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第46話 一滴ずつ、命を削る

奥へ。



 俺が震えると。


 ミミルは。


 唇を噛んだ。



「迷宮核へ、行くのですね」



 右。



「取り残された二人も、そちらにいる」



 右。



「戻る道は、ありません」



 右。



 三回。



 全部。


 分かっている。



 分かっていて。


 俺は奥を選んだ。



「……分かりました」



 ミミルが。


 ゆりかごの革紐を握る。



「進みます。ただし、エッグに毒を吸わせながら進むことは認めません」



 右。



 そこは。


 俺も同意する。



 こんなもの。


 吸わずに済むなら。


 一滴だって吸いたくない。



 負傷者を背負った冒険者が。


 奥の通路を見る。



「迂回路がある。核へ続く管理路だ。狭いが、あの濁流よりはましだ」



「行けるか?」



「こいつが保てば」



 背負われた男の脚から。


 白い泡が消えかけていた。



 さっき押し返した薬性魔力が。


 腐毒に食われている。



 黒い傷が。


 また。


 少しずつ広がっていた。



「急ぎます」



 ミミルが言う。



 隊列が。


 奥へ向きを変えた。



 先頭に盾役。


 その後ろに。


 負傷者を背負った二人。



 俺とミミル。



 最後尾に。


 剣を持った冒険者。



 黒い雨を避け。


 崩れた薬草棚を越える。



 だが。



「待て」



 負傷者を背負った男が。


 膝をついた。



「脚が……動かん」



 背負っている方ではない。



 背負う側の脚。



 革靴の横に。


 小さな穴が開いている。



 黒い雨が。


 一滴。



 入ったらしい。



 たった一滴。



 それだけで。


 足首の皮膚が黒くなっていた。



「中和薬は」



「もうありません」



 ミミルの声が。


 固くなる。



 俺は。


 ゆりかごを揺らした。



 右。



「駄目です」



 早い。



 まだ何も聞いていないのに。



「さっき吸った毒が、まだ殻の中に残っています。これ以上は駄目です」



 俺は。


 もう一度揺れた。



 右。



「駄目です」



 ミミルが。


 ゆりかごを胸へ抱く。



 近づけさせないように。



 守るために。



 分かっている。



 でも。



 このままでは。


 歩ける人間が減る。



 歩ける人間が減れば。


 負傷者を運べない。



 負傷者を置けば。



 全員では帰れない。



 俺は。


 左へ震えた。



「……嫌、なのですか」



 右。



「何がです。ここで止まることですか」



 左。



「この人を置いていくこと?」



 右。



 ミミルの腕が。


 わずかに緩んだ。



 俺は。


 ゆりかごの中で転がる。



 負傷した足へ。


 ひびを向けた。



「エッグ」



 黒い熱が。


 流れ込んでくる。



 痛い。



 ひびから。


 細い針を何本も差し込まれたような痛み。



 殻の内側で。


 腐毒が広がる。



 吸っただけでは。


 駄目だ。



 毒を。


 薬に変える。



 薬性魔力を。


 腐毒へ押しつける。



 混ざらない。



 反発する。



 黒い毒が。


 魔力を食う。



 もっと。



 押す。



 殻の内側で。


 じゅっ。


 音がした。



 俺の音だ。



 聞きたくなかった。



 それでも。


 押した。



 ひびの先に。


 透明な雫が膨らむ。



 一滴。



 殻を伝い。


 ゆりかごの布へ落ちた。



「液が……」



 ミミルが息を呑む。



 俺は。


 傷口へ震えた。



「これを、使えと?」



 右。



 ミミルは指先で雫を取った。



 匂いを確かめる。


 色を見る。



 迷ったのは。


 一瞬だった。



 黒くなった足首へ。


 薄く塗る。



 白い泡が立った。



 黒い傷が。


 止まる。



 それから。



 ほんの少しだけ。


 端から色が戻った。



「力が入る」



 冒険者が。


 足を踏みしめる。



「動けるぞ」



 よかった。



 成功した。



 その直後。



 殻の表面が。


 ぱきりと鳴った。



================



ひび割れ率:19%



================



 七だった。



 迷宮へ入る前は。



 たった二人で。


 十二も増えた。



「殻が……薄くなっています」



 ミミルの指が。


 俺に触れない位置で止まる。



「表面が透けている。エッグ、もう終わりです」



 左。



「終わりです」



 左。



「これはお願いではありません」



 左。



 ミミルが。


 俺を見た。



 俺には。


 目がない。



 それでも。



 見ている場所は。


 分かるらしい。



「どうしてですか」



 震えで答えるには。


 長すぎる。



 俺は。


 負傷者へひびを向けた。



 次。



 最初に腐毒を受けた男は。


 また傷が広がり始めている。



 その隣では。


 腕を押さえた女が震えていた。



 袖の下から。


 黒い筋が伸びている。



 一人ではない。



「全員を、治すつもりですか」



