↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/58

第10話 殻を硬くしたい卵



 便利な卵。


 その称号を得た翌朝、俺は木箱の中で考えていた。


 便利。


 便利なのは悪くない。


 ミミルの役に立てる。

 ギルドでも評価される。

 依頼も受けやすくなる。


 だが、便利になればなるほど、見つかりやすくなる。


 ヴァルム商会から届いた継続取引の手紙。


 俺の殻片を高額で買い取るという提案。

 研究支援。

 素材提供。

 工房設備の補助。


 良い条件ばかりだった。


 良い条件ばかり並んでいるものは、だいたい裏がある。


 前世で学んだ数少ない真理である。


 俺は小さく震えた。


 今の俺に必要なのは、便利さだけではない。


 防御力だ。


 昨日、牙ネズミに体当たりしただけで、ひび割れ率が上がった。


 つまり、今の俺は攻撃しても傷つく。


 体当たりすれば自分も危ない。

 転がれば止まれない。

 落ちれば割れる。


 弱すぎる。


 せめて、もう少し殻が硬ければ。


 俺は木箱の中で、ゆっくり右へ揺れた。


 いや、誰にも質問されていない。


 一人で肯定してしまった。


 卵の独り言である。


「エッグ?」


 ミミルが机の向こうから顔を出した。


「どうしたの?」


 俺は少し考えた。


 防御力を上げたい。


 殻を硬くしたい。


 でも、右左だけでどう伝える。


 俺は自分の殻を、木箱の縁に軽く当てた。


 こつ。


「痛い?」


 左。


「ぶつけた?」


 右。


「ひびが気になる?」


 右。


 近い。


「昨日の体当たり?」


 右。


 ミミルは俺の殻をそっと見た。


「やっぱり、昨日の衝撃が怖かった?」


 右。


 それもある。


 でも、もっと前向きな話だ。


 俺はもう一度、木箱の縁に軽く当たる。


 こつ。


 それから、できるだけ堂々と震えた。


 ぶるり。


 ミミルは首をかしげる。


「えっと……強くなりたい?」


 右。


 かなり近い。


「殻を、丈夫にしたい?」


 俺は全力で右へ揺れた。


 それだ。


 ミミルは目を丸くした。


「殻を硬くしたいんだ」


 右。


 硬くしたい。


 めちゃくちゃ硬くしたい。


 せめて、うっかり机から落ちても即死しない程度には。


 ミミルは少し考え込んだ。


「殻の補強……できるかもしれない」


 できるのか。


 俺は期待を込めて震えた。


 ミミルは棚からいくつか材料を取り出す。


 乾燥薬草。

 樹脂。

 細かい鉱石粉。

 昨日使った魔力安定剤の残り。


「卵殻に直接塗るのは危ないから、まずは薄めた補強剤を作って、外側に少しだけ塗ってみる。嫌だったらすぐやめる」


 俺は右へ揺れた。


 慎重でいい。


 むしろ慎重すぎるくらいでいい。


 ミミルは小鍋を温め、樹脂を溶かした。


 そこに薬草粉と鉱石粉を少量入れる。


 混ぜる。


 色は薄い灰緑。


 匂いは、木と薬草を混ぜたような感じだ。


 悪くない。


 ただ、見た目は少し泥っぽい。


 俺の殻に泥パックをするのか。


 美容卵。


 いや、違う。


 防御訓練だ。


 ミミルは古い割れ石に補強剤を塗った。


 乾くのを待ち、軽く叩く。


 こつ。


 石は割れなかった。


「うん。表面は少し硬くなってる」


 次に、乾いた卵殻の残りに塗る。


 これは俺の殻片ではない。


 鳥の卵の殻らしい。


 塗って乾かし、軽く押す。


 ぺき。


 割れた。


 駄目では?


