第28話 薬師ギルドからの呼び出し
翌朝。
工房の扉が叩かれた。
ミミルの手が止まる。
俺も箱の中で固まった。
朝から来客。
嫌な予感しかしない。
「どなたですか」
「冒険者ギルドです」
聞き慣れた声だった。
ミミルが少しだけ息を吐く。
扉を開けると、受付嬢が封筒を一通持って立っていた。
「薬師ギルドから、正式な呼び出しです」
嫌な予感が当たった。
俺は箱の中で、じっと封筒を見た。
白い封筒。
赤い封蝋。
薬師ギルドの紋章。
見た目だけなら普通だ。
中身は、たぶん普通ではない。
「立ち会いは、お断りしたはずです」
ミミルの声が硬くなる。
「はい。工房への立ち入り希望については、こちらで止めています」
受付嬢はすぐに答えた。
「今回の呼び出しは、別件として処理されています。薬師ギルド内で行う、五号薬の同席試験への招待です」
同席試験。
立ち会いを断ったら、向こうへ来てくれと言われた。
場所を変えただけでは。
「断ることはできますか」
「できます。ただし、五号薬について薬師ギルドが独自に確認を進める可能性はあります」
ミミルが黙った。
受付嬢は封筒を差し出したまま、続ける。
「招待対象はミミルさんと、エッグです」
俺は震えた。
微振動ではない。
普通に嫌で震えた。
薬師ギルド。
薬を調べる専門家が集まる場所。
品質。
効能。
安全性。
素材。
俺を見るなら、どこから見る。
卵としてか。
従魔としてか。
それとも。
珍しい薬の材料としてか。
「エッグの同席が、必要なのですか」
「セリアさんの書面では、必須とはされていません」
受付嬢が封筒を開き、中の紙をミミルに見せた。
「五号薬だけを提出することも可能です。ただ、その場合はエッグがいない状態での試験結果だけが正式記録になります」
つまり、俺がいなければどうなるかは調べる。
俺がいればどうなるかも、向こうは知りたい。
やっぱり俺が目当てでは。
「試験内容は?」
「五号薬の品質、刺激性、沈静傾向の確認。エッグについては、接触禁止、殻片使用禁止、採取禁止、鑑定禁止と記載されています」
そこまで書いてある。
逆に怖い。
禁止事項が具体的すぎる。
俺が何を警戒しているか、完全に把握されている。
「反応が起きた場合の記録は?」
「五号薬の正式記録とは分け、保護記録として扱うそうです。閲覧権限はセリアさんと、薬師ギルドの試験責任者に限定されます」
ミミルは紙を受け取った。
何度も読む。
端から端まで。
小さな文字まで。
俺は箱の中から待った。
右にも左にも揺れない。
まだ聞かれていない。
でも、気持ちは左だった。
行きたくない。
専門家の前に置かれ、薬と見比べられる。
俺が近い。
泡が減る。
濁りが整う。
なら、もう少し近づけよう。
今度は囲んでみよう。
殻に塗ってみよう。
少し削れば、もっとわかる。
そうやって線は押される。
最初は一歩。
次も一歩。
気づけば、俺は試験器具だ。
「持ち帰って、相談してもいいですか」
「もちろんです。返答は本日中でなくても構いません」
「薬師ギルドは、急いでいますか」
「関心は強いです」
受付嬢はごまかさなかった。
「だからこそ、正式な手続きの中に置いた方がいいと、私は思います」
その言葉だけを残し、受付嬢は帰った。
扉が閉まる。
静かになった工房で、ミミルは俺の箱の前に座った。
「エッグ」
俺を見る。
「行きたくないですか」
左。
即答だった。
行きたくない。
とても行きたくない。
「私も、怖いです」
ミミルは招待状を膝の上に置いた。
「五号が評価されなかったら、今までの試作が全部間違いだったように思ってしまいそうで」
それは違う。
俺は右へ揺れかけて、止まった。
右では、同意になる。
こういう時、左右だけなのは不便だ。
代わりに小さく震える。
ミミルが少し笑った。
「慰めてくれているんですか」
右。
「ありがとうございます」
ミミルは招待状へ目を落とした。
「でも、評価されることも怖いです」
今度は俺も右へ揺れた。
評価が低ければ、失敗。
評価が高ければ、注目される。
その理由が俺なら、もっとまずい。
どう転んでも怖い。
