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第39話 素材じゃない、助手です

扉が。


 開いた。



 入ってきたのは。


 灰色の上着を着た男だった。



 胸元に。


 薬師ギルドの紋章。



 その上から。


 銀色の細い鎖を下げている。



 薬師。


 ではあるらしい。



 だが。


 セリアとは。


 空気が違う。



 薬を見る目ではない。



 値段を。


 つける目だ。



「お待たせしました。薬師ギルド契約管理官のベルクです」



 男は。


 机の上の五号薬を見た。



 次に。


 ミミルの手の中の俺を見た。



 五号薬より。


 長く。



 やはり。


 そっちか。



「外部からの照会状を預かっています」



 ベルクが。


 封書を机へ置く。



 分厚い紙。


 赤い封蝋。



 刻まれているのは。


 どこかで見た気がする紋章だった。



 いや。



 俺は。


 紋章に詳しくない。



 卵だからな。



 卵になる前も。


 貴族の紋章など。


 覚える必要はなかった。



「差出人は明かせないのですか」



 ミミルが聞く。



「現時点では、ギルド上層部宛ての照会です。あなた個人へのものではありません」



 つまり。


 教えない。



 丁寧に言っても。


 教えないものは。


 教えない。



 ベルクは。


 別の書類を広げた。



「照会の内容は、五号薬の安定化に関与した希少個体について。危険性、素材価値、所有関係、継続的な供給能力の確認です」



 所有。



 来た。



 俺は。


 ミミルの手の中で。


 左へ揺れた。



「エッグは、誰かの所有物ではありません」



 ミミルが。


 すぐに言った。



「承知しています。少なくとも、薬師ギルドの現行記録では」



 現行。



 嫌な言葉だ。



 今は違うが。


 書き換えれば違わなくなる。



 そう聞こえる。



「先ほどの試験記録にも、意思確認が必要な協力個体と明記しました」



 セリアが。


 記録板へ手を置く。



「その記録を覆すおつもりですか」



「いいえ。むしろ、記録を守るために正式な立場が必要だと考えています」



 ベルクの指が。


 書類の一番上を叩く。



「同席助手登録です」



 助手。



 俺が。



 ミミルの。



 悪くない。



 いや。


 かなりいい。



 試験協力個体より。


 ずっといい。



 俺は。


 少しだけ。


 右へ揺れかけた。



「ただし」



 止まった。



 知ってた。



 いい話だけで終わるほど。


 この世界は。


 卵に優しくない。



「登録には、研究上の役割を明確にする必要があります。安定化への関与だけでは、再現性の確認が不足しています」



「今日、確認したはずです」



「一度です。さらに、体表から得られた液体に治癒作用があるとの記録も届いています」



 ミミルの腕が。


 固くなる。



 俺も。


 固くなる。



 元から。


 固いが。



「健康検査で生じた、ごく少量です」



「量は問題ではありません。価値が確認されたことが重要です」



 価値。



 また。


 それだ。



「そこで、同席助手としての登録を認める代わりに、ギルドとの優先提供契約を結んでいただきます」



 書類が。


 こちらへ向けられる。



「対象は、自然に剥離した殻片。および、体表から分泌される薬効液です」



 左。



 俺は。


 はっきり揺れた。



「エッグは拒否しています」



 ミミルが言う。



「契約の説明は、まだ終わっていません」



「提供量が書かれていません」



 セリアが。


 書類を見ていた。



「用途の指定も、停止条件もない。優先提供とありますが、ギルド側から要請された場合、拒否できる条項もありません」



「助手登録には、ギルドへの研究協力が必要です」



「研究協力と、身体由来物質の供給義務は別です」



 セリアの声は。


 いつもと同じだった。



 静かで。


 平ら。



 それなのに。


 ベルクの指が。


 紙から離れた。



「素材ではないと記録した直後に、素材提供を登録条件とするのは矛盾します」



 そうだ。



 もっと言ってくれ。



 できれば。


 俺の分も。



「ですが、価値のある薬効液を確認しながら、研究しないわけにはいきません」



 ベルクが。


 俺を見る。



「適切に採取すれば、多くの傷病者を救える可能性があります」



 ずるい。



 その言い方は。


 ずるい。



 嫌だと言えば。


 俺が。


 誰かを見捨てるように聞こえる。



 俺の殻なのに。



 俺の中身なのに。



 ミミルが。


 俺を胸元へ引き寄せた。



