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第35話 残った殻に、残ったもの

保護棟の治療室へ着いても。



 ミミルは。



 殻片を手放さなかった。



「火傷の処置をします。手を開けますか」



「開けます。でも、渡しません」



「分かりました」



 薬師はそれ以上言わなかった。



 ミミルの手を。



 殻片ごと。



 浅い銀盆の上へ置く。



 指の隙間へ治癒液を流し。



 青黒く腫れた腕へ。



 麻痺抜きの薬を塗った。



 痛みはあった。



 感覚は鈍かった。



 けれど。



 掌の中だけは。



 何も感じなかった。



 熱も。



 鼓動も。



 振動もない。



「鑑定板を使います」



 別の薬師が。



 銀盆の脇へ板を置いた。



 淡い光が。



 ミミルの指の間を照らす。



================



対象:竜血由来の殻片



状態:破損



大きさ:二・三セル



重量:測定下限未満



生命反応:なし



表面付着物:


血液


治癒液


五号薬


麻痺毒


複数の魔力残滓



================



「……素材です」



 薬師が言った。



「生命反応はありません。付着物が混ざっているので、保存するなら洗浄を――」



「洗いません」



「ですが、毒も付いています」



「それでもです」



 ミミルは。



 指を閉じた。



「このまま、記録してください」



 薬師は困った顔をした。



 セリアが。



 鑑定板の記録紙を取る。



「現状のまま保全します。洗浄も採取も禁止です」



「セリアさん。しかし、これは――」



「保護対象から生じた殻片です。所有権も処置権も、こちらにはありません」



 きっぱりと。



 線を引いた。



「治療を続けてください」



 ミミルの火傷へ。



 新しい布が巻かれる。



 麻痺した指を。



 一本ずつ動かされる。



 その間も。



 殻片は。



 動かなかった。



 ただ。



 銀盆に落ちた治癒液が。



 ゆっくりと。



 掌へ寄った。



 一滴。



 また一滴。



 傾いてはいない。



 ミミルの手も動いていない。



 それなのに。



 薬液だけが。



 殻片のほうへ流れていく。



「……待ってください」



 ミミルが言った。



 薬師の手が止まる。



 銀盆の端には。



 麻痺毒を拭った綿があった。



 その青黒い染みから。



 細い色だけが抜けていく。



 五号薬の付着した袖からも。



 淡い緑の雫が浮いた。



 ミミルの血からも。



 赤い筋が。



 掌の中心へ伸びていた。



「鑑定板を」



 セリアが。



 もう一度。



 光を当てる。



================



対象:竜血由来の殻片



状態:変質中



大きさ:二・四セル



重量:測定下限未満



生命反応:なし



表面温度:微増



周辺薬液:減少



================



 それだけだった。



 何が起きているのか。



 なぜ起きているのか。



 鑑定板には。



 出なかった。



 けれど。



 ミミルには見えた。



 親指ほどの殻片の縁に。



 薄い膜が生まれている。



 透明で。



 濡れた紙よりも薄い。



 殻片を中心に。



 少しずつ。



 丸みを作っている。



「エッグ……?」



 返事はない。



 それでも。



 膜は広がった。



 五号薬を吸い。



 治癒液を吸い。



 麻痺毒を吸い。



 血を吸う。



 襲撃のとき。



 エッグがひびから取り込んだ魔力まで。



 殻片の奥で。



 弱い光になっていた。



 暗い。



 何もない場所で。



 俺は。



 文字を見ていた。



================



《殻継転生》



 残存核を確認。



 殻片残存率:0.8%



 死亡条件を記録。



 周囲因子を取り込み。



 肉体を再構築します。



 再構築先:



《薬魔卵》



================



 ……転生。



 また。



 転生するのか。



 今度は。



 卵から卵へ。



 いや。



 そこじゃない。



 残存率。



 〇・八%。



 ほぼ残ってない。



 ミミルが持っている。



 あの欠片だけだ。



 文字が。



 続いた。



================



再構築代償:



《レベル低下》



《一部技能欠損》



《記憶摩耗の可能性》



《生命力減少》



注意:



