第9話 便利な卵
補助従魔。
いい響きだ。
昨日までの俺は、役割:荷物だった。
荷物。
食用不可。
廃棄推奨。
役割、荷物。
プロフィール欄がほぼ悪口で埋まっていた俺にとって、補助従魔への昇格は大事件である。
俺は木箱の中で、ギルドカードの内容を思い出していた。
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従魔名:エッグ
種別:ひび割れ卵
所有者:ミミル
役割:補助従魔
危険度:なし
備考:魔力素材への反応あり。
食用不可。廃棄推奨。経過観察中。
意思表示あり。本人同意あり。
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廃棄推奨はまだ残っている。
かなりしつこい。
だが、役割は補助従魔。
荷物ではない。
これは大きい。
俺はもう、ただ運ばれるだけの卵ではない。
薬草を探せる。
牙ネズミに体当たりできる。
坂道ならそこそこ速い。
ただし、止まれない。
そこは今後の課題だ。
ミミルは朝から、俺の状態を確認していた。
「昨日、転がったところ痛くない?」
左。
痛くはない。
「ひび、広がった感じは?」
少し迷って、右。
感覚としては少しある。
ステータス上でも、ひび割れ率は31%から32%になった。
たった1%。
だが、軽く見てはいけない。
俺は卵だ。
100%でどうなるのかは、考えたくない。
「やっぱり無茶は駄目だね」
右。
完全同意。
ミミルは観察記録に書く。
『転殻』
『坂道で加速』
『体当たり可能』
『ただし危険』
『止まれない』
『エッグが目を回す』
最後。
目はない。
だが、回ったのは事実なので否定できない。
俺は小さく震えた。
ミミルは笑った。
「今日は戦闘なし。ギルドで報告と、できれば安全な依頼を探そう」
右。
それがいい。
戦わずに役に立つ。
今の俺たちには、それが一番だ。
俺はまだ強くない。
ミミルも戦闘向きではない。
無理をすれば、またひびが広がる。
昨日の体当たりは成功した。
だが、あれを毎回やっていたら、たぶん俺はいつか割れる。
俺たちは工房を出た。
ミミルは昨日よりさらに慎重に俺を籠へ入れている。
底には布を多めに敷き、左右にも丸めた布を詰めている。
エッグ用衝撃吸収システム。
言い方は格好いいが、要するに布である。
ありがたい。
ギルドへ向かう途中、ミミルは何度か周囲を見た。
ヴァルム商会の男はいない。
昨日の牙ネズミより、むしろ人間の方が怖い。
俺の殻片が高品質素材だと知られた。
それだけで、世界の見え方が少し変わる。
ギルドに入ると、受付嬢がすぐに俺たちに気づいた。
「ミミルさん、エッグさん。おはようございます」
「おはようございます」
俺も右へ揺れた。
おはようございます。
受付嬢は微笑む。
「昨日の依頼、薬品担当の方にも報告しました。月露草の状態がよかったそうです」
「本当ですか?」
「はい。エッグさんの素材反応が役に立ったようですね」
俺は籠の中で少し得意げに震えた。
ぶる。
役に立った。
その言葉には弱い。
前世では、役に立つことが重荷になることもあった。
でも今は、ミミルがちゃんと俺に聞いてくれる。
勝手に使わない。
無理させない。
嫌ならやめる。
その前提があるだけで、役に立つことは少し嬉しいものになる。
受付嬢は依頼票をいくつか出してくれた。
「安全そうなものだと、薬草仕分け、倉庫の素材確認、低級薬草の追加採取あたりですね」
戦闘はなさそうだ。
ありがたい。
ミミルが依頼票を見ていると、横から声が聞こえた。
「お、補助従魔の卵じゃねえか」
ガルドだ。
今日もいる。
本当にいる。
こいつはギルドの常駐設備なのか?
