第7話 従魔登録、役割は荷物
翌朝。
俺は木箱の中で目を覚ました。
いや、目はない。
でも、意識が戻った。
窓から差し込む朝の光。
薬草の匂い。
机の上に置かれた観察記録。
棚の奥にしまわれた、俺の殻片。
そして、昨日のことを思い出す。
ヴァルム商会。
俺の殻片を見ていた商人。
手帳に何かを書いて、静かに去っていった男。
あれから、ずっと嫌な感じが消えない。
俺は木箱の中で小さく震えた。
ぶる。
「エッグ?」
ミミルが振り返る。
彼女は朝から工房の片づけをしていた。
だが、昨日より少しだけ動きが慎重だ。
棚の奥を確認する。
窓の外を見る。
扉の鍵を何度も確かめる。
ミミルも、不安なのだろう。
「昨日のこと、気になる?」
俺は右へ揺れた。
気になる。
めちゃくちゃ気になる。
あの男は、俺の殻片を素材として見ていた。
たぶん、俺本体も。
魔物に食われそうになるのとは違う怖さがある。
魔物は腹が減っているから食おうとする。
だが、人間は価値があるから使おうとする。
どちらも嫌だが、後者の方が妙に生々しい。
ミミルは少し考えてから、机の上に紙を広げた。
「エッグ。今日はギルドに行こうと思う」
右。
納品か?
「納品もだけど……その前に、ちゃんと登録しよう」
登録。
何の?
俺は小さく震えた。
「従魔登録」
従魔。
つまり、俺をミミルの従魔として登録するということか。
昨日、受付嬢もそんなことを言っていた。
登録前の従魔に近い存在。
勝手な売買は避けるべき。
なら、正式に登録すれば、少しは守られるのかもしれない。
俺は右へ揺れた。
それがいい。
ミミルはほっとしたように笑う。
「よかった。エッグが嫌ならやめようと思ってた」
嫌ではない。
むしろ、ありがたい。
ただ、少しだけ気になることがある。
従魔。
その言葉から感じるのは、所有物に近い響きだ。
俺はミミルを信用している。
だが、登録上は「所有者:ミミル」みたいな扱いになるのだろう。
俺は人間だった記憶がある。
中身は元社畜男性。
それが、少女の従魔として登録される。
冷静に考えると、かなりすごい状況だ。
まあ、今の俺は卵なので、人権を主張する前に転がる練習をした方がいいのかもしれない。
いや、人権ならぬ卵権は大事だ。
ミミルは俺を籠に入れた。
昨日より、布を厚めに敷いてくれている。
揺れ対策だ。
少し嬉しい。
「今日はちゃんと受付嬢さんに相談しようね」
右。
そうしよう。
工房を出る前に、ミミルは棚の奥をもう一度確認した。
俺の殻片を入れた箱。
その上に布をかける。
完全な防犯とは言えない。
でも、むき出しよりはずっといい。
外に出ると、朝の街はいつも通りだった。
パン屋。
荷車。
冒険者。
薬草売り。
だが、俺は昨日より周囲が気になった。
誰かに見られていないか。
商会の男がいないか。
俺の籠を覗き込む者はいないか。
ミミルも同じらしく、籠を少し抱き寄せて歩いていた。
ギルドに入ると、受付嬢がすぐに気づいた。
「ミミルさん、エッグさん。おはようございます」
「おはようございます」
俺も右へ揺れた。
おはようございます。
受付嬢は少し笑った。
「今日はどうされました?」
ミミルは少し緊張した顔で言った。
「エッグを、正式に従魔登録したいです」
受付嬢の表情が真面目になる。
「わかりました。昨日の件もありますし、その方が良いかもしれませんね」
昨日の件。
ヴァルム商会。
受付嬢も覚えているらしい。
俺は籠の中で小さく震えた。
受付嬢はすぐに俺を見る。
「大丈夫です。登録すれば、少なくともギルド内では扱いが明確になります」
扱いが明確になる。
それは大事だ。
廃棄推奨の卵。
正体不明の素材。
生きているかもしれない何か。
そんな曖昧な状態では、誰かに都合よく扱われる。
従魔登録されれば、少なくともミミルの従魔として守られる。
俺は右へ揺れた。
受付嬢は書類を取り出した。
「では、いくつか確認します」