「適切な量が、分かっていません」



「だからこそ、調べるのです」



「調べるために、エッグを危険にさらすのですか」



「危険があると決まったわけではありません」



 ある。



 俺には。


 分かる。



 体表へ。


 あの液を出すと。



 殻の内側にある。


 薬の熱が。


 外へ抜ける。



 少しなら。


 問題ない。



 だが。



 出し続けたら。



 どうなるか。



 試してはいない。



 試したくもない。



 でも。



 危険がないと決まっていない。



 それだけでは。


 この男は。


 止まらない。



 なら。



 見せるしかない。



 俺は。


 ミミルの手の中で。


 右へ揺れた。



「エッグ?」



 右。



「分泌液を、出すのですか?」



 右。



「駄目です」



 即答だった。



 速い。



「危険だと分かっていることを、証明のためにする必要はありません」



 そうだ。



 正しい。



 だが。


 このままなら。


 危険かもしれない液を。


 適切に採れば大丈夫だと。


 他人が決める。



 それは。


 もっと嫌だ。



 俺は。


 一度だけ。



 右へ揺れた。



 ミミルが。


 黙る。



「少量だけですか?」



 右。



「異変があれば、すぐ止めます」



 右。



「私が止めても、止まってください」



 右。



 たぶん。



 いや。



 絶対。



 右だ。



 ミミルが。


 息を吐いた。



「受け皿を用意します。採取ではありません。エッグ本人が、自分の意思で分泌します」



 セリアが。


 小さな硝子皿を出した。



 机の上へ置く。



 ベルクが。


 身を乗り出した。



 近い。



 見るだけなら。


 もう少し離れろ。



 ミミルが。


 俺を皿の横へ下ろす。



 冷たい机。



 硬い。



 俺は。


 殻の内側へ意識を向けた。



 薬草の匂い。



 眠り薬の重さ。



 麻痺毒の痺れ。



 一度。


 死んだとき。



 俺の残りへ入り込んだもの。



 今は。


 俺の中にある。



 ひびの奥へ。


 薄い熱を集める。



 殻の表面に。


 透明な滴が。


 にじんだ。



 一滴。



 皿へ落ちる。



 ぴち。



 小さな音。



 これで。


 十分だろう。



「もう少しあれば、検査に――」



 ベルクが言う。



 やはり。



 そう言うと思った。



 俺は。


 二滴目を出した。



 内側が。


 すうっと冷える。



 三滴目。



 殻が。


 軽くなる。



 四滴目。



 ひびの縁が。


 乾いた。



 視界の端に。



 見慣れたものが。


 浮かぶ。



 ひび割れ率:9%



 上がった。



 二つ。



 たった。


 四滴で。



「エッグ、止めてください」



 ミミルの声。



 俺は。


 止めた。



 すぐに。



 止めたつもりだった。



 だが。


 殻の表面に残った液が。


 もう一滴。



 皿へ落ちた。



 ぴち。



 ひび割れ率:10%



 十。



 嫌な数字だ。



 殻の奥が。


 冷たい。



 ミミルの指が。


 そっと俺を持ち上げた。



「乾いています」



 セリアが。


 俺の殻を見ている。



「先ほどより、ひびの幅も広がっています」



「そのようですね」



 ベルクの声が。


 少し低くなった。



 見ただろ。



 出せば出すほど。


 減る。



 薬だけではない。



 俺の殻が。



「回復には、どの程度かかりますか」



「分かりません」



 ミミルが答える。



「前例がありませんから」



「では、継続採取の安全性は保証できない」



「最初から、そう申し上げています」



 セリアが。


 硝子皿へ蓋をした。



「この量も、ギルドの所有物ではありません。エッグさんが用途を認めるまで、検査には回しません」



 そう。



 それだ。



 俺は。


 右へ揺れた。



 ベルクが。


 俺を見る。



 初めて。



 値段ではなく。



 答えを待つ目で。



「確認しても?」



 セリアが。


 新しい記録紙を出した。



「右が肯定。左が否定です。質問は、一度に一つ。誘導になる聞き方は避けます」



 ベルクが。


 うなずいた。



「あなたは、ミミルさんの錬金研究に助手として参加することを望みますか」



 右。



 それは。


 望む。



「薬師ギルドへの研究協力を、すべて拒否しますか」



 左。



 全部ではない。



 勝手に決められるのが。


 嫌なだけだ。