ガルドは腕を組み、俺の籠を覗き込んだ。
「昨日、牙ネズミに体当たりしたんだって?」
情報が早い。
ギルド内の噂は本当に広がるのが早い。
俺は返事をしなかった。
ガルドはにやにや笑う。
「転がってぶつかるだけで評価されるなんて、楽でいいなあ」
楽ではない。
めちゃくちゃ目が回った。
いや、目はないが。
ミミルが少しむっとする。
「エッグはちゃんと頑張りました」
「はいはい。荷物から昇格できてよかったな、卵」
俺は震えた。
こいつ、毎回微妙に腹が立つ言い方をしてくる。
才能か?
ガルドは俺を見ながら、ふと思い出したように言った。
「そういや、来月に従魔闘技会があるんだよな」
従魔闘技会。
嫌な単語が出た。
ミミルも首をかしげる。
「従魔闘技会?」
「ああ。登録従魔を戦わせる催しだ。低ランク向けの部門もある。まあ、卵が出るようなもんじゃねえけど」
ガルドはわざとらしく笑う。
「いや、出たら面白いかもな。転がる卵がどこまで持つか」
俺は左へ揺れた。
今は無理。
絶対に無理。
ミミルも即座に言った。
「出ません。エッグは昨日ひびが広がったばかりです」
「逃げるのか?」
ガルドの目が少し細くなる。
挑発だ。
わかりやすい。
俺は動かなかった。
ここで右へ揺れてしまえば、乗せられたことになる。
前世でもこういう奴はいた。
できないの?
逃げるの?
やる気ないの?
その言葉に乗って仕事を引き受けると、だいたいろくなことにならない。
俺はもう知っている。
無理な挑発に乗ると、割れる。
比喩ではなく。
ミミルは俺の籠を抱き寄せた。
「逃げるんじゃなくて、今は必要ないだけです」
おお。
ミミルが言い返した。
少し成長している。
ガルドは面白そうに笑う。
「へえ。言うじゃねえか、見習い」
ミミルは少し緊張していたが、目をそらさなかった。
「エッグを壊すために強くしたいわけじゃありません」
俺は小さく震えた。
その通りだ。
強くなりたい。
でも、壊れるためじゃない。
ミミルと生きるために強くなりたい。
ガルドは肩をすくめる。
「まあ、来月までに気が変わったら見に来いよ。従魔の強さを見るには悪くねえ」
そう言って去っていった。
嫌な奴だ。
ただ、完全に無意味な話でもない。
従魔闘技会。
今は出ない。
絶対に出ない。
だが、他の従魔を見る機会にはなるかもしれない。
俺は卵だ。
自分以外の従魔がどう戦うのか、知っておくのは悪くない。
ただし、戦うのは嫌だ。
割れるから。
受付嬢が少し困ったように言った。
「ガルドさんは口が悪いですが、従魔闘技会自体はギルド公認の催しです。見学だけなら安全ですよ」
ミミルは俺を見る。
「見学だけなら、いつか行ってみる?」
俺は少し考えた。
見学だけ。
戦わない。
安全なら。
右へ揺れた。
「じゃあ、体調が良ければね」
右。
それならいい。
その後、俺たちは倉庫の素材確認依頼を受けることにした。
街の外には出ない。
戦闘もない。
俺の《素材感知》を試すにはちょうどいい。
ギルドの倉庫は、思ったより広かった。
木箱が積まれ、棚には薬草、魔石、骨、皮、瓶詰めの液体などが並んでいる。
匂いがすごい。
薬草の匂い。
土の匂い。
獣の匂い。
少し腐ったような匂い。
俺は籠の中で震えた。
これは情報量が多い。
《素材感知》が、あちこちに反応している。
倉庫担当の職員が説明した。
「古い素材や劣化したものを見つけてほしい。見習いの確認作業だが、昨日の薬草探しができたなら役に立つかもしれない」
ミミルは頷く。
「やってみます」
俺は籠から机の上に移された。
素材箱が一つずつ近づけられる。
ミミルが俺の反応を見る。
「これは?」
普通。
俺は動かない。
「これは?」
少し濁った反応。
俺は左へ揺れる。
倉庫担当が確認する。
「……湿気ているな。乾燥薬草が傷みかけている」
当たり。
