第50話 うちの子は売りません
仲間になった。
その直後だった。
扉が。
三度。
叩かれた。
こん。
こん。
こん。
ベルクの顔から。
少しだけ。
力が抜けた。
「その叩き方は、正面窓口です」
正面。
ここは。
薬師ギルドの記録室だ。
閉じた部屋ではない。
扉の向こうには。
受付。
待合。
薬を求める人。
依頼を出す人。
たくさんいる。
「失礼します」
扉が開いた。
灰色の服を着た男が。
二人。
入ってきた。
片方は。
銀の盆を持っている。
その上に。
封蝋された紙。
見覚えはない。
だが。
封蝋の紋章を見た瞬間。
セリアが立った。
「これは、審査中の案件です」
「存じております」
男が答えた。
「審査が終わったため、参りました」
終わった。
今。
俺の札が。
できたばかりなのに。
男は。
受付の方へ振り返った。
「公開での通達を求めます」
待合にいた人たちが。
こちらを見る。
薬師。
冒険者。
包帯を巻いた男。
薬瓶を抱えた女。
迷宮で救助された。
あの二人もいた。
俺は。
器の中で。
少しだけ。
ミミルの方へ傾いた。
ミミルの手が。
器の縁に触れた。
「大丈夫です。ここにいます」
何が。
大丈夫なのか。
まだ。
分からない。
でも。
声は震えていなかった。
「読み上げます」
男が。
銀の盆から紙を取った。
「ヴァルム商会より譲渡された債権に基づき、錬金術師見習いミミルの工房、設備、研究成果および管理下にある特殊生物を、債務の保全対象として指定する」
特殊生物。
それ。
俺だ。
「待ってください」
ミミルが言った。
「私はヴァルム商会から借金をしていません」
「あなた個人の債務ではありません」
「では、誰のものですか」
「工房開設時に利用された街の保護費用。薬師ギルドを介した薬材の立替費用。保護棟への移送および治療費です」
保護。
移送。
治療。
俺が。
死んだ時の。
あれか。
「公費のはずです」
ベルクが。
低く言った。
「公費ですよ」
男は。
簡単に答えた。
「ヴァルム商会が、街へ先に納めた」
公費を。
商会が払った。
だから。
商会の債権。
だから。
俺を取る。
分からない。
分からないが。
ものすごく。
嫌な計算だ。
「保護費用の回収先に、保護対象を指定する規定はありません」
セリアが言った。
「通常は」
男が。
次の紙を開いた。
「ただし、従魔登録またはそれに準じる管理登録を受けた魔物が、治療、薬品製造、災害対策に不可欠と判断された場合、費用の負担者は優先管理を申請できる」
従魔。
俺の袋の中で。
二枚の札が。
かち。
と鳴った。
違う。
俺は。
従魔ではない。
「エッグは個人登録されています」
ベルクが。
机を指した。
「所有者欄は本人です。薬師ギルドでも、独立した協力員として承認した」
「例外条項には、登録形式を問わないとあります」
「意思を持つ個人です」
「魔物です」
男は。
俺を見た。
顔ではない。
殻を。
ひびを。
見る目だった。
「さらに、薬草迷宮の災害において、多数を救命した実績がある。腐毒を吸収し、治療に利用できる液体へ変えた。今後も同種の災害が起こり得る以上、公共性は明白です」
待合が。
ざわついた。
助けた。
らしい。
俺は。
覚えていない。
でも。
そのせいで。
俺を。
みんなのものにするらしい。
俺の。
冒険者証は。
俺のものだ。
さっき。
そう言った。
なのに。
「拒否した場合は」
ミミルが。
男を見た。
「どうなりますか」
「錬金術師資格の停止。工房の封鎖および設備の没収。薬師ギルドには、管理不履行による処分が求められます」
「冒険者証は」
「危険存在の管理に関する決定が優先されます」
硬い革札。
薄い金属札。
二枚あっても。
上から。
一枚の紙を置けば。
見えなくなる。
そういう。
ことらしい。
「命令の根拠記録を確認します」
セリアが。
手を出した。
「原本は渡せません」
「照合番号だけで結構です」
男が。
紙の下を見せた。
セリアが。
記録棚へ向かう。
ベルクも続いた。
二人が。
厚い帳簿を。
三冊。
机に並べた。
紙。
紙。
紙。
俺には。
同じに見える。
セリアの指が。
一行ずつ。
追っていく。
「保護棟への移送申請」
一冊目。
「薬師ギルドへの助手登録照会」
二冊目。
「迷宮災害後の危険性報告」
三冊目。
その指が。
止まった。
「すべて、同じ転送番号です」
「当然でしょう」
使者の男が言った。
「同一対象の記録です」
「違います」
セリアが。
帳簿を回した。
待合からも見えるように。
「送付先が同じです」
静かになった。
「保護申請は街の救護局へ。助手登録は薬師ギルド内の審査部へ。危険性報告は冒険者ギルドへ送られた。それなのに、写しはすべて同じ外部窓口へ転送されています」
「提携先への共有です」
「共有先の名称がありません」
セリアの指が。
番号の横へ。
「白い円」
小さな印。
紙の端に。
白い。
丸。
俺のひびが。
熱くなった。
ちり。
器の中に。
黒い雫が。
にじむ。
「エッグ」
ミミルが。
すぐに布を重ねた。
「動かなくて大丈夫です。吸わせます」
俺は。
一度。
震えた。
ぶる。
白い光。
捕獲の道具。
知らない。
いや。