 俺は震えた。


「うーん、厚く塗りすぎると逆に割れやすいかも」


 怖いことを言うな。


 俺は左へ揺れた。


 ミミルは慌てて頷く。


「大丈夫。エッグにはもっと薄くする。まず、本当にほんの少しだけ」


 本当に少しだけなら。


 俺は渋々右へ揺れた。


 ミミルは布に補強剤を染み込ませ、俺の殻のひびから離れた場所に、薄く塗った。


 ひやりとした感覚。


 そのあと、じんわり温かい。


 痛みはない。


「痛い?」


 左。


「嫌な感じ?」


 少し考えて、左。


 悪くない。


 むしろ、外側に薄い膜が張ったような感じがする。


 しばらくすると、ステータスが反応した。


================


外殻表面に補強効果を確認しました。


防御力:1 → 2


《殻硬化》習得率:18%


================


 おお。


 防御力が上がった。


 1から2。


 倍である。


 元が低すぎるとも言う。


 だが、これは大きい。


 俺は嬉しくて震えた。


 ぶるぶる。


 ミミルが顔を輝かせる。


「いい感じ?」


 右。


 かなりいい。


「じゃあ、もう少しだけ調整してみる?」


 右。


 ただし、少しだけだ。


 ミミルは補強剤をさらに薄めた。


 今度はひびの周囲には塗らず、丸い殻の外側を薄く覆うように塗る。


 俺はその間、じっとしていた。


 卵なので動かないのは得意だ。


 いや、普段は震えているから、案外得意でもないかもしれない。


 乾くまで待つ。


 ミミルは俺を小さな布の上に置き、慎重に様子を見た。


「エッグ、重くなった感じある?」


 少し考える。


 ややある。


 俺は右へ少しだけ揺れた。


「少し?」


 右。


「動きにくい?」


 これも少し。


 俺は弱く右へ揺れた。


 ミミルは記録する。


『補強剤』

『防御上昇の可能性』

『塗りすぎると重い』

『ひび周囲は避ける』

『乾燥後に確認』


 実験メモ。


 こういうのは自然だ。


 ミミルは職人気質というか、錬金術師なのだ。


 思いついたことをすぐ紙に書く。


 俺はその横で、ステータスを確認した。


================


防御力:2 → 3


《殻硬化》習得率:32%


================


 さらに上がった。


 防御力3。


 初期の三倍。


 これなら、ちょっとした衝撃には耐えられるかもしれない。


 もちろん、過信は禁物だ。


 卵は卵。


 硬くなっても卵。


 俺は忘れない。


 昼前。


 ミミルは俺の状態を確認したあと、ギルドへ向かうことにした。


「補強剤の材料、少し足りないから買いに行くね。あと、ヴァルム商会の手紙のことも受付嬢さんに相談したい」


 右。


 それがいい。


 手紙の返事は、自分たちだけで決めない方がいい。


 相手は商会だ。


 変な返し方をして逆恨みされるのも怖い。


 ギルドへ行く道中、俺はいつもより少し安定している気がした。


 籠の底に当たっても、前ほど怖くない。


 補強剤の効果だろうか。


 それとも気持ちの問題か。


 ギルドに着くと、受付嬢が俺たちを迎えてくれた。


「ミミルさん、エッグさん。今日はどうされました?」


 ミミルはヴァルム商会から届いた手紙を差し出した。


「これが工房に届いていました」


 受付嬢は封を見て、表情を少し硬くした。


「ヴァルム商会からですね」


「はい。殻片の継続取引と、研究支援の話です」


 受付嬢は手紙を読み、しばらく考えた。


「条件だけ見ると悪くありません。ただ……」


「ただ?」


「身体由来素材の継続提供という文言が曖昧です。殻片だけでなく、今後発生する素材全般に解釈される可能性があります」


 やっぱりだ。


 俺は左へ揺れた。


 全力で拒否。


 受付嬢は頷く。


「エッグさんも嫌がっていますね」


 嫌がっています。


 かなり嫌がっています。


 ミミルも表情を引き締めた。


「断った方がいいですか?」


「現時点では、そうした方が安全です。ただ、返答文は丁寧にしておきましょう。角を立てすぎる必要はありません」


 受付嬢は文例を教えてくれた。


 継続取引は行わない。

 身体由来素材の提供予定はない。

 研究支援も辞退する。

 今後の連絡はギルドを通してほしい。


 これなら明確だ。


 ミミルは何度も頷きながらメモを取った。


「ありがとうございます」


「いえ。念のため、ギルドにも写しを残してください」


 ギルドが間に入ってくれる。


 かなり助かる。


 俺は右へ揺れた。


 受付嬢は笑った。


「エッグさんも安心しましたか?」


 右。


 少しだけ。


 その後、ミミルは補強剤の材料を買うため、ギルド併設の素材販売所へ向かった。


 薬草粉。

 粘着樹脂。

 細かい鉱石粉。

 安い魔力安定剤。


 全部少量ずつ。


 資金はまだ多くない。


 昨日の依頼報酬と回復薬の上乗せ分を使って、なんとか揃える。


 俺の防御力アップに投資。


 ありがたい。


 でも、少し申し訳ない。


 ミミルの工房だってお金が必要なのに。


 俺は籠の中で小さく震えた。


 ミミルが気づく。


「大丈夫。エッグが安全になるなら必要な出費だよ」


 右。


 ありがとう。


「それに、エッグが無事じゃないと、私も困るし」


 そう言って笑うミミルを見て、俺は少しだけ殻の奥が温かくなった。


 ギルドを出ようとした時、ガルドとすれ違った。


「お、補助卵」


 補助卵。


 また微妙な呼び方を。


 俺は無視した。


