様もジークフリート様も驚いた顔をしていた。だけど、私は止まらない。
「お兄様に好きと言われるのと、子息と婚約するの。どっちがリンデの幸せかお兄様は本当に分からないのですか?これまでリンデが一生懸命伝えていた気持ちが伝わっていなかったのですか?」
お兄様はハッとしたように顔を上げて席を立った。
「ありがとう、ステラ。少し出掛けてくる」
「いってらっしゃいませ」
お兄様は急ぎ足で応接間を出て行った。
どうか、リンデとお兄様が良い関係を築けますように。
✽ ✽ ✽
「ハイデリンデ、またエリセント侯爵家へ行っていたのか?」
お父様が少し呆れた様子でわたくしの顔を見た。初めの時こそ『振り向かせたくなるくらいギルベルト様を愛しているなら、私は応援しよう』と言ってくれていたけれど、いつまで経ってもギルベルト様がわたくしに振り向かない様子を見ていい加減諦めて他の貴族子息と婚約するべきだと言われてしまうようになりました。
そして、先日のロアニエト公爵子息であるカルロス様から求婚されると『ギルベルト様は諦めてカルロス様と婚約しなさい。ハイデリンデには幸せになってほしいんだ。理解してくれ』と諭されるようになったのです。
カルロス様は素敵な殿方です。それでも、ギルベルト様への思いが揺らぐことはありませんし、こんな気持ちのままカルロス様の求婚を受けるのは誠実ではないと思います。
ですが、王子の従兄弟であるカルロス様と婚約することで我が家は財産や権力を得ることになります。一族の皆、特に叔父様や叔母様やお祖父様は私がカルロス様と婚約することを強く望まれています。
何が正解なのでしょう。
「ロアニエト公爵子息の求婚への返事はいつになったらするつもりなんだ?」
「……もう少し考える時間をいただいています。カルロス様はわたくしの意志が固まるまでお待ちくださると仰っていました」
「そうだとしても、なるべく早く返事をするように。いつまでも待たせるのは先方に失礼だ」
「承知しております」
1人になりたくて庭へ出ることにしました。
我が家の庭はもちろん庭師が手入れをしてくれているけれど、わたくしも植物が好きなので花壇の手入れをしたり季節ごとに花を植えて水をやったりと少し携わっています。
今は夏に咲くオレンジの花が花壇一面を覆っていてとても綺麗です。落ち込んだ時にこの花を見るととても元気をもらえるのです。
何も考えずにギルベルト様と会ってお話をしたい。ため息を吐いて、部屋に戻ろうと腰を上げるとエリセント侯爵家の紋章の付いた馬車が見えました。
「ギルベルト様に会いたい気持ちが強すぎて、幻覚でも見ているのかしら」
ですが、幻覚だと思っていた馬車からギルベルト様が降りてきてわたくしの側近と自身の側近と共にこちらへ歩いてくるではありませんか。
驚いて何も言えずにいるわたくしの手を取り、ギルベルト様は真剣な目で見つめます。沈黙が落ちると、わたくしは自分の心臓の音しか聞こえなくなりました。ドクドクと速く脈が打つせいで、顔に血がのぼってきて少し暑くなってきてしまいました。
これ以上この状況に耐えられなくて、思わずギルベルト様の手を払ってしまいました。
「申し訳ありません。その、驚いてしまって」
「私の方こそ、意気地がなくてすまない。ここまで来たというのに気持ちを伝えるのが怖くなった」
「あの、ギルベルト様、暑いのでガゼボでお話ししませんか?」
「そうしよう」
ギルベルト様を庭のガゼボへ案内しているときも、わたくしの心臓はまだ速いままでした。気持ちを伝えるって、どういうことなのでしょう。わたくしは期待をしてしまってもよろしいのでしょうか。
ガゼボへ着くと、ギルベルト様はわたくしのすぐ隣に座りました。向かい合って座るのが社交の基本なのに、こうして隣に座るなんてまるで恋人のような……。
「ハイデリンデ、まず謝らせてほしい」
「ど、どうしてですか!?」
「気持ちを打ち明けるのはすごく勇気がいることで、怖いことだったのだと初めて知った。ハイデリンデはいつも私に真っ直ぐ気持ちを伝えてくれていた。それがどれだけ勇気のいることだったか。なのに私は、君に酷い態度を取ってしまっていた。本当に申し訳ない」
ギルベルト様は眉を潜めて深く頭を下げました。わたくしは慌てて顔を上げてもらってギルベルト様の目を見つめます。罪悪感に満ちた目をしています。
