第33話 逃げない卵
男が一歩、入ってくる。
床板が鳴った。
ぎし。
俺は動かない。
動けないふり。
「そのままだ」
男が言った。
「転がせば殻に傷がつく。布ごと包め」
布。
包む。
持ち帰る。
そして。
削る。
売る。
俺の予定を、勝手に決めるな。
男の後ろから、もう一人が入ってきた。
手には細長い筒。
先端に針。
紫色の液体。
《素材感知》
鼻はない。
でも、分かる。
痺れ苔。
沼蛙の毒腺。
薄めてある。
殺すためではない。
麻痺させるため。
「先に女を眠らせろ」
「卵が抵抗したら?」
「薬を追加しろ。割るなよ」
追加。
最初は眠り薬。
次は麻痺毒。
ずいぶん丁寧だ。
俺を壊さないためなら。
ミミルがどうなってもいいらしい。
男が筒を向けた。
ミミルへ。
俺は《転殻》を使った。
床を蹴る。
跳ねる。
ごん。
男の足首へ当たった。
「っ!」
針が逸れる。
座席へ刺さる。
紫色の液が染み出した。
「エッグ!」
ミミルが俺を拾おうとする。
右。
来るな。
いや。
それはYESだった。
間違えた。
今のなし。
俺はもう一度跳ねた。
ミミルの手を避ける。
黒い輪が飛んでくる。
床へ落ちる。
転がる。
輪が閉じる。
がちん。
俺の少し後ろ。
危ない。
麻痺毒の男が足を上げた。
蹴らない。
踏まない。
両手で捕まえようとしてくる。
俺は座席の脚へぶつかった。
反動で向きを変える。
男の手が空を掴む。
「動きが速い!」
「傷つけるなと言っている!」
知らん。
そっちの都合だ。
「セリアさん、伏せてください!」
ミミルが瓶を投げた。
男の胸で割れる。
透明な液。
何も起きない。
男が笑った。
「失敗か?」
「いいえ」
セリアが答えた。
男の足元へ黄色い粉を撒く。
透明な液と混ざる。
泡。
白い泡が一気に膨らんだ。
「なっ――」
靴が床へ張りつく。
男が体勢を崩す。
セリアがその腕を蹴った。
短剣が落ちる。
「失敗品も、使い方次第です」
さすが。
落ち着いている。
俺も負けていられない。
《素材感知》
眠り薬。
麻痺毒。
粘着剤。
発光粉。
五号薬。
低刺激の保護材。
位置が分かる。
揺れる馬車の中。
瓶だらけ。
薬だらけ。
今の俺には。
全部、見えている。
後ろの男が新しい瓶を取り出した。
青黒い液体。
魔吸い草。
空殻虫の体液。
魔力吸収液。
「飲ませるのか?」
「ひびへかけろ。転がる力を奪える」
それは困る。
俺の移動は《転殻》だけではない。
《微振動》で向きを作り。
魔力で殻を押す。
その魔力を抜かれたら。
ただの卵になる。
いや。
ひび割れ卵だ。
もっと悪い。
青黒い瓶が振られる。
液が飛んだ。
俺は横へ転がる。
一滴。
殻へ触れた。
冷たい。
ひびから力が引かれる。
眠い。
重い。
止まりそうになる。
《因子吸収》
逆だ。
抜かせない。
こっちが吸う。
青黒い液がひびへ入る。
魔力が減る。
その代わり。
妙な冷たさが内側へ残った。
ひび割れ率:61%
上がった。
だが。
動ける。
「効いていないぞ!」
「追加しろ!」
嫌です。
男が二本目を抜く。
セリアが床の短剣を蹴った。
短剣が滑る。
男の足へ当たる。
刃ではない。
柄。
男の手が下がる。
その瞬間。
俺は男の靴へ体当たりした。
よろめく。
ミミルが鞄から小瓶を抜いた。
「目を閉じて!」
光。
白。
俺にまぶたはない。
不公平。
でも。
男たちの悲鳴がした。
「今です!」
セリアが扉を開ける。
外の護衛が鎖を外していた。
反撃できる。
いける。
包囲を破れる。
そう思った。
そのとき。
《素材感知》が。
馬車の下にあるものを拾った。
赤硝石。
火蜥蜴の脂。
圧縮された魔石粉。
錬金爆薬。
量が多い。
多すぎる。
俺を捕まえるための量ではない。
俺に使えば。
殻ごと消える。
じゃあ。
何のためだ。
細い管が伸びている。
馬車の下から。
車内へ。
管の先。
ミミルの座席の真下。
そこに小さな容器。
眠り薬。
麻痺毒。
魔力吸収液。
全部の管が。
爆薬の容器へ繋がっている。
混ざれば。
熱が出る。
熱が魔石粉へ移る。
爆発する。
俺を傷つける罠ではない。
ミミルを。
人質にする罠だ。
「動くな!」
橋の下から声がした。
「次に抵抗すれば馬車を燃やす!」