「自然に剥離した殻片を、今後一切提供しませんか」



 少し考える。



 自然に。


 勝手に落ちたもの。



 俺が。


 使い道を認めたなら。



 左。



「薬効液についても、今後一切提供しませんか」



 左。



 誰かを助けられるなら。



 出してもいい。



 俺が。



 決められるなら。



「提供する量を、ギルド側が決めてもよいですか」



 左。



 強く。



 左。



「用途を、ギルド側が決めてもよいですか」



 左。



「依頼があった場合、拒否できない契約を認めますか」



 左。



「分泌を止める時期を、ギルド側が決めてもよいですか」



 左。



 全部。



 左だ。



 紙の上へ。


 セリアの筆が走る。



「では、量、用途、提供の可否、停止の判断。そのすべてについて、毎回あなた自身が決定する条件なら、研究協力を認めますか」



 右。



 今度は。



 ゆっくり。



 はっきり。



 右へ揺れた。



 筆が。


 止まる。



 ベルクが。


 書き込まれた条項を読んだ。



「供給義務ではなく、個別同意による提供許可。優先権もなし」



「助手登録と、身体由来物質の提供を切り離してください」



 ミミルが言う。



「エッグは、液を出すから助手になるのではありません。錬金反応を見て、私に合図し、自分の力で安定化に関わります。それが助手としての役割です」



 そうだ。



 液は。


 俺の仕事ではない。



 必要なら。


 選んで使う。



 俺の力だ。



「上層部が、この条件を認めるかどうか」



 ベルクが。


 封書へ目を向ける。



「外部からは、継続的な供給能力について回答を求められています」



「ならば、継続供給は保証できないと回答してください」



 セリアが言った。



「その代わり、意思疎通が可能で、本人同意のない採取は危険であることも記録できます」



「危険個体と判断される可能性があります」



「所有可能な希少物と判断されるより、ましです」



 ミミルの声は。


 静かだった。



 でも。



 迷っていなかった。



 ベルクが。


 長く。


 息を吐く。



 それから。


 契約書の一部へ線を引いた。



 優先提供。



 その文字が。


 二本の線で消える。



 新しい条項が。


 書き加えられた。



 身体由来物質の提供は、助手登録の義務に含まれない。



 提供の可否、量、用途、停止時期は、その都度、本人の意思確認によって決定する。



 拒否を理由として、助手資格を停止しない。



 いい。



 最後が。


 特にいい。



「暫定登録になります」



 ベルクが。


 新しい札を机へ置いた。



 小さな。


 木札。



 薬師ギルドの紋章と。



 ミミルの名前。



 その下に。



 助手。



 エッグ。



 書いてある。



 エッグ。



 俺の名前だ。



 試験協力個体ではない。



 希少素材でもない。



 助手。



 なんだろう。



 たった二文字なのに。



 殻の奥が。



 さっきとは違う熱で。


 温かくなる。



「登録条件への同意を確認します」



 ベルクが。


 俺を見る。



 俺は。



 右へ揺れた。



「ミミルさんも」



「同意します」



「では、本日より共同研究を認めます」



 ミミルが。


 木札を受け取った。



「ありがとうございます」



 その声が。



 少しだけ。



 震えていた。



 俺の方が。


 震えるのは得意なのに。



 負けている。



 いや。



 競うところではない。



「分泌液の用途について、確認してもよろしいですか」



 セリアが。


 蓋をした硝子皿を見る。



「すべてを検査に使いますか」



 左。



 全部は嫌だ。



「ごく一部を薄め、五号薬を基礎にした試作へ使いますか」



 右。



「傷を治す薬にしますか」



 右。



「販売用ではなく、まず安全性の確認だけに使いますか」



 右。



 完璧。



 俺が言いたかったことを。


 全部聞いてくれる。



 やはり。



 薬師ギルドには。



 卵語の資格でもあるのかもしれない。



 ミミルが。


 すぐに準備を始めた。



 五号薬。



 精製水。



 細い硝子棒。



 俺の分泌液は。


 ほんの一滴だけ。



 さらに。


 何度も薄める。



「エッグ。混ぜ始めます」



 右。



 薬液が。


 ゆっくり回る。



 淡い緑へ。


 透明な一滴が溶ける。



 最初は。


 何も起こらない。



 だが。



 少しすると。


 泡が増えた。



 速い。



 右。



 俺は。


 小さく揺れる。



「まだ続ける?」



 左。