「昨日、立ち会いは断ると書きました」
右。
「今も、工房へ入れるつもりはありません」
右。
「ですが、断るだけでは、薬師ギルドの関心は消えないと思います」
それも、たぶん正しい。
昨日の時点では、外へ出さないことが一番安全だった。
だが、五号の存在はすでに知られている。
薬師ギルドは試験を望んでいる。
俺の影響を疑っているかどうかはわからない。
知らないふりをしても、向こうの調査までは止められない。
「セリアさんがいる場所で、禁止事項を記録に残して試験をする方が、後から勝手に調べられるより守りやすいかもしれません」
俺は動かなかった。
理屈はわかる。
それでも嫌なものは嫌だ。
ミミルは急かさなかった。
「エッグが嫌なら、断ります」
俺を見る。
「五号だけを渡すこともしません」
ミミルの声は静かだった。
「一緒に行くか、二人とも行かないかです」
逃げ道を用意している。
俺だけを差し出さない。
薬だけを渡して、俺との関係を勝手に調べさせることもしない。
俺は招待状を見る。
接触禁止。
殻片使用禁止。
採取禁止。
鑑定禁止。
記録は分ける。
セリアが立ち会う。
これが守られるなら。
俺自身が見ていられるなら。
勝手に決められるよりは、ましかもしれない。
俺はゆっくり右へ揺れた。
ミミルが目を見開く。
「行ってもいいんですか」
右。
「怖くないですか」
右。
怖い。
怖いけど、行く。
「途中で嫌になったら、帰ります」
右。
「触れさせません」
右。
「薬を近づける時も、毎回エッグに確認します」
右。
「一度でも約束を破ったら、試験は中止します」
右。
そこまで確認して、ミミルは立ち上がった。
「では、行きましょう」
薬師ギルドの建物は、冒険者ギルドより静かだった。
薬草の匂いがする。
乾いた葉。
苦い粉。
甘い蜜。
鼻はないのに、殻のひびから染みてくるような気がした。
俺は蓋を開けたエッグ箱に入っている。
閉じ込められてはいない。
だが、視線からは守られている。
廊下ですれ違う薬師たちが箱を見る。
俺を見る。
見ないふりをしながら見る。
気持ちはわかる。
薬師ギルドに、ひび割れ卵が箱入りで来たのだ。
俺だって逆なら見る。
でも、見られる側になると落ち着かない。
「こちらです」
灰色のローブを着たセリアが待っていた。
工房へ来た、あの薬師だ。
「お越しいただき、ありがとうございます」
「先に確認させてください」
ミミルは挨拶より先に招待状を出した。
「書面の条件は、すべて守られますか」
「守ります」
「エッグは素材ではありません」
「承知しています」
「試験中も、エッグ本人の同意を取ります」
「はい」
「反応が出ても、五号薬の製法には含めません」
セリアは一度だけ、俺を見た。
「その点も、記録を分けます。五号薬そのものの評価と、エッグ同席時の反応は別です」
ミミルはまだ座らない。
「エッグの反応について、外部へ開示しないでください」
「保護記録に指定します。商会から問い合わせがあっても、回答しません」
商会。
その言葉で、殻の内側が冷えた。
ロイムの顔が浮かぶ。
いや、顔はよく見ていない。
見たくもない。
「試験責任者にも、同じ条件を確認してもらえますか」
「もちろんです」
セリアが隣の薬師を呼んだ。
年配の男だった。
白い手袋を着けている。
俺はその手袋を見た。
触る気満々に見える。
「五号薬の試験責任者です」
男は書面を読み、署名した。
「対象は薬液のみ。従魔への接触、採取、鑑定は行わない。距離変更は本人と契約者の同意を得る。異議があれば即時中止。これでよろしいですか」
「はい」
ミミルが答える。
俺も右へ揺れた。
男の眉が少し上がる。
「今の動きは」
「同意です」
ミミルがきっぱり答えた。
「右がYES。左がNOです」
「記録しても?」
聞く相手は、ミミルではなかった。
男は俺を見ていた。
俺は少し迷ってから、右へ揺れた。
「承知しました」
記録係が紙に書く。
少なくとも、勝手には書かなかった。
試験台には、三本の小瓶が並べられていた。
一つは、普通の低刺激回復薬。
一つは、昨日ミミルが作った五