第38話 五号薬、今度こそ同席試験
試験室の中央に。
五つの薬瓶が並んでいた。
全部。
五号薬。
同じ材料。
同じ分量。
同じ手順。
違うのは。
俺との距離だけだった。
「試験条件を確認します」
灰色のローブを着たセリアが。
記録板を手に。
俺たちを見る。
「エッグさんの殻、分泌液、自然脱落した殻片は使用しません」
分かっている。
分かっているが。
そこを最初に言ってくれるのは。
ありがたい。
「接触も行いません。試験中に異常が見られた場合は、即座に中止します」
「異議がある」
長机の向こうから。
低い声が飛んだ。
薬師ギルドの紋章。
濃い緑のローブ。
さっきから。
俺のひびばかり見ている男だ。
「反応の原因が殻にあるなら、殻そのものを試料にしなければ証明にならない」
来た。
やっぱり来た。
試料。
素材。
殻。
俺本人より。
俺から取れるものの話ばかりだ。
「自然脱落した殻片の保管記録はあるはずだ。それを使えばよい」
「今回の目的は、殻片を使わずに反応が起きるかの確認です」
ミミルが答えた。
声は丁寧だった。
だが。
俺を包む両手には。
少し力が入っている。
「殻片を入れれば、別の試験になります」
「ならば殻の表面を、ごく薄く削るだけでもいい」
よくない。
全然。
よくない。
ごく薄く。
便利な言葉だ。
削られる側からすれば。
厚さの問題ではない。
削られるか。
削られないかだ。
「認めません」
ミミルが。
すぐに言った。
「現在のエッグの殻は、再構築前より脆くなっています。健康検査の記録にもあります」
「だからこそ、今のうちに性質を確かめる必要がある」
今のうち。
何の。
今のうちだ。
「希少な反応だ。失われてからでは遅い」
俺は。
男を見た。
たぶん。
目はない。
だが。
見た。
思い切り。
「エッグは、失われることを前提に調べる試料ではありません」
ミミルの声が。
試験室に響いた。
静かになった。
「私の相棒です」
右。
揺れたかった。
だが。
今は。
台の上ではない。
ミミルの手の中だ。
強く揺れたら。
落ちる。
感動にも。
安全確認が必要。
卵はつらい。
「非破壊で確認できないなら、今回の試験は中止します」
「中止すれば、君の研究資格も再審査になる」
男が言った。
「未確認の生物を錬金設備へ近づけ、薬液へ影響させた疑いがある。危険性を立証できなければ、五号薬に関する研究は停止だ」
ミミルの指が。
止まった。
五号薬。
身体を削らないために。
ミミルが作ってきた薬。
俺の殻片を。
使わなくて済むように。
何度も。
失敗して。
作った薬。
それが。
止められる。
「一部、訂正します」
セリアが。
記録板を閉じた。
「本日の試験が失敗した場合、停止となるのは五号薬を用いた追加研究の資格です。ミミルさんの薬師資格そのものではありません」
「同じことだ」
「記録上は違います」
セリアは。
平らな声で言った。
「また、殻を削る試験については、本人と保護責任者の同意がありません。実施できません」
「卵の同意を、どう記録する」
「右へ揺れれば同意。左なら拒否です」
「恣意的だ」
「意思表示の方法は、すでに冒険者ギルドの保護記録と複数回の観察記録に残されています」
セリアが。
俺を見た。
「エッグさん」
はい。
「殻を削る試験を受けますか?」
左。
即座に揺れた。
ミミルの手の中で。
ごとり。
少し。
勢いが強すぎた。
「拒否を確認しました」
セリアが書く。
「続いて、身体を傷つけない条件で、五号薬の調合試験に同席しますか?」
右。
今度は。
ゆっくり。
「同意を確認しました」
男は。
何も言わなかった。
不満そうだ。
だが。
記録には残った。
俺が。
断ったこと。
俺が。
選んだこと。
それでいい。
「始めます」
ミミルが。
俺を試験台の端へ置いた。
保護材が敷かれている。
転がらない。
落ちない。
ひびにも。
触れない。
少し離れた場所に。
五つの加熱器。
その上に。
同じ形の小鍋。
透明だった薬液が。
熱を受け。
ゆっくり白く濁っていく。
一つ目。
俺から。
最も遠い。
二つ目。
少し近い。
三つ目。
もっと近い。
四つ目。
俺の正面。
五つ目だけは。
仕切り板の向こうだ。
「仕切り板は魔力を遮断します」
セリアが説明した。
「温度と振動は完全には遮りません」
なるほど。
俺に近いから整うのか。
魔力のせいなのか。
振動のせいなのか。
分けて見るらしい。
薬師たちが。
一斉に薬液を混ぜ始めた。
同じ速さ。
同じ回数。
面倒そうだ。
いや。
ものすごく面倒だ。
錬金術とは。
もっと。
瓶が光ったり。
煙が竜の形になったり。
