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第53話 殻片は嘘をつく

角のある兎は。


 速かった。



 こっちは。


 卵だった。



 勝負にならない。



「待ってください」



 ミミルが。


 小声で呼ぶ。



 兎は。


 倒木の向こうで止まった。



 耳だけが。


 見えている。



 俺たちが追いつくと。


 また走る。



 待つ。



 走る。



 待つ。



 親切だった。



 卵に合わせてくれている。



 兎に。



 気を遣われている。



 終わってる。



 でも。


 助かる。



 ミミルの腰には。


 携帯ゆりかごがある。



 俺は。


 その中で揺られていた。



 布とばねが。


 足場の悪さを逃がしてくれる。



 それでも。


 木の根を越えるたび。


 殻の内側で。


 腐毒が。


 重く揺れた。



 冷たい。



 少し。


 痛い。



 そして。



 熱い。



 ひびの一本が。


 さっきから。


 じわじわと熱を持っている。



 沢へ流した欠片は。


 もう遠いはずだ。



 捕獲具の欠片も。


 ここにはない。



 なのに。



 熱が。


 消えない。



 俺は。


 一度震えた。



 ぶる。



 ミミルが止まる。



「何か、ありましたか」



 俺は。


 もう一度。



 ぶる。



 はい。



 ミミルが。


 ゆりかごへ手を添えた。



「痛みですか」



 ぶる。



「腐毒が動いていますか」



 ぶるぶる。



 いいえ。



「捕獲具に触れた時と、似ていますか」



 ぶる。



 はい。



 ミミルの顔から。


 疲れが消えた。



 代わりに。


 別のものが浮かぶ。



 怖さ。



 それと。



 考える顔。



 角のある兎が。


 前足で地面を叩いた。



 一度。



 二度。



 耳が。


 後ろを向いている。



 来た道へ。



 俺の殻も。


 また熱くなった。



 近づいている。



 たぶん。



 何かが。



「隠れましょう」



 ミミルは。


 兎が立っている倒木へ駆けた。



 その裏には。


 根が抜けた穴があった。



 浅い。



 けれど。


 二人が身を伏せるには足りる。



 兎は。


 穴の横の茂みへ潜った。



 ミミルが。


 濡れた土を外套へ塗る。



 俺のゆりかごには。


 吸着粉を薄く振った。



 腐毒の匂いが。


 土の匂いに沈む。



 呼吸を。


 殺す。



 俺は。


 呼吸をしていない。



 こういう時だけ。


 卵でよかった。



 足音がした。



 一人。



 違う。



 二人。



 三人。



 枝を踏む音は。


 遠慮がない。



 逃げる者の歩き方ではない。



 追う者の。


 歩き方だった。



 木々の間に。


 白いものが見えた。



 顔。



 ではない。



 白い面。



 先頭の男が。


 手に丸い板を持っている。



 板の上を。


 細い光が走っていた。



 一本。



 途中で分かれる。



 一方は。


 沢の方角。



 もう一方は。



 こちら。



 光は迷った。



 沢へ向く。



 戻る。



 俺へ向く。



 また戻る。



「発信片は川下だ」



 白面の一人が言った。



「だが、登録紋はこっちに残っている」



「中和されたか」



「関係ない。外側を隠しても、捕獲時に登録した紋までは消えん」



 俺の。


 魔力紋。



 捕まった時に。


 刻まれたもの。



 あの欠片を捨てれば。


 終わると思っていた。



 違った。



 捨てた欠片は。


 居場所を知らせる道具だった。



 こいつらが追っているのは。


 道具ではない。



 俺だ。



 白面の持つ板が。


 こちらを向いた。



 光が。


 細く。


 強くなる。



 ミミルの指が。


 俺の殻を包んだ。



 動かない。



 震えない。



 今は。



 返事をしてはいけない。



「反応が二つある」



「片方は通知具だ。回収網の式は遅れて残る」



「本体を優先する」



 三人が。


 こちらへ進む。



 角のある兎が。


 茂みの中で身を低くした。



 逃げない。



 俺たちを置いて。



 逃げなかった。



 ミミルが。


 片手で鞄を開いた。



 音を立てずに。



 紙束を抜く。



 街から持ち出した。


 研究記録。



 その端に。


 細い線で描かれた図があった。



 ミミルが以前。


 捕獲具の欠片から写し取ったもの。



 中心から伸びる線。



 途中で分かれ。



 離れた印へつながる。



 白面の板に浮かぶ光と。



 同じだった。



 ミミルの指先が。


 紙の線をなぞる。



 商会へつながっていた通知。



 貴族の書状が届く前に。


 動いていた照会。



 捕獲具。



 白い面。



 別々ではなかった。



 同じ仕組みを。



 使っていた。



 俺を。


 見つけるために。



 俺を。


 回収するために。



 板の光が。


 また強くなる。



 白面が。


 倒木まで。


 あと十歩。



 ミミルが。


 紙を戻した。



 それから。



 小さな布包みを取り出した。



 見覚えがある。



 俺から自然に剥がれた。


 殻片。



 再構築の後。



 拾って。



 捨てずに持ってきたもの。



 次に俺が壊れた時。


 核になるかもしれない。



 記憶を。


 残せるかもしれない。



 命綱。



 ミミルは。


 布包みを握ったまま。



 動かなかった。



 使えば。


 追跡をずらせるかもしれない。



 使えば。



 なくなる。



 俺が。


 次に死んだ時。



 戻れる可能性が。



 一つ減る。



 白面の足が。


