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第6話 俺の殻、売られそうになる



 翌朝。


 ミミルは、昨日の実験でできた回復薬を机の上に並べていた。


 薄い緑色の液体が入った小瓶。


 見た目は、いかにも回復薬という感じだ。


 俺の前世知識で言えば、完全にゲームのポーション。


 ただし、作ったのは見習い錬金術師の少女と、ひび割れ卵である。


 組み合わせがだいぶ不安だ。


「昨日のは、かなり安定してると思う」


 ミミルは瓶を光に透かしながら言った。


「エッグの殻片を入れた分だけ、魔力の揺れが少ない」


 俺は机の上の小瓶を見た。


 昨日、俺の殻から自然に剥がれた小さな欠片。


 それをほんの少しだけ使った回復薬。


 正直、自分の体の一部が薬に入っていると思うと、かなり複雑だ。


 爪を煎じて飲むようなものだろうか。


 いや、俺の場合は全身が殻だから、もっと重い気もする。


 やめよう。


 深く考えると気持ち悪くなる。


「ギルドに持っていって、品質を見てもらおうと思うんだけど……いい?」


 ミミルが俺を見る。


 ちゃんと聞いてくれる。


 それだけで、俺は少し安心した。


 俺は右へ揺れた。


 いいよ。


「ありがとう」


 ミミルは嬉しそうに笑った。


 俺を籠に入れ、回復薬の瓶を布で包む。


 そして、いつものように工房を出た。


 朝の街は、昨日より少しだけ賑やかだった。


 パンの焼ける匂い。

 荷車の音。

 冒険者たちの笑い声。


 俺は籠の中で揺られながら、周囲の音を聞いていた。


 異世界に来たばかりの頃は、何もかも怖かった。


 角つきの獣。

 牙のある小動物。

 黒い竜。

 そして、俺自身がひび割れ卵であるという現実。


 今でも怖いものは多い。


 だが、ミミルの籠の中は少しだけ安心できる。


 揺れるけど。


 かなり揺れるけど。


 ギルドに着くと、受付嬢が俺たちに気づいた。


「ミミルさん。エッグさん。今日は納品ですか?」


 エッグさん。


 まだ慣れない。


 卵にさん付け。


 でも、悪くない。


 俺は籠の中で少し右へ揺れた。


「はい。昨日の回復薬が安定したので、品質を見てもらいたくて」


 ミミルは布に包んだ小瓶を差し出した。


 受付嬢はそれを受け取り、奥の鑑定士に声をかける。


 昨日、俺を「廃棄推奨」と判断したあの鑑定士だ。


 正直、少し苦手である。


 いや、向こうは仕事をしただけなのだろう。


 だが、いきなり廃棄推奨と言われた側の気持ちも考えてほしい。


 俺は卵だが、心はある。


 鑑定士は小瓶を受け取り、専用の水晶の前に置いた。


 水晶が淡く光る。


================


低級回復薬

品質:中

効果:軽傷の回復

備考:魔力の乱れが少なく、安定性が高い


================


 おお。


 品質中。


 ミミルの顔がぱっと明るくなった。


「中……!」


 受付嬢も少し驚いている。


「ミミルさん、品質中はかなり良いですよ。見習いの方が作る低級回復薬は、品質低になることが多いので」


「ほ、本当ですか?」


「はい。しかも安定性が高いですね」


 ミミルは嬉しそうに俺を見た。


「エッグのおかげだよ」


 俺は右へ揺れた。


 いや、俺だけではない。


 作ったのはミミルだ。


 俺は殻を少し提供しただけ。


 ……提供?