そういうものだと思っていた。
実際は。
温度。
時間。
回数。
泡の大きさ。
地味だ。
恐ろしく。
地味だ。
「第一瓶、濁り発生」
「第二瓶、同じく」
「第三瓶、泡の偏りが減少」
記録する声が。
続く。
「第四瓶、濁りが薄い」
俺の正面。
四つ目の薬液だけ。
白い筋が。
ゆっくりほどけていた。
以前も。
見た。
俺の近くに置かれた五号薬。
泡が。
妙に揃っていた。
あの時は。
偶然かもしれなかった。
今は。
違う。
俺にも分かる。
薬液の中。
魔力が。
片側へ寄っている。
以前なら。
分からなかった。
素材の位置を感じる力は。
もうない。
それでも。
五号薬だけは。
ひびの奥が。
かすかに熱くなる。
懐かしい。
ような。
腹が減る。
ような。
いや。
薬を見て腹が減るな。
俺。
卵だぞ。
「第四瓶、反応速度が基準値を上回っています」
薬師の声が。
硬くなった。
薬液の泡が。
急に増えた。
細かな泡が。
鍋の右側へ集まる。
「攪拌を停止」
止まらない。
泡が。
泡を押す。
白い濁りが。
渦になる。
「加熱を切ってください」
「切っています」
「温度、上昇継続」
まずい。
たぶん。
まずい。
鍋が。
かたかた鳴った。
薬師たちが下がる。
ミミルは。
下がらなかった。
「エッグ」
俺を見る。
「できますか?」
何を。
とは。
聞かなかった。
分かっていた。
薬液の偏り。
右側へ溜まった。
魔力の塊。
あれを。
崩す。
俺に。
できるのか。
分からない。
だが。
分からないから。
殻を削る。
それは。
嫌だ。
俺は。
右へ揺れた。
「保護板を」
ミミルが言った。
「近づけるのか?」
「エッグには触れさせません。鍋との間にも距離を取ります」
「暴発すれば――」
「その前に私が退避させます」
ミミルの手が。
俺の後ろへ添えられた。
触れない。
だが。
いつでも。
俺を持ち上げられる位置。
「少しでも苦しかったら、左へ」
右。
俺は。
揺れた。
小さく。
殻の内側を。
震わせる。
《微振動 Lv1》
今は。
たった一。
前より。
弱い。
それでも。
これは。
最初から持っていた。
失って。
戻って。
まだ残った。
俺の。
生命線だ。
細かく。
もっと細かく。
一定に。
保護材へ。
震えが伝わる。
試験台へ。
保護板へ。
鍋へ。
薬液の表面が。
わずかに揺れた。
「泡の塊が崩れています」
誰かが言った。
右へ集まっていた泡が。
散る。
だが。
まだ。
足りない。
白い濁りは。
鍋の底に。
沈んだまま。
重い。
あれは。
振動だけでは。
動かない。
ひびの奥が。
熱くなる。
五号薬を。
知っている。
俺の身体が。
あの薬を。
吸った。
死んだ時。
殻しか残らなかった時。
周りにあった薬液を。
毒を。
血を。
魔力を。
全部。
ひびの中へ。
取り込んだ。
そして。
俺は。
今の殻になった。
淡い緑の光が。
ひびの奥に集まった。
「分泌液が出ますか?」
ミミルが。
受け皿を構える。
違う。
雫ではない。
殻は。
濡れていない。
光だけが。
細いひびを通り。
外へにじむ。
「魔力反応」
セリアの声。
「薬液と同系統です」
緑の光が。
空気へほどける。
鍋の中へ。
落ちたわけではない。
触れてもいない。
それでも。
五号薬の濁りが。
光へ応じた。
沈んでいた白い筋が。
持ち上がる。
細かく。
ほどける。
俺は。
震え続けた。
集まる前に。
崩す。
沈む前に。
混ぜる。
強くではない。
少しずつ。
均等に。
薬液の右側。
左側。
表面。
底。
ばらばらだったものが。
一つになる。
鍋の音が。
止まった。
「温度、低下」
「泡、基準範囲内」
「濁り……消失します」
透明だった。
ほんの少し。
淡い緑を帯びた。
五号薬。
今まで見たどの瓶より。
澄んでいる。
俺は。
振動を止めた。
疲れた。
ものすごく。
疲れた。
魔力は。
ほとんどないはずなのに。
何かを。
絞り出した感じがする。
「エッグ?」
右。
揺れようとして。
傾いた。
ミミルの手が。
すぐに受け止める。
「終了します」
セリアが宣言した。
「これ以上の反復は行いません」
「一度だけでは再現性が――」
「安全条件に従います」
濃い緑のローブの男を。
セリアが遮った。
「追加試験には、改めて双方の同意が必要です」
双方。
ミミルだけではない。
俺も。
含まれている。
試験室の薬師たちが。
完成した五号薬を調べ始めた。
色。
匂い。
粘度。
魔力の偏り。
瓶へ移され。
光へ透かされ。
何度も。
記録される。
俺は。
ミミルの手の中で。
休んでいた。
「結果が出ました」
セリアが。