 土を踏んだ。



 あと八歩。



 ミミルが。


 俺を見た。



 声は出さない。



 殻片を見せる。



 川下を指す。



 それから。



 首を横へ振った。



 使いたくない。



 そう言っていた。



 俺のものだから。



 勝手に使わない。



 あと六歩。



 板の光が。



 俺を指す。



 角のある兎の後ろには。


 細い獣道があった。



 来た沢とは。


 逆へ伸びている。



 逃げる道。



 でも。



 このままでは。


 追いつかれる。



 殻片は。


 命綱だ。



 俺の。



 残りだ。



 失いたくない。



 怖い。



 死ぬのは。



 もう。



 知っている。



 死んだ後。



 何かを忘れることも。



 知っている。



 それでも。



 ミミルが捕まれば。



 俺だけ残っても。



 意味がない。



 俺は。



 一度。



 震えた。



 ぶる。



 はい。



 ミミルが。


 目を閉じた。



 一瞬だけ。



 開く。



 頷いた。



 殻片を。


 布から出す。



 白く。



 薄い。



 端に。


 俺と同じ濁りがある。



 ミミルは小瓶を開けた。



 中に残っていた水を。


 殻片へ一滴。



 濡れた表面に。



 淡い光が浮かんだ。



 白面の板が。


 大きく振れた。



「動いた」



「右だ」



 ミミルが。


 殻片を低く投げた。



 倒木の下。



 枯れ葉の上を滑る。



 坂を落ちる。



 その先には。


 沢へ注ぐ。


 細い流れがあった。



 殻片が。


 水へ入る。



 光が。



 川下へ動いた。



「反応が離れるぞ」



「走れ」



 白面たちが。


 向きを変えた。



 一人。



 二人。



 三人。



 俺たちの前を横切る。



 白い面が。


 木々の間へ消える。



 足音は。



 水の流れる方へ。



 遠ざかった。



 しばらく。



 誰も動かなかった。



 森の音が。


 戻ってくる。



 葉の擦れる音。



 水。



 鳥。



 俺のひびの熱も。



 遠ざかる。



 今度こそ。



 明確に。



 殻片を追って。



 遠ざかっていく。



 ミミルが。


 息を吐いた。



「同じでした」



 声が。


 かすれていた。



「商会の回収通知も、貴族家への照会も、今の人たちが使っていたものも」



 紙束を。


 胸元で押さえる。



「形を変えただけで、術式の流れは同じです」



 偶然ではない。



 街にいた誰かが。


 勝手に作ったものでもない。



 俺を捕まえた道具と。



 白面の追跡と。



 商会や貴族へ伸びた網は。



 つながっている。



 実際に。



 今。



 同じ光が。



 俺を追った。



「でも、今は」



 ミミルが。


 川下を見る。



「殻片を、あなたとして追っています」



 成功した。



 一度だけ。



 追跡を。



 外した。



 俺は。


 ゆりかごの中で。



 自分の殻を確かめた。



 薄い。



 脆い。



 なくした場所が。


 急に寒くなった気がした。



 命が。



 一つ。



 減った。



 そんな感じがした。



「ごめんなさい」



 ミミルが言った。



 違う。



 俺が決めた。



 俺は。



 二度震えた。



 ぶる。



 ぶる。



 いいえ。



 謝らなくていい。



 伝わったかは。



 分からない。



 ミミルは。



 少しだけ。



 困ったように笑った。



「ありがとうございます」



 それは。



 たぶん。



 伝わっていた。



 茂みから。


 角のある兎が出てきた。



 俺を見る。



 川下を見る。



 また俺を見る。



 その耳が。


 少しだけ伏せられた。



 殻片を失ったことを。



 分かっているように。



 見えた。



 気のせいかもしれない。



 兎だ。



 そんなことまで。


 分かるはずがない。



 角のある兎は。



 俺のゆりかごへ近づいた。



 鼻先を。



 殻へ触れないぎりぎりまで寄せる。



 俺の中の魔力が。



 また。



 小さく揺れた。



 兎の鼓動と。



 同じ速さで。



 ひとつ。



 ふたつ。



 揺れる。



 兎は身を翻した。



 獣道へ入る。



 今度は。



 少し進んで。



 待った。



 追手は。


 殻片を追っている。



 いつ気づくかは。


 分からない。



 もう一度は。



 使えない。



 次は。



 俺自身の魔力紋を。



 どうにかしなければならない。



 ミミルが。


 携帯ゆりかごの紐を締め直す。



「行きましょう」



 俺は。



 一度震えた。



 ぶる。



 はい。



 俺たちは。


 角のある兎を追った。



 沢から離れ。



 白面から離れ。



 街から。



 さらに遠くへ。



 森は。



 暗くなっていく。



 けれど。



 兎の進む先には。



 折れた枝があった。



 小さな足跡があった。



 一つではない。



 二つ。



 三つ。



 もっと。



 弱い魔物たちが。



 何度も通った跡だった。

追跡具を捨てても、追跡そのものは終わっていませんでした。

失った殻片が作った一度きりの猶予を、二人がどう使うのか。次話もよろしくお願いします。


お読みいただきありがとうございます!


「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。


廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。

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