 ミミルの棒が止まる。



 薬液の回転だけが。


 残る。



 泡が。



 一つ。



 二つ。



 消えていく。



 濁りは。


 出ない。



「反応が落ち着きました」



 セリアが。


 灯りへ透かす。



「刺激臭も、ほとんどありません」



 ベルクも。


 記録板を見た。



「薬効検査を」



 小さな試験紙が。


 液へ触れる。



 色が変わる。



 薄い。


 青緑。



「低級回復薬の基準内です」



 セリアが言った。



「原液の薬効は強すぎましたが、この濃度なら刺激性も抑えられています」



 ミミルが。


 俺を見る。



「できました、エッグ」



 右。



 俺も。


 見ていた。



 俺の液は。


 一滴。



 使ったのは。


 その中の。


 さらに少し。



 大量に出さなくてもいい。



 殻を削らなくてもいい。



 俺が止めたところで。


 ミミルが止めた。



 それでも。



 薬になった。



 傷を治す。



 薬に。



「名称は、どうしますか」



 ベルクが聞いた。



「まだ試作品です。正式な名前は、安全性を確かめてからにします」



 ミミルらしい。



 俺なら。



 エッグすごい薬。



 とか。



 つけるところだった。



 危ない。



 名づける口がなくて。


 よかったかもしれない。



 セリアが。


 記録板へ書き込む。



「五号薬希釈液を基礎とする低級回復薬。調製者、ミミル」



 筆先が。


 一度止まる。



 次の行。



「同席助手、エッグ。反応停止の判断、および薬効液の使用許可」



 俺の仕事が。



 書かれた。



 分泌液。



 提供物。



 素材。



 そこではなく。



 判断。



 許可。



 俺が決めたことが。



 俺の仕事として。



 残った。



「暫定ではありますが」



 ベルクが。


 木札を見た。



「薬師ギルドは、エッグさんをミミルさんの同席助手として登録します。採取対象ではなく、意思確認を要する共同研究者として」



 共同研究者。



 助手より。


 さらに長い。



 でも。



 悪くない。



 かなり。



 悪くない。



 俺は。



 右へ揺れた。



 ミミルの手が。


 俺を包む。



「これからも、お願いします」



 右。



 こちらこそ。



 俺一人では。


 薬は作れない。



 ミミル一人なら。


 俺を削らずに作ろうとする。



 だから。



 二人でやる。



 それでいい。



 ベルクは。


 外部から届いた封書を。


 もう一度持ち上げた。



「照会への回答は、こちらで作成します」



「登録内容と矛盾しないようにしてください」



「もちろんです」



 セリアが。


 封蝋を見た。



「所有関係については、どう回答を?」



「所有者なし。本人の意思確認が可能。薬師ギルド登録助手」



 ベルクが。


 淡々と答える。



 それから。



 ほんの少し。



 眉を寄せた。



「ただ、この回答で先方が引き下がるかは、分かりません」



 やはり。



 終わらないらしい。



 薬ができても。



 助手になっても。



 面倒は。



 しっかり残る。



 廊下の向こうで。



 また。



 硬い靴音が鳴った。



 今度は。



 一人ではない。



 ベルクが。


 封書を伏せる。



 赤い封蝋が。



 見えなくなる。



「正式な登録が済んだことは、早めに冒険者ギルドへも共有した方がいいでしょう」



「なぜですか」



 ミミルが聞く。



「薬師ギルドの助手であることと、街の外へ連れ出す権利が誰にあるかは、別の話だからです」



 連れ出す。



 誰を。



 聞くまでもない。



 俺だ。



 俺は。


 新しい木札を見た。



 助手。



 エッグ。



 今日。



 俺は。



 素材ではなくなった。



 少なくとも。



 この紙と。



 この部屋の中では。



 なら。



 次は。



 外でも。



 そう言わせる。



 俺は。


 ミミルの手の中で。



 右へ。



 一度だけ。



 強く揺れた。

エッグ、正式に助手になりました。

薬を作る力以上に、「使うかどうかを自分で決める権利」を手に入れた回です。


お読みいただきありがとうございます!


「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。


廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。

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