記録板を読み上げる。
「殻片、分泌液、その他の身体由来物質の混入はありません」
男が。
瓶を見る。
「五号薬の均一性は、従来の完成基準を上回っています。加熱停止後の異常反応も消失。仕切り板の向こうに置いた第五瓶には、同様の変化がありませんでした」
つまり。
俺が近くにいるだけで。
全部が整うわけではない。
俺が。
震えて。
ひびから力を出した時だけ。
薬へ届く。
「以前、エッグさんの近くで五号薬の泡と濁りが整った現象についても、同じ作用で説明できる可能性があります」
セリアが続ける。
「また、再構築時に薬液を取り込めた理由についても、薬性を持つ魔力への高い親和性があったためと考えられます」
「毒への耐性もか」
別の薬師が尋ねた。
「断定はできません。ただし、周囲にあった薬液、麻痺毒、睡眠薬、血液、残留魔力が、再構築後の性質に影響したという見立てとは一致します」
俺の中に。
残ったもの。
五号薬。
毒。
魔力。
死んだ時に。
取り込んだものが。
今の俺を作った。
失っただけでは。
なかった。
だが。
得をしたとも。
思えない。
新しい力と引き換えに。
何を失うか。
選べなかった。
次も。
同じように戻れるとは限らない。
「殻を調べる必要は、まだある」
濃い緑のローブの男が言った。
まだ言うか。
「薬液を安定させた原因が、殻の組成にないとは証明されていない」
「本日の目的は達成されています」
セリアが。
記録板へ。
最後の一行を書く。
「殻片を消費せず、接触もせず、エッグさん自身の意思によって錬金反応へ干渉できることが確認されました」
「希少素材としての価値は――」
「素材ではありません」
ミミルが言った。
今度は。
静かだった。
「今の反応は、エッグが自分で起こしたものです」
俺を抱く手が。
少し。
持ち上がる。
「削って使える材料ではありません。協力するかどうかを、自分で決める相手です」
セリアが。
うなずいた。
「記録上も、そのように扱います」
記録板が。
机へ置かれる。
「試験協力個体。意思確認必須。身体由来物質の採取禁止」
個体。
少し。
固い。
相棒。
くらい。
書いてくれてもいい。
だが。
素材よりは。
ずっといい。
「五号薬の追加研究資格については、停止の理由なしと報告します」
ミミルの肩から。
力が抜けた。
俺は。
右へ揺れた。
今度は。
手の中だから。
転がらない。
「ありがとうございます、エッグ」
違う。
俺だけではない。
ミミルが。
殻を削らせなかった。
セリアが。
俺の拒否を記録した。
だから。
できた。
俺は。
もう一度。
右へ揺れた。
「私も、ですか?」
右。
なぜ分かる。
やはり。
この錬金術師。
卵の言葉が分かりすぎる。
ミミルが。
少し笑った。
その向こうで。
完成した五号薬が。
光を受けている。
澄んだ。
淡い緑。
俺の殻は。
削れていない。
欠けてもいない。
それでも。
薬は。
完成した。
俺は。
材料にならなくても。
役に立てる。
いや。
違う。
役に立つから。
ここにいていいわけではない。
戻ってきただけで。
嬉しいと。
ミミルは言った。
だから。
これは。
俺が選んだ。
俺の仕事だ。
試験室を出る前に。
セリアが。
記録板を抱え直した。
「今回の詳細記録は、ギルド内でも閲覧を制限します」
「お願いします」
「ただし、五号薬が従来基準を超えたことは隠せません。追加の照会は来ると思います」
ミミルの表情が。
少し曇る。
薬が良くなった。
試験にも成功した。
なのに。
面倒は。
減らない。
むしろ。
増えるらしい。
世の中。
おかしくないか。
「それと」
セリアが。
試験室の扉を見る。
「同席を求めていたのは、薬師ギルドだけではありません」
扉の外。
廊下の先で。
硬い靴音が止まった。
「五号薬の結果と、エッグさんの扱いについて。正式な照会状を持った使者が来ています」
ミミルの手が。
俺を包む。
薬師ではない。
冒険者でもない。
もっと。
遠くから。
俺を。
物として数えようとする音。
俺は。
ひびの奥に残った熱を。
ゆっくり。
押し戻した。
今日は。
もう。
働かない。
まずは。
相手が誰か。
それを聞いてからだ。
延期されていた五号薬の同席試験を、ようやく実施できました。
削られず、材料にもならず、自分の意思で力を貸す。エッグにとって大きな一歩です。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。
廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。