確かに、何度愛を告白してもギルベルト様は面倒くさそうな顔をしたり、呆れたような顔をしたりすることがほとんどでした。けれど、わたくしとしては社交的な作り笑いをずっとされているよりも、表情豊かなギルベルト様を見れて嬉しかったのです。だって、その顔はきっとわたくし以外のご令嬢は知らないのでしょうから。
「そうだね。ハイデリンデ以外の令嬢の前であんな態度を取ったことはない。けど、失礼な態度だったことに変わりはないから謝罪の気持ちだけでも受け取ってほしい」
「そこまで言うなら、受け取ることにします」
「ありがとう」
ギルベルト様は栗色の瞳を細めて安心したような笑みを浮かべています。その笑みを見てわたくしはまたドクンと心臓が跳ねました。また、ギルベルト様を更に好きになってしまいました。
ギルベルト様の顔を見上げると、少し緊張した様子で小さく息を吐いていました。そして、わたくしの顔を見てまた先程のような真剣な目つきになりました。
「ハイデリンデ、君がロアニエト公爵子息に求婚されたと聞いたとき後悔した。どうしてもっと早く自分の気持ちに気付けなかったのだろう、と」
「それって、」
「私は君を愛している。生涯共にいたい。だから、私と婚姻を結んでほしい」
殿方の前で泣くだなんてはしたないでしょうか。それも、声を上げて泣くだなんて淑女失格だと言われてしまうでしょう。だけど、涙を止めたくても止まらなくてどうしようかと思っていると、ギルベルト様が仕方なさそうに笑ってわたくしを抱きしめてくれました。ようやく落ち着いて涙が止まると、さっきの言葉が夢ではないかと何度もギルベルト様と側近に確認してようやく実感が湧きました。またドクドクと心臓の音が聞こえてきます。
「返事を聞かせてほしいのだけど」
「喜んでお受けいたします」
わたくしの言葉に側近たちが自分のことのように喜んで涙を流しています。
今日は、なんて幸せな日なのかしら。
だけど、すぐに現実に引き戻されました。ギルベルト様と抱き合っていると、お父様が庭へいらっしゃったのです。すぐにギルベルト様から離れてお父様の方を向きます。
お父様は何も言わずにわたくしではなくギルベルト様の方を見ています。怒っているのか驚いているのか分かりません。
「お父様!わたくしはギルベルト様を愛しております。彼と結婚したいです」
「ロアニエト公爵子息からの求婚はどうする?」
「お断りします」
お父様は『そうか』とだけ呟いてギルベルト様を睨みつけました。
「ギルベルト様、ハイデリンデからの求婚を何度も断っていたというのにどういう風に吹き回しですか?」
「私は、ハイデリンデ嬢がロアニエト公爵子息から求婚されたという話を聞くまで自分の気持ちを自覚できていませんでした。何度も断っていたのは、自分の気持ちに自信を持てなかったからです。ヴェルヴォルト伯爵からすれば大切なお嬢様が私と婚姻を結ぶのは心配だと思います。ですが、もう二度と彼女を傷付けないと約束します。なので、どうか私とハイデリンデ嬢の婚姻を認めてください」
お父様はギルベルト様の言葉を聞くとわたくしとギルベルト様を交互に見て頷きました。認めてくださったのでしょうか。
「婚約ではなく、婚姻と言うのなら相当の覚悟がお有りなのですね」
「はい」
「ハイデリンデ、ロアニエト公爵子息には私からも謝罪を入れておく。お前からも本人に直接伝えなさい」
「はい!ありがとうございます、お父様!」
✽ ✽ ✽
「婚約期間はあまり設けずに、準備が整い次第婚姻を結ぶ予定なのです」
「良かった。リンデ、本当に良かった」
「ステラ様のお陰だとギルベルト様から聞いております。ありがとうございます」
リンデとお兄様が正式な婚約をして3日が経った頃、リンデが私に会いに来てくれた。ロアニエト公爵子息には事情を話して直接謝罪をすると、むしろお祝いされたそうだ。なんて懐の深い殿方なんだろう。
「2人の婚姻の儀には学校を休んででも参加しますからね」
「とても嬉しいですけれど、それは申し訳ないので授業がない日に執り行うようにします」
幸せそうに微笑むリンデを見て、私も嬉しくなった。元々リンデを好きではなかったお兄様は今はもうすっかり溺愛している。人ってこんなに変わるんだと目の当たりにした。