ミミルの目が輝く。
「すごい、エッグ」
俺は少し得意げに震えた。
次の箱。
魔石の欠片。
強い反応。
でも危険ではない。
右。
倉庫担当が頷く。
「問題なし」
次。
瓶詰めの粘液。
嫌な反応。
かなり嫌。
俺は強めに震えた。
ぶるり。
ミミルがすぐ手を止める。
「これ、危ない?」
俺は右へ揺れた。
倉庫担当が瓶を調べる。
「封が緩んでいる。腐蝕液が漏れかけているな。危なかった」
腐蝕液。
やめてほしい。
俺の殻にかかったらどうなるのか、想像したくない。
その瞬間、俺の殻の奥が少しだけ反応した。
================
腐蝕性素材への反応を確認しました。
殻表面への接触は危険です。
警告。
現在の個体状態では腐蝕耐性が不足しています。
================
怖い表示が出た。
腐蝕耐性不足。
つまり、俺は溶ける可能性があるということか。
卵の殻が溶ける。
最悪だ。
俺は強く震えた。
ミミルが慌てる。
「エッグ、大丈夫?」
右。
大丈夫。
ただ、あれは嫌だ。
絶対に近づけないでほしい。
ミミルは倉庫担当に言った。
「腐蝕液は、エッグから離してください」
「ああ、すまない。すぐ隔離する」
倉庫担当は瓶を別の箱へ移した。
ギルド内の依頼とはいえ、危険なものはある。
油断できない。
俺は改めて思った。
戦わない依頼でも、割れる危険はある。
その後も素材確認は続いた。
湿気た薬草。
劣化した魔石粉。
虫がついた布素材。
問題ない骨材。
少しだけ魔力が乱れた小瓶。
俺は一つ一つ反応していく。
名前はわからない。
だが、状態の良し悪しは少しずつわかる。
================
《素材感知 Lv1》の熟練度が上昇しました。
危険素材への反応精度がわずかに上昇しました。
================
いい感じだ。
俺は戦えない。
だが、危険を察知できるなら役に立つ。
ミミルも記録を取りながら、少しずつ自信をつけているようだった。
「エッグが反応したもの、本当に何かあるね」
右。
俺もそう思う。
倉庫担当も感心したように言った。
「これは助かるな。見習いの目視確認より早い」
見習いの目視確認。
ミミルが一瞬だけ固まった。
褒めているようで、少し刺さる言い方だ。
俺は倉庫担当を見た。
いや、見る目はない。
だが、気持ちとしては見た。
ミミルは見習いだ。
でも、俺と一緒ならできることがある。
俺は机の上で強く右へ揺れた。
ミミルが俺を見る。
「エッグ?」
俺はミミルの方へ体を傾けた。
ミミルは少し考えて、小さく笑った。
「一緒にやってる、って言いたいの?」
右。
そう。
ミミル一人では難しいこともある。
俺一人では何もできないこともある。
だが、一緒ならできる。
それが大事だ。
倉庫担当は少し気まずそうに咳払いした。
「いや、悪い意味ではない。ミミル君の記録も丁寧だ。二人で組むと良い補助になる」
ミミルは照れたように頷いた。
「ありがとうございます」
俺も右へ揺れた。
よし。
ちゃんと評価された。
依頼が終わると、倉庫担当から確認印をもらった。
受付に戻ると、報酬が少し支払われた。
少額。
だが、安全な依頼で報酬を得られたのは大きい。
受付嬢は書類を見て微笑む。
「エッグさんの補助実績、追加しておきますね」
補助実績。
いい響きだ。
ミミルが嬉しそうに言う。
「ありがとうございます」
俺も右へ揺れた。
その時、受付嬢が少し声を落とした。
「それと、ヴァルム商会から問い合わせがありました」
空気が変わった。
ミミルの顔が硬くなる。
俺も震えた。
「問い合わせ……?」
「昨日の卵殻片について、継続的な買い取りが可能かどうか、という内容です」
来た。
やっぱり来た。
俺は即座に左へ揺れた。
全力で左。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