 右。



「殻が壊れます」



 右。



「死ぬかもしれないのですよ」



 怖い。



 ものすごく。



 また死んだら。


 次は何を忘れる。



 工房へ来た日のように。



 大事だったはずなのに。


 中身だけ消える。



 ミミルのことを。


 忘れるかもしれない。



 俺が俺だったことまで。


 なくなるかもしれない。



 だから。



 死にたくない。



 俺は。


 死にたくないまま。



 右へ震えた。



「……それでも、ですか」



 右。



 ミミルは。


 目を閉じた。



 誰も。


 急かさなかった。



 黒い雨が。


 遠くで床を溶かしている。



 じゅっ。



 じゅっ。



 一滴ずつ。



 迷宮が。


 消えていく。



「分かりました」



 ミミルが。


 目を開けた。



「でも、一人ではさせません」



 ゆりかごを。


 地面へ下ろす。



「治療中、エッグは動けません。前と後ろを守ってください。毒を受けた人は隠さないでください。歩ける人が負傷者を運びます」



「嬢ちゃん、そいつを抱えて走った方が――」



「荷物ではありません」



 ミミルが。


 遮った。



「エッグは、自分で残ると決めました。私たちは、その意思を使い潰すのではなく、守ります」



 盾役が。


 溶けかけた盾を構え直した。



「聞いたな」



 短く言う。



「卵一個に、全員分を背負わせるな」



 剣を持った男が。


 後ろを向いた。



「治療が終わるまで、俺が後ろを止める」



「次は交代する」



「負傷者は俺が背負う」



「なら、私は雨を見ます」



 声が。


 一つずつ重なった。



 俺を抱えて。


 誰かだけが逃げるのではない。



 俺を囲んで。



 全員で進む。



 そんな隊列に。


 変わっていく。



 俺は。


 最初の負傷者へひびを向けた。



 腐毒を吸う。



 熱い。



 薬性魔力を押し返す。



 痛い。



 透明な雫を。


 一滴。



 ミミルが受け取る。



 傷へ塗る。



 黒が止まる。



「次です」



 二人目。



 腕の傷。



 吸う。



 変える。



 出す。



 一滴。



 殻が。


 薄くなる。



================



ひび割れ率:27%



================



「エッグ、休んでください」



 左。



「せめて、少しだけ」



 左。



 三人目。



 脚の傷。



 吸う。



 変える。



 出す。



 今度は。


 一滴では足りなかった。



 もう一滴。



 殻の奥で。


 何かが剥がれた。



================



ひび割れ率:36%



生命力:2/3



================



 痛い。



 でも。



「立てる」



 三人目が。


 壁から手を離した。



 立った。



 全員が。


 自分の足か。


 誰かの肩で。



 進める。



「隊列を組み直す!」



 盾役が声を上げた。



「負傷者を中央へ! エッグと錬金術師を囲め!」



「奥の二人を拾う」



「核を止める」



「それから、全員で帰る」



 全員で。



 いい言葉だ。



 俺も。


 その中に入っている。



 素材ではない。



 荷物でもない。



 治療する道具でもない。



 守られるだけでも。



 守るだけでもない。



 仲間だ。



「進みます」



 ミミルが。


 ゆりかごを持ち上げる。



 前に二人。



 左右に二人。



 後ろに一人。



 黒い雨が落ちるたび。


 声が飛ぶ。



「右!」



 避ける。



「上!」



 盾が入る。



「交代!」



 負傷者を背負う肩が変わる。



 一人が疲れれば。


 次の一人が前へ出る。



 俺のゆりかごも。



 ミミルだけが抱え続けなかった。



「預かる」



 盾役の太い腕へ。



「次は私が」



 腕を治した女へ。



 手から手へ。



 俺は渡っていく。



 誰も。


 俺を荷袋には入れなかった。



 誰も。


 走る邪魔だとは言わなかった。



 一歩。



 また一歩。



 奥へ。



 腐毒の濃くなる方へ。



 取り残された二人と。



 迷宮核のある方へ。



 俺の殻は。


 薄い。



 ひびは。


 増えた。



 次に毒を吸えば。


 もっと壊れる。



 それでも。



 今度は。



 一人で削れるのではない。



 全員が。



 俺の周りにいる。



 黒い雨の向こうから。



 かすかな音がした。



「誰か……!」



 人の声。



 奥にいる。



 まだ。



 生きている。



 俺は。


 ゆりかごの中で。



 右へ震えた。

一滴の薬と、一人ずつ重なる仲間の手。

エッグを運ぶ隊列は、全員で帰るための隊列へ変わりました。


お読みいただきありがとうございます!


「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。


廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。

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