 いや、自然に落ちたやつだからセーフ。


 たぶん。


 鑑定士は回復薬を眺めながら、興味深そうに言った。


「昨日の卵殻片を使ったのですか?」


「はい。でも、本当に少しだけです。自然に落ちた欠片を」


「なるほど」


 鑑定士は今度、ミミルが持ってきた小さな殻片の残りを見た。


 水晶にかざす。


================


竜血反応を帯びた卵殻片

品質:高

用途:魔力安定剤、回復薬補助材

備考:希少な魔力反応あり。詳細不明。


================


 品質高。


 俺の殻片、そんなに高品質なのか。


 正直、ちょっと嬉しい。


 だが、同時にかなり嫌な予感もした。


 高品質な素材。


 希少な魔力反応。


 詳細不明。


 これは、面倒ごとの匂いがする。


 受付嬢も少し表情を引き締めた。


「これは……扱いに注意した方がよさそうですね」


 ミミルが俺の籠を抱き寄せる。


「売るつもりはありません。この子の体の一部なので」


 この子の体の一部。


 ミミルは、はっきりそう言ってくれた。


 俺は籠の中で小さく震えた。


 嬉しい。


 かなり嬉しい。


 鑑定士は頷いた。


「賢明です。素材としての価値はありますが、登録前の従魔に近い存在であるなら、勝手な売買は避けるべきでしょう」


 登録前の従魔に近い存在。


 微妙な言い方だが、廃棄推奨よりはだいぶましだ。


 その時だった。


 少し離れた場所から、誰かの視線を感じた。


 俺は籠の中から、そちらへ意識を向ける。


 商人らしき男が一人、受付付近に立っていた。


 年は三十代くらいだろうか。


 上質な服。

 整えられた髪。

 薄い笑み。


 冒険者ではない。


 ギルド職員でもない。


 男は、鑑定士の水晶に表示された文字を見ていた。


 特に、俺の殻片の鑑定結果を。


 俺は小さく震えた。


 嫌な予感がする。


 ミミルも俺の反応に気づき、男の方を見た。


 男はすぐに視線を外し、何事もなかったように受付へ向かった。


「失礼。素材の買い取り依頼について、確認をお願いできますか」


 声は丁寧だった。


 だが、俺はわかった。


 あいつは、今の鑑定結果を見ていた。


 俺の殻片を。


 受付嬢は男に対応しながらも、少しだけこちらを気にしているようだった。


 男は短く用件を済ませると、こちらに近づいてくることはなかった。


 ただ、手帳に何かを書き込み、静かにその場を去っていった。


 受付嬢が小声で言う。


「今の方は、ヴァルム商会の関係者ですね」


「ヴァルム商会?」


 ミミルが聞き返す。


「この街でも大きな素材商会です。薬草や魔石、魔物素材、錬金素材まで幅広く扱っています」


 素材商会。


 俺は籠の中で震えた。


 それはつまり、俺の殻片に興味を持つ可能性が高い連中ということだ。


 ミミルの表情も少し硬くなった。


「エッグの殻片、狙われたりしますか?」


「価値があると知られれば、声をかけられる可能性はあります。ただ、無理に取引する必要はありません。もし何かあれば、ギルドに相談してください」


 受付嬢はそう言ってくれた。


 頼もしい。


 俺は右へ揺れた。


 ありがとう。


 受付嬢は微笑んだ。


「エッグさんも、嫌ならちゃんと嫌だと伝えてくださいね」


 俺はさらに右へ揺れた。


 伝える。


 全力で伝える。


 左にも揺れる。


 必要なら水晶も割る。


 いや、それは怒られるか。


 ミミルは回復薬の納品手続きを済ませた。


 報酬は少しだけ上乗せされた。


 品質中だったかららしい。


 ミミルは小袋を大事そうに握っていた。


「エッグ、やったね」


 右。


 やった。


 初めて、自分たちで作ったものがちゃんと評価された。


 俺の殻片が使われたことは複雑だが、ミミルが嬉しそうなのは俺も嬉しい。


 ただ、ギルドを出る前に、俺はもう一度入口の方を見た。


 ヴァルム商会の男は、もういない。


 だが、手帳に何かを書いていた。


 それが頭から離れなかった。


 工房へ戻る道中、ミミルは何度も俺の籠を確認した。


「大丈夫?」


 右。


「怖かった?」


 少し迷って、右。


 怖かった。


 というより、不気味だった。


 角つきの獣や牙ネズミとは違う怖さ。


 食べようとしてくる魔物の方が、まだわかりやすい。


 だが、人間は違う。


 笑いながら近づいてくる。

 丁寧な言葉で包んでくる。

 そして、こちらの価値を値段で見る。


 前世でも、そういう人間はいた。


 役に立つなら使う。

 使えなくなったら捨てる。

 それを悪いことだと思っていない人間。


 俺は、そういう目を少し知っている。


 工房に着くと、ミミルは俺を机の上に置いた。


 それから、小瓶に残った殻片を取り出す。


「これは、ちゃんとしまっておこう」


 ミミルは小さな布に包み、棚の奥の箱に入れた。


 鍵はない。


 だが、少なくとも机の上に置きっぱなしよりはいい。


「エッグ」


 ミミルが俺を見る。


「勝手に使わない。勝手に売らない。約束する」


 俺は右へ揺れた。


 ありがとう。


「でも、少しだけ研究には使わせてほしい。落ちた分だけ。エッグが嫌がらなければ」


 俺は少し考えた。


 俺の殻片が、ミミルの役に立つ。


 回復薬を安定させる。

 魔力の暴走を抑える。


 それは悪いことではない。


 ただ、勝手に使われるのは嫌だ。


 削られるのはもっと嫌だ。


 売られるのは絶対に嫌だ。


 俺は右へ揺れた。


 落ちた分だけなら。


 嫌じゃない時だけなら。


 ミミルはほっと笑った。


「ありがとう。ちゃんと聞くね」


 その言葉に、俺は安心した。


 この子は、俺を素材として見ない。


 少なくとも、今は。


 夜。


 ミミルは今日の記録をつけていた。


『低級回復薬』

『品質:中』

『卵殻片に魔力安定効果』

『殻片は勝手に使わない』

『ヴァルム商会に注意』


 最後の一文。


 ヴァルム商会に注意。


 俺はそれを見て、小さく震えた。


 ミミルも気づいて、苦笑する。


「大丈夫。気をつけるだけ」


 右。


 気をつける。


 それは大事だ。


 だが、俺の嫌な予感は消えなかった。


 窓の外は、もう暗い。


 工房の前の通りに、人影はない。


 それでも、俺は何度か窓の方を見た。


 見張られている気がした。


 考えすぎかもしれない。


 ただの不安かもしれない。


 だが、俺は知っている。


 価値があると知られたものは、放っておかれない。


 それが金になるなら、なおさらだ。


 俺は木箱の中で、小さく震えた。


 自分の殻が役に立った。


 ミミルの回復薬が成功した。


 それは嬉しい。


 でも同時に、俺の殻は誰かに狙われるものになった。


 役に立つことと、危険になること。


 その二つは、どうやら同時にやってくるらしい。


================


条件を達成しました。

称号《役に立った卵》を獲得しました。


================


 役に立った卵。


 俺は、その表示を見てしばらく黙った。


 嬉しい。


 でも、少し怖い。


 役に立つ卵は、きっと捨てられにくい。


 だが同時に、使われやすい。


 俺は殻の奥で、小さくため息をついた気がした。


 卵にため息があるのかは知らない。


 明日から、もっと気をつけよう。


 俺の殻は、俺のものだ。


 たとえ少し欠けていても。


 ひび割れていても。


 廃棄推奨でも。


 それだけは、忘れないでおこうと思った。






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