 ガルドは俺の殻を見て、眉を上げる。


「なんか塗ってねえか?」


 鋭い。


 ミミルが少し警戒する。


「殻の保護です」


「へえ。割れやすい卵には必要だな」


 腹立つ。


 事実だけど腹立つ。


 俺は小さく震えた。


 ガルドは笑う。


「まあ、防御を上げるのは悪くねえ。転がってぶつかるなら、先に自分が割れねえようにしろよ」


 意外と正論だった。


 腹立つが、正論だ。


 ミミルも少しだけ驚いた顔をする。


「……ありがとうございます?」


「礼を言われることじゃねえよ」


 ガルドは肩をすくめて去っていった。


 嫌な奴なのか、たまに助言をくれる奴なのか。


 判断に困る。


 少なくとも、口は悪い。


 工房に戻ると、ミミルはすぐに返答文を書いた。


 丁寧に。

 でも、はっきりと。


 ヴァルム商会への継続取引は断る。


 身体由来素材の提供はしない。


 今後の連絡はギルドを通す。


 書き終えたあと、ミミルは俺に見せた。


 文字は読める。


 異世界文字なのに読めるのは、転生者補正だろうか。


 よくわからないが便利だ。


「これでいい?」


 俺は右へ揺れた。


 良いと思う。


 ミミルは封をして、明日ギルドに預けることにした。


 その後、補強剤の改良が始まった。


 さっきより少し粘度を下げる。

 鉱石粉を減らす。

 魔力安定剤を微量にする。


 ミミルは、いきなり俺に塗らず、まず石と鳥の卵殻で試した。


 慎重。


 とても良い。


 俺は木箱の中から見守る。


 試作一号。

 割れやすい。


 試作二号。

 重すぎる。


 試作三号。

 乾くのが遅い。


 試作四号。

 いい感じ。


 錬金術は地味だ。


 もっと魔法陣が光って、すごい薬が一瞬で完成するのかと思っていた。


 だが実際は、混ぜて、塗って、乾かして、割って、記録する。


 かなり地道。


 前世の試作業務に近い。


 いや、思い出すな。


 つらくなる。


「エッグ、四号を少しだけ試していい?」


 右。


 ミミルは俺の殻に、四号補強剤を薄く塗った。


 今度はかなり自然だった。


 重さも少ない。

 違和感も少ない。

 殻の表面が少し締まる感じがする。


================


外殻補強効果を確認しました。


防御力:3 → 4


《殻硬化》習得率:48%


================


 防御力4。


 順調だ。


 《殻硬化》も半分近くまで来ている。


 これは、もう少しでスキルとして獲得できるかもしれない。


 俺は嬉しくて震えた。


「成功?」


 右。


「よかった……!」


 ミミルは心から嬉しそうだった。


 その顔を見ると、俺も嬉しくなる。


 ただし、俺はここで調子に乗らない。


 調子に乗った卵は割れる。


 たぶん世界の真理である。


 夕方。


 工房の扉が叩かれた。


 俺は反射的に震えた。


 ミミルも動きを止める。


「……誰?」


 扉の向こうから、男の声がした。


「ヴァルム商会の使いです」


 来た。


 早い。


 ミミルは俺を見る。


 俺は即座に左へ揺れた。


 開けるな。


 ミミルは扉越しに返事をした。


「ご用件は?」


「明日、担当者が改めてご説明に伺います。そのご連絡に参りました」


 やっぱりか。


 手紙を断る前に、向こうから来るつもりらしい。


 ミミルは扉を開けずに言った。


「ご連絡はギルドを通してください」


 少し沈黙があった。


「……承知しました。ですが、担当者はすでに日程を空けておりますので」


「ギルドを通してください」


 ミミルの声は震えていた。


 でも、ちゃんと言えた。


 扉の向こうの男は、丁寧な口調のまま答えた。


「では、そのようにお伝えします」


 足音が遠ざかる。


 ミミルはしばらく扉の前で固まっていた。


 俺も木箱の中で震えていた。


 怖い。


 手紙だけならまだしも、使いが工房まで来るのは怖い。


 ミミルはゆっくり息を吐いた。


「……明日、すぐギルドに行こう」


 右。


 絶対にそうしよう。


 夜。


 ミミルは扉の鍵を何度も確認した。


 窓も閉めた。

 殻片の箱も棚の奥へ隠した。

 返答文は机の引き出しへ入れた。


 俺は木箱の中で、ステータスを確認する。


================


防御力:4

《殻硬化》習得率:48%

ひび割れ率:32%


================


 防御力は上がった。


 だが、不安も増えた。


 明日、ヴァルム商会の担当者が来るかもしれない。


 いや、ギルドを通せと言ったから来ないかもしれない。


 でも、来る気がする。


 良い条件を並べてくるだろう。

 丁寧な言葉を使うだろう。

 ミミルの工房の弱さを突いてくるだろう。


 俺は殻を硬くしたい。


 物理的にも。


 精神的にも。


 簡単に割れないように。


 簡単に利用されないように。


 ミミルは机で補強剤の記録を書いていた。


『補強剤四号』

『防御上昇』

『塗りすぎ注意』

『ひび周囲は避ける』

『エッグが嫌がったら中止』

『ヴァルム商会、要警戒』


 俺はその最後の文字を見て、小さく震えた。


 要警戒。


 本当にその通りだ。


 明日は、たぶん面倒な日になる。


 俺は木箱の中で、できるだけ殻を硬くするイメージをした。


 割れるな。


 割れるな。


 俺はまだ、捨てられる卵では終わらない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。