核殻消滅時は再生不能。



再構築中に核殻が失われた場合。



《殻継転生》は失敗します。



================



 無償の復活。



 ではなかった。



 死ねば。



 弱くなる。



 技能を失う。



 記憶まで。



 削れるかもしれない。



 そして。



 あの欠片が壊れれば。



 次はない。



 終わりだ。



 文字の端から。



 意識が。



 また暗闇へ沈んでいく。



 待て。



 まだ。



 消えるな。



 ミミルに。



 返事をしていない。



 帰ると。



 約束した。



「薬液から離します」



 薬師の声がした。



「何が起きているか分かりません。毒と反応しているなら危険です」



 火ばさみが。



 薄い膜へ近づく。



 ミミルは反射的に。



 銀盆を抱え込んだ。



「触らないでください」



「ですが」



「止まりました」



 膜の広がりが。



 止まっていた。



 銀盆を動かし。



 五号薬の雫から遠ざけた瞬間に。



 ぴたりと。



 成長をやめている。



 縁から。



 透明な殻が。



 少しだけ崩れた。



「戻してください」



 ミミルは言った。



 声は震えていた。



 けれど。



 目だけは。



 銀盆を見ていた。



 残った五号薬。



 治癒液。



 麻痺毒。



 自分の血。



 混ざり合った魔力。



 どれか一つではない。



「この子は、周りにあったものを集めています」



「毒までですか?」



「はい」



「除くべきでは」



「除いたら、止まります」



 ミミルは。



 護送箱を見た。



 焦げた留め金。



 割れた瓶。



 その中に。



 五号薬の残りがある。



「今回の死因も」



 ミミルは。



 乾いた唇を噛んだ。



「エッグが受けたものも。最後に吸収したものも。全部、新しい身体に必要なんです」



 薬師たちは。



 答えなかった。



 答えられる者など。



 誰もいなかった。



 ミミルは立ち上がろうとした。



 膝が崩れた。



 セリアが肩を支える。



「何が必要ですか」



「浅いガラス鉢。固定台。清潔な布。それと、持ってきた保護材を」



「五号薬は?」



「残りを使います」



「再試験用の全量ですよ」



「構いません」



 即答だった。



「薬は、また作れます」



 ミミルは。



 殻片を見た。



「エッグは、作れません」



 保護棟の出入りが。



 セリアの名で制限された。



 ガラス鉢が運ばれる。



 治療室の中央に。



 即席の台が組まれる。



 鉢の底へ。



 低刺激の保護材を薄く敷く。



 その中心に。



 殻片を置く。



 いや。



 置いたのではない。



 ミミルは最後まで手放さず。



 保護材ごと。



 自分の掌を台へ添えた。



 五号薬を。



 一滴ずつ。



 殻片の周りへ流す。



 治癒液を加える。



 毒の染みた布は。



 直接触れない位置へ置く。



 近すぎれば。



 膜が青黒く濁る。



 遠すぎれば。



 再構築が止まる。



「少し右です」



 ミミルが言う。



 薬師が布を動かす。



「そこで止めてください」



 薄い殻が。



 また伸び始める。



 何度も。



 止まった。



 何度も。



 濁った。



 そのたびに。



 ミミルは量を変えた。



 距離を変えた。



 保護材を足した。



 研究帳へ。



 震える字で。



 全部を記録した。



 夜が深くなる。



 治療室の窓が。



 黒から。



 薄い藍へ変わっていく。



 ガラス鉢の中では。



 小さな殻が。



 ゆっくりと。



 元の丸みを取り戻していた。



 赤褐色ではない。



 竜血卵だった頃の。



 暗い赤ではない。



 薬液を透かす。



 淡い緑。



 ところどころに。



 古い殻片の赤褐色が残っている。



 傷跡のように。



 核のように。



 消えずに。



 中心へ埋まっていた。



 夜明け前。



 薄い殻は。



 ようやく。



 元の大きさまで戻った。



 鑑定板の光が。



 表面をなぞる。



 板が読めるのは。



 外から見て分かることだけだ。



 大きさ。



 状態。



 付いているもの。



 それ以上は。



 昔から一度も出たことがない。



 だから。



 これは。



 板の文字ではない。



 俺の中に。



 久しぶりに戻ってきた。



 俺だけの表示だ。



================



個体名:なし



種族:薬魔卵



種族ランク:F



レベル:1/5



生命力:1/1



状態:再構築直後



================



 それ以上は。



 まだ安定しなかった。



 技能欄の文字は。



 光の中で揺れ。



 いくつかが。



 空白のまま消えた。



 俺は。



 重い意識を。



 どうにか持ち上げた。



 身体が。



 ほとんど動かない。



 力がない。



 前よりも。



 ずっと弱い。



《殻硬化》がない。



《威嚇振動》もない。



《素材感知》の感覚は。



 遠く。



 ぼやけていた。



 失った。



 本当に。



 失ったのだ。



 それでも。



 声が聞こえる。



「エッグ」



 ミミルだ。



 覚えている。



 名前も。



 声も。



 約束も。



 まだ。



 覚えている。



 ガラス鉢の向こうで。



 ミミルが。



 両手を握っていた。



 火傷の包帯は。



 五号薬と血で汚れている。



 目は赤い。



 けれど。



 泣いてはいなかった。



「私が、分かる?」



 分かる。



 当たり前だ。



 右が。



 YES。



 左が。



 NO。



 それも。



 まだ覚えている。



 俺は。



 残った力を。



 全部使った。



 淡い緑の卵が。



 一度だけ。



 右へ揺れた。

お読みいただきありがとうございます!


「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。


廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。

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