第48話 腐毒卵、帰還
暗い。
何も。
見えない。
聞こえない。
痛くもない。
俺は。
どこだ。
そもそも。
俺は。
いるのか。
分からない。
ただ。
何かが。
俺を包んでいた。
温かい。
少し。
揺れている。
走っている。
誰かが。
俺を抱いて。
走っている。
「もう少しです」
声。
知っている。
誰だ。
「絶対に、消させません」
震えている。
声も。
俺を包む手も。
ああ。
そうだ。
ミミル。
俺を。
置いていかなかった人。
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固有スキル《殻継転生》を発動します。
残存殻を確認。
残存率:2%
死因因子を検出。
《腐毒》
《溶解》
《過剰吸収》
核の侵食を確認。
再構築開始まで――
失敗。
核の侵食を確認。
再試行。
失敗。
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失敗。
その文字だけ。
暗闇に。
浮かぶ。
おい。
待て。
前は。
戻れた。
薬の中から。
毒の中から。
もう一度。
卵になれた。
今回も。
やれ。
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残存率:1%
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減った。
まずい。
分かりやすく。
終わりへ。
近づいている。
「先生!」
扉の開く音。
固い物が。
机から落ちた。
「残ったのは、これだけです」
「保存液へ入れろ!」
「入れました。ですが、黒い染みが止まりません」
「腐毒が殻そのものへ食い込んでいる。削り落とせる量ではない」
「削りません」
ミミルの声。
即答だった。
「これは、エッグです」
何かが。
俺の周りへ注がれた。
冷たい。
けれど。
冷たさはすぐに。
黒い何かへ。
食われた。
「中和液が保たん」
「では、修復パテを」
「あれは試作品だ。生きた殻へ使った記録がない」
「今使わなければ、記録を取る殻もなくなります」
強い。
ミミルの声が。
戻っていた。
手は。
まだ震えているのに。
「……持ってこい」
音が。
遠ざかる。
近づく。
混ざる。
俺は。
暗い底へ。
沈んでいく。
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残存率:0.8%
外部物質の接続を確認。
核の一時固定に成功。
再構築を開始します。
必要情報が不足しています。
生命情報。
形質情報。
技能情報。
記憶情報。
保存可能な記憶領域:一件。
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一件。
何が。
一件だ。
俺の中に。
何が残っている。
黒い雨。
溶ける殻。
走る冒険者。
ミミル。
薬。
工房。
布。
右。
左。
俺を。
廃棄しなかった。
誰か。
待て。
どれを。
残す。
選べ。
選ばないと。
「記憶殻を接続します」
ミミル。
「待て」
「時間がありません」
「転写できる紋様は一つだ。しかも、どの経験に対応するか判別できん」
「分かっています」
「顔を覚えていても、名を失うかもしれん。名が残っても、お前との時間が消えるかもしれない」
「分かっています」
「選べないぞ」
「私が選んではいけません」
違う。
選んでくれ。
俺には。
今。
手がない。
声も。
揺れる体もない。
「これは、エッグの記憶です」
ミミルが。
近くにいる。
「私に都合のいい思い出だけを残すことはできません」
何かが。
触れた。
薄い。
別の殻。
俺ではない。
けれど。
俺の振動を。
写し取った殻。
「選ぶことはできません。ですが、戻る道を増やすことはできます」
温かい魔力が。
細い線になって。
暗闇へ入る。
俺の中を。
探っていく。
名前。
痛み。
薬の匂い。
手の温度。
声。
右。
左。
最初の。
合図。
あれは。
いつだ。
どこだ。
誰と。
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記憶殻を接続。
記憶情報を一件補完。
情報競合を確認。
損傷領域を切り離します。
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待て。
そこには。
何がある。
切るな。
まだ。
見ていない。
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損傷領域を切り離しました。
再構築を続行します。
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白い。
何かが。
暗闇の向こうで。
こちらを見た。
顔はない。
ただ。
遠くで。
俺が戻るのを。
数えている。
そんな気がした。
次の瞬間。
黒い波が。
全部を飲み込んだ。
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死因因子《腐毒》を定着。
耐性形質を再構築。