ミミルもすぐに言った。
「売りません」
受付嬢は頷いた。
「そうお伝えしておきます。ただ、今後も直接連絡が来る可能性はあります」
「直接……」
「手紙や使いの者が来た場合、無理に対応せずギルドに相談してください」
右。
そうしよう。
ミミルも頷く。
「わかりました」
受付嬢は俺を見る。
「エッグさんも、嫌な時はちゃんと左に揺れてくださいね」
俺は左へ揺れた。
今すでに嫌です。
受付嬢は苦笑した。
「はい。よく伝わりました」
ギルドを出る頃には、俺は少し疲れていた。
素材感知は便利だが、ずっと使うと集中力を削られる。
卵にも集中力があるらしい。
帰り道、ミミルは黙っていた。
俺は籠の中で、彼女の表情を見る。
不安そうだ。
ヴァルム商会の問い合わせ。
昨日の視線。
今日の買い取り希望。
これで終わるとは思えない。
工房に戻ると、ミミルは扉の隙間に挟まっていた手紙を見つけた。
封には、きれいな商会印。
ヴァルム商会。
俺は籠の中で震えた。
ミミルは少し迷ったあと、封を開けた。
中には丁寧な文字で、継続取引の提案が書かれていた。
内容は、やけに良い。
殻片の高額買い取り。
研究支援。
薬草素材の優先提供。
工房設備の補助。
良いことばかりだ。
良いことばかり並びすぎている。
前世で見た怪しい契約書と同じ匂いがする。
ミミルは読み終えると、手紙を机に置いた。
「エッグ」
俺は左へ揺れた。
言われる前に拒否。
ミミルは少し笑った。
「うん。私も断る」
右。
よし。
「ただ、返事はちゃんと考えて書くね。変に怒らせるのも怖いから」
それはそうだ。
相手は大きな素材商会。
無視するだけで済むとは限らない。
ミミルは手紙を畳み、別の紙を取り出した。
「今日はもう返事を書かない。明日、受付嬢さんに相談してからにする」
右。
それがいい。
自分たちだけで抱え込まない。
大事だ。
夜。
ミミルは今日の依頼記録を書いていた。
『倉庫素材確認』
『湿気た薬草を発見』
『腐蝕液の漏れを発見』
『エッグは危険素材に強く反応』
『ヴァルム商会から継続取引の手紙』
『要相談』
俺は木箱の中で、その文字を眺めた。
便利になった。
役に立つようになった。
その分、見つかりやすくなった。
俺の殻片。
俺の素材感知。
俺の魔力反応。
それらはミミルの助けになる。
だが、同時に誰かの欲を呼ぶ。
役に立つほど危険になる。
この世界でも、その法則は変わらないらしい。
俺はステータスを開いた。
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通常スキル:
《素材感知 Lv1》
《転殻 Lv1》
《素材感知 Lv1》の熟練度が上昇しました。
危険素材への反応精度がわずかに上昇しました。
称号《便利な卵》を獲得しました。
================
便利な卵。
嬉しいような、嫌なような称号だ。
便利。
その言葉には、少しだけ苦いものが混じっている。
前世でも、便利な人間はよく使われた。
断らない。
頼みやすい。
何とかしてくれる。
そうやって便利に使われて、気づけばすり減っていた。
今度は卵になってまで、便利扱いか。
俺は小さく震えた。
便利でもいい。
でも、使い潰されるのは嫌だ。
ミミルは俺を素材として見ない。
だから、俺もミミルのために役に立ちたい。
その境界線を間違えないようにしよう。
勝手に使われない。
勝手に売られない。
無理をしない。
俺は俺の殻を守る。
たとえ、ひび割れていても。
その夜。
工房の外を、誰かが通り過ぎたような気がした。
足音はすぐに遠ざかった。
ミミルは気づいていない。
俺は木箱の中で、しばらく窓の方を見ていた。
闇の向こうには、何も見えない。
だが、嫌な予感だけは、まだ消えなかった。