ミミルは頷く。
「はい」
「まず、この卵……エッグさんは、ミミルさんの指示を理解できますか?」
「はい。右に揺れたら肯定、左に揺れたら否定です」
受付嬢は俺を見る。
「エッグさん。今の説明が合っていれば、右に揺れてください」
俺は右へ揺れた。
受付嬢の目が少し丸くなる。
「本当に理解していますね」
だからそう言っている。
俺は少し得意げに震えた。
「では、左に揺れてください」
左。
「止まってください」
止まる。
「もう一度、右」
右。
「ありがとうございます」
試験か。
いや、必要なのはわかる。
卵が意思表示していると言われても、普通は信じにくい。
受付嬢は書類に何かを書き込んだ。
「意思表示あり、と」
意思表示あり。
また一つ、俺の扱いが変わった気がした。
次に、鑑定士が呼ばれた。
昨日と同じ鑑定士だ。
彼は水晶を持ってきて、俺の前に置いた。
「登録前に、もう一度簡易鑑定を行います」
俺は少し身構えた。
また廃棄推奨って出るのだろうか。
水晶が光る。
================
名称:ひび割れ卵
種別:不明
危険度:なし
食用:不可
素材価値:低
備考:廃棄推奨。ただし魔力反応あり。経過観察中。
================
まだ廃棄推奨。
しつこい。
かなりしつこい。
俺は震えた。
ぶるぶる。
鑑定士が苦笑する。
「怒っていますな」
「たぶん、廃棄推奨が嫌なんだと思います」
ミミルが言う。
そりゃ嫌だ。
自分の身分証に「廃棄推奨」って書かれてみろ。
泣くぞ。
卵だから泣けないけど。
受付嬢は少し困った顔をした。
「ですが、鑑定結果としては表示されてしまいますね……登録備考には、経過観察中と追記しておきます」
経過観察中。
廃棄推奨よりはまし。
たぶん。
鑑定士は俺を見ながら首をかしげた。
「ただ、昨日より魔力反応が安定しているようにも見えます。卵殻片の影響でしょうか」
それは俺にもわからない。
俺の内部では、黒竜の血の影響がまだ残っている。
だが、それを外部の鑑定がどこまで見ているのかは不明だ。
とりあえず、種別は不明のまま。
竜血卵とは出ない。
主人公のステータスと、ギルド鑑定は別物。
ここは覚えておこう。
受付嬢は登録用のカードを取り出した。
「従魔名は、エッグでよろしいですか?」
ミミルが俺を見る。
「エッグでいい?」
俺は右へ揺れた。
本名というほどではないが、今はもう慣れた。
卵だからエッグ。
安直ではある。
だが、悪くない。
「所有者はミミルさん」
所有者。
やはり少し引っかかる。
俺は小さく震えた。
ミミルはそれに気づいた。
「エッグ?」
俺は少し迷った。
所有者という言葉は嫌だ。
だが、ミミルに登録されること自体は嫌ではない。
どう伝える。
右左だけでは難しい。
俺は左へ少し揺れ、それからミミルの方へ体を傾けた。
「所有者って言い方が嫌?」
俺は右へ揺れた。
おお。
今のは当たった。
これはさすがにわかりやすかったか。
ミミルは受付嬢を見る。
「所有者じゃなくて、相棒とか、保護者みたいにはできませんか?」
受付嬢は少し困ったように笑った。
「登録上の項目名は所有者になります。ただ、備考に意思表示あり、本人同意あり、と記録することはできます」
本人同意。
それなら少しはましだ。
俺は右へ揺れた。
ミミルも頷く。
「じゃあ、それでお願いします」
受付嬢は書類に追記した。
本人同意あり。
その一文があるだけで、俺は少し安心した。
所有物ではなく、少なくとも意思のある存在として扱われる。
今は、それで十分だ。
登録作業は続いた。
「役割は……」
受付嬢がそこで少し止まった。
俺を見る。
ミミルを見る。
そして、書類を見る。
「補助……と言いたいところですが、現時点では実績が少ないので」
嫌な予感。
「荷物扱いになります」
荷物。
俺は固まった。
従魔登録。
役割、荷物。
廃棄推奨の次は荷物か。
俺の社会的地位、低すぎない?