既存技能の維持に失敗。
《薬性分泌》を喪失しました。
《麻痺耐性》を喪失しました。
《睡眠耐性》を喪失しました。
新規技能を獲得しました。
《腐毒分泌 Lv1》
《毒喰い Lv1》
《腐食耐性 Lv1》
《毒霧感知 Lv1》
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熱い。
熱い。
熱い。
殻の外からではない。
俺の中で。
毒が。
煮えている。
ひびへ。
黒い液が集まる。
漏れそうになる。
漏れるな。
今。
触られている。
この手を。
溶かすな。
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《腐毒分泌》を抑制しました。
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できた。
たぶん。
できた。
痛い。
重い。
狭い。
懐かしい。
体がある。
俺の。
殻がある。
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個体名:エッグ
種族:腐毒卵
種族ランク:E-
レベル:1/10
ひび割れ率:19%
生命力:4/4
魔力:2/2
攻撃力:1
防御力:3
敏捷:0
知力:8
運:1
固有スキル:
《殻継転生 Lv2》
通常スキル:
《殻籠り Lv1》
《微振動 Lv3》
《腐毒分泌 Lv1》
《毒喰い Lv1》
《腐食耐性 Lv1》
《毒霧感知 Lv1》
称号:
《転生者》
《孵化不全》
《廃棄された卵》
《腐毒より帰還せし者》
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出た。
腐毒卵。
名前からして。
触ったら駄目そうだ。
薬魔卵から。
危険物へ。
順調に。
悪化している。
けれど。
いる。
俺は。
いる。
外から。
泣く声がする。
「色が……」
ミミル。
「黒緑色へ変わっている。まだ触るな。毒性が分からん」
「でも」
「ミミル」
「でも、動きました」
器の外から。
顔がのぞく。
ぼやけている。
目が。
赤い。
ひどい顔だ。
俺は。
殻の底へ力を込めた。
動け。
右へ。
少しだけ。
かり。
器の中で。
俺の殻が。
右へ揺れた。
「エッグ?」
もう一度。
右。
かり。
かり。
ミミルの息が。
止まった。
「私が、分かりますか」
右。
「ミミルです」
右。
「ここは、工房です」
右。
「戻ってきたのですね」
右。
何度でも。
右へ。
俺は。
戻った。
約束どおり。
全員で。
帰った。
ミミルが。
器の横へ座り込む。
触れずに。
両手で。
自分の口を押さえた。
声を。
こぼさないように。
しばらくして。
先生が。
いくつか質問した。
毒を出せるか。
右。
今は出さないでいられるか。
右。
薬の性質を持つ液を出せるか。
試す。
何も。
出ない。
左。
麻痺毒に耐えられそうか。
分からない。
答えられない。
眠り薬は。
同じだ。
消えた。
前の俺が。
持っていたもの。
助けるために。
何度も使ったもの。
全部。
なくなった。
代わりに。
毒を食える。
腐らない。
毒を見つけられる。
毒を出せる。
完全に。
毒寄りだ。
「記憶の確認もします」
ミミルが。
目元を拭いた。
「嫌なら、左へ動いてください」
右。
やろう。
前にも。
穴があった。
今回だけ。
無事なはずがない。
「私があなたを拾ったことは?」
右。
「廃棄しなかったことは?」
右。
「一緒に五号薬を作ったことは?」
右。
「薬草迷宮へ入ったことは?」
右。
「みんなを助けたことは?」
右。
覚えている。
大丈夫だ。
俺は。
俺だ。
ミミルが。
息を吐く。
けれど。
次の問いを前に。
止まった。
「では」
指先が。
記憶殻へ触れる。
俺につながれ。
端が黒く変色した。
小さな殻。
「最初に、私たちが意思を通わせた時のことを覚えていますか」
最初。
意思を。
通わせた。
右。
左。
いつもの合図。
それを。
初めて。
決めた時。
俺は。
どこにいた。
ミミルは。
何を聞いた。
俺は。
どう答えた。
探す。
ない。
穴すら。
ない。
最初から。
そんな出来事など。
なかったように。
何も。
出てこない。
「右が、はい」
ミミルが。
静かに言った。
「左が、いいえ」
知っている。
今は。
知っている。
「それを、初めて決めた日のことです」
知らない。
俺は。
左へ。
揺れた。
かり。
小さな音が。
工房に響いた。
ミミルは。
笑った。
「そうですか」
笑ったまま。
涙が。
一つ。
落ちた。
「では、また覚えましょう」
俺は。
右へ。
揺れた。
失った。
戻った。
でも。
同じ俺では。
なかった。
黒緑色の殻の奥で。
何かが。
確かに。
欠けていた。
エッグは帰還しました。
しかし、死から戻るたび、以前とまったく同じ場所へ帰れるとは限りません。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。
廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。