やっぱり。
男たちが下がる。
光で潰れた目を押さえながら。
笑っている。
「卵を外へ出せ」
「断ります」
セリアが即答した。
「では火を入れる」
かち。
小さな音。
馬車の下。
熱が生まれた。
《素材感知》
赤。
熱い。
広がる。
「セリアさん!」
「全員、馬車から離れてください!」
護衛が御者を引きずる。
セリアが扉へ向かう。
ミミルは。
俺を探している。
「エッグ、どこ!?」
ここ。
床。
座席の下。
爆薬の上。
逃げ道はある。
扉は開いている。
《転殻》を使えば。
俺だけなら出られる。
外へ転がる。
橋の端へ逃げる。
爆発しても。
距離を取れる。
助かる。
たぶん。
ミミルは間に合わない。
眠り薬を吸った。
足がふらついている。
俺を置いて逃げない。
絶対に。
それも分かる。
なら。
選ぶことは一つだった。
爆薬を止める。
方法は。
ある。
最悪の方法が。
ひびから薬液を吸う。
眠り薬。
麻痺毒。
魔力吸収液。
爆薬の魔力。
全部。
俺の中へ。
「エッグ?」
ミミルが俺を見つけた。
そして。
俺が見ているものを見た。
座席の下。
赤くなった管。
魔力吸収液の容器。
爆薬へ続く栓。
ミミルの顔から色が消えた。
「駄目」
気づいた。
「駄目だよ、エッグ」
俺を抱き上げる。
手が震えている。
「それを吸収したら、殻が耐えられない」
分かっている。
「外へ出よう」
間に合わない。
「一緒に逃げよう」
無理だ。
熱が強くなる。
容器の中で泡が弾ける。
ぶく。
ぶく。
「吸収しないで」
ミミルが俺を見た。
泣きそうな目で。
「お願い。吸収しないでくれる?」
問い。
俺たちの決めた方法。
右ならYES。
左ならNO。
俺は。
左へ震えた。
NO。
「エッグ」
ごめん。
これは。
聞けない。
俺は《微振動》を強めた。
ミミルの手の中で回る。
滑る。
「あっ」
落ちる。
床へ。
《転殻》
跳ねる。
ミミルの胸へ当たる。
弱い体当たり。
でも。
眠り薬でふらついていたミミルの体は。
開いた扉の外へ倒れた。
護衛が受け止める。
「エッグ!」
俺は反動で後ろへ落ちる。
容器の縁。
青黒い液。
その中へ。
飛び込んだ。
冷たい。
熱い。
眠い。
痛い。
《因子吸収》
吸う。
全部。
薬液がひびへ流れ込む。
睡眠。
意識が沈む。
麻痺。
殻の内側が動かなくなる。
魔力吸収。
残った力が削られる。
五号薬。
混ざった治癒の因子が、壊れる端から殻を塞ごうとする。
鎮静。
痛みが遠くなる。
爆薬。
熱。
熱。
熱。
《因子吸収》が制御限界を超えました。
知らん。
止まるな。
外へ出すな。
俺の中へ。
全部。
閉じ込めろ。
ひび割れ率:73%
容器の赤い光が弱くなる。
まだ。
ひび割れ率:81%
爆薬が震える。
殻も震える。
どちらが先に割れるか。
勝負。
ひび割れ率:89%
「エッグ!」
ミミルの声。
戻ってくるな。
俺は右にも左にも動けない。
だから。
ただ震えた。
来るな。
伝わらなくても。
震えた。
ひび割れ率:94%
殻の内側で何かが混ざる。
眠り。
麻痺。
治癒。
鎮静。
熱。
本来なら一緒にならないもの。
混ぜてはいけないもの。
それが俺の中で。
一つになる。
薬性変質が発生しました。
今はどうでもいい。
爆発を。
削れ。
ひび割れ率:97%
容器が割れた。
赤い光が漏れる。
俺は吸う。
ひびから。
割れ目から。
砕けかけた殻の全部から。
ひび割れ率:99%
逃げれば。
助かった。
たぶん。
でも。
逃げなかった。
ミミルを置いて。
生き残るのは。
違う。
俺は素材じゃない。
荷物でもない。
廃棄されるだけの卵でもない。
俺は。
ミミルの相棒だ。
ひび割れ率:100%
音が消えた。
次に。
殻の奥で。
小さな爆発が起きた。
ぱき。
俺の体が。
割れた。
光が漏れる。
痛みは。
もう、なかった。
最後に見えたのは。
馬車へ手を伸ばす。
ミミルだった。
《殻継転生》の発動条件を満たしました。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。
廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。