ミミルが慌てる。
「荷物って、あの、もう少し何か」
「移動能力がほとんどなく、戦闘能力も確認されていませんので……」
受付嬢は申し訳なさそうに言う。
「ただし、依頼で補助実績が確認されれば、役割を更新できます」
補助実績。
つまり、働けということか。
前世の会社みたいなことを言う。
実績がないと評価されない。
卵にも実績主義。
厳しい世界だ。
俺は小さく震えた。
ミミルが籠を撫でる。
「エッグ、怒ってる?」
右。
怒ってます。
「でも、更新できるって」
右。
それはそう。
荷物から始めて、いつか補助従魔に上がればいい。
目指せ、脱・荷物。
低い。
目標が低い。
でも大事だ。
受付嬢は登録カードに文字を刻む。
================
従魔名:エッグ
種別:ひび割れ卵
所有者:ミミル
役割:荷物
危険度:なし
備考:食用不可。廃棄推奨。経過観察中。
意思表示あり。本人同意あり。
================
ひどい。
かなりひどい。
食用不可。
廃棄推奨。
役割:荷物。
俺のプロフィール、ほぼ悪口で構成されている。
ただ、最後に意思表示あり、本人同意あり。
そこだけは良い。
俺はその二行を見て、なんとか心を落ち着けた。
鑑定士がカードを見ながら呟く。
「内部種別照合中……該当なし」
小さな表示が一瞬だけ水晶に浮かんだ。
受付嬢やミミルは気づかなかったようだ。
だが、俺には見えた。
該当なし。
やはり、俺は普通の魔物卵ではないらしい。
いや、今さらだ。
自分のステータスに竜血卵と出ている時点で、普通ではない。
だが、ギルドの水晶でも該当なし。
この世界の分類にうまく収まらない。
それが、少し不気味だった。
登録が終わると、受付嬢はカードをミミルに渡した。
「これで、エッグさんは正式にミミルさんの登録従魔です。ギルド内で無断に持ち去ったり、身体由来素材を取引したりすることは問題になります」
重要。
とても重要。
俺は右へ揺れた。
受付嬢は笑う。
「わかっていますね」
わかっている。
めちゃくちゃわかっている。
俺の殻は俺のものだ。
自然に落ちた分をミミルが使うのはいい。
でも、勝手に売るのは嫌だ。
削るのはもっと嫌だ。
その時、少し離れたところから笑い声が聞こえた。
「おいおい、見ろよ。卵を従魔登録してるぞ」
冒険者の男たちがこちらを見ていた。
その中に、赤茶色の髪の男がいた。
革鎧を着た、いかにも冒険者という雰囲気の男。
目つきが悪い。
男はにやにやしながら近づいてくる。
「従魔名エッグ? 役割、荷物? ははっ、荷物を従魔登録かよ」
嫌な奴だ。
直感でわかる。
こいつは嫌な奴だ。
ミミルが少し身を固くする。
「エッグは、ちゃんと意思があります」
「意思がある荷物か。便利だな」
男は俺の籠を覗き込む。
「おい卵。右に揺れたら返事するんだって?」
俺は動かなかった。
お前には返事しない。
男は笑う。
「無視かよ。生意気な卵だな」
受付嬢が静かに言った。
「ガルドさん。登録従魔への無断接触は禁止です」
ガルド。
名前を覚えた。
嫌な奴リストに登録。
ガルドは肩をすくめる。
「触ってねえだろ。見てるだけだ」
「威圧もお控えください」
「はいはい」
ガルドは軽く手を振った。
だが、去り際に俺を見て言った。
「まあ、せいぜい割れないように気をつけろよ。荷物卵」
荷物卵。
新しい悪口が増えた。
俺は震えた。
怒りで。
ミミルが俺の籠を抱え直す。
「行こう、エッグ」
右。
行こう。
あいつとは関わらない方がいい。
少なくとも今は。
ギルドを出る前に、受付嬢が声をかけてきた。
「ミミルさん。よければ、低ランクの採取依頼を受けてみますか?」
「採取依頼ですか?」
「はい。危険の少ない薬草採取です。エッグさんが素材に反応できるなら、補助実績になるかもしれません」
補助実績。
役割を荷物から更新するチャンス。
俺は右へ揺れた。
やる。
やりたい。
ミミルは俺を見る。
「無理しない?」
右。
無理はしない。
たぶん。
受付嬢は依頼票を一枚出した。
================
依頼:低級薬草の採取
場所:東門近くの草地
危険度:低
報酬:少
備考:見習い向け
================
報酬、少。
正直だ。
でも、今の俺たちにはちょうどいい。
ミミルは依頼票を受け取った。
「やってみます」
俺は籠の中で震えた。
荷物から補助従魔へ。
その第一歩だ。
ギルドを出る時、俺はもう一度登録カードを見た。
役割:荷物。
悔しい。
だが、今に見ていろ。
俺はただの荷物ではない。
転がる荷物だ。
いや、それもどうなんだ。
とにかく、役に立ってみせる。
割れない範囲で。