覚えていない。
でも。
殻は。
嫌がっている。
「保護申請を出した時点で」
ベルクが言った。
「外部へ居場所が伝わっていた」
「助手登録もです」
セリアが。
次の帳簿を開いた。
「冒険者として活動した記録も。迷宮から帰還した報告も。すべてです」
守るための。
記録。
俺が。
俺だと。
認めてもらうための。
記録。
それが。
俺を探すための。
地図だった。
「ヴァルム商会は、その共有先から照会を受けた後、街への立替金を債権として買い取っています」
ベルクの声が。
固くなる。
「順序が逆だ。債権があったから調べたのではない。エッグを回収するために、後から債権を用意した」
待合が。
また。
ざわついた。
「推測です」
男は。
表情を変えなかった。
「命令は有効です。対象を引き渡してください」
対象。
その言葉で。
ミミルの手が。
止まった。
「嫌です」
小さな声だった。
男が。
聞き返す。
「何と?」
「お断りします」
「資格と工房を失います」
「はい」
「薬師ギルドにも処分が及びます」
「それを盾にして、エッグを渡せと言っているんですね」
「公共の利益です」
「この子を使う人たちにとっての利益です」
ミミルが。
命令書へ手を伸ばした。
男が避けるより。
早かった。
紙を取る。
「返してください」
「これは、私への命令書です」
両手で。
持つ。
「従わない返事をします」
びり。
紙が。
縦に裂けた。
待合の誰かが。
息をのんだ。
もう一度。
びり。
封蝋の紋章が。
二つに割れた。
「この子は商品でも従魔でもない」
ミミルが。
俺の器を抱えた。
「私の相棒です」
相棒。
俺は。
その言葉を。
知っている。
意味も。
たぶん。
知っている。
ミミルのもの。
ではない。
みんなのもの。
でもない。
隣にいる。
やつ。
俺は。
一度。
震えた。
ぶる。
黒い雫は。
出なかった。
「拒絶を確認しました」
男は。
破れた紙を拾った。
「夜明けに、正式な回収が行われます」
「街の衛兵を使うつもりですか」
セリアが問う。
「いいえ」
男が。
初めて。
少しだけ笑った。
「専門の回収部隊が来ます」
「どこから」
「すでに門外です」
白い円。
殻のひびが。
また。
熱を持った。
「夜明けまで、街の規定は尊重されます。それまでに、自主的な引き渡しをご検討ください」
男たちが。
出ていく。
待合の人々は。
道を開けた。
誰も。
声をかけなかった。
扉が閉じる。
静かだった。
ミミルが。
俺を抱いたまま。
ベルクを見る。
「街の中で守れますか」
ベルクは。
すぐには答えなかった。
帳簿。
二枚の札。
破られた命令書。
全部を見た。
「制度の内側では、無理です」
セリアも。
否定しなかった。
「記録を消すことはできません」
「消さなくていいです」
ミミルが言った。
「エッグが認められた記録ですから」
俺の袋の中で。
二枚の札が。
触れ合う。
かち。
「ただ、追跡に使われる照会だけは遅らせます」
セリアが。
帳簿を閉じた。
「記録の訂正申立て。送付先の監査請求。債権譲渡の異議申請。全部出します」
「通りますか」
「通しません」
きっぱり。
言った。
「ですが、処理が終わるまで、誰にも次の書類を出させません」
ベルクが。
鍵を一つ。
机に置いた。
「裏の薬材搬入口は、夜間点検中です」
それだけ。
言った。
逃げろ。
とは。
誰も言わない。
だが。
ここにいろとも。
言わなかった。
「どれくらい」
ミミルが聞く。
「夜明けまで」
セリアが答えた。
「それ以上は、約束できません」
窓の外は。
まだ。
暗くない。
だが。
夜明けまで。
長いようで。
短い。
ミミルが。
俺を見た。
「エッグ」
声は。
柔らかい。
「この街を出たら、工房も、資格も、安全な保護もなくなるかもしれません」
俺は。
聞く。
「ここに残れば、あなたを渡すことになります」
それは。
だめだ。
「私は、あなたと逃げたいです」
ミミルが。
俺の答えを待った。
勝手に。
持っていかない。
勝手に。
決めない。
俺は。
一度。
震えた。
ぶる。
はい。
「ありがとうございます」
違う。
そこは。
礼を言うところではない。
たぶん。
でも。
今は。
新しい言い方を知らない。
だから。
もう一度。
ぶる。
ミミルが。
少し笑った。
「急ぎましょう」
俺たちは。
仲間になったばかりだ。
工房も。
街も。
もう。
捨てることになった。
早い。
早すぎる。
仲間になって。
すぐ。
逃亡者。
順番が。
終わっている。
でも。
袋の中には。
二枚の札がある。
俺が。
俺だと。
書かれた札。
街を出ても。
それは。
俺のものだ。
夜明けには。
白い顔の連中が来る。
それまでに。
俺たちは。
消えなければならない。
二枚の証を得た直後、二人はそれを発行した制度そのものに追い詰められました。
それでも証を捨てず、所有されないために街を捨てる道を選びます。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。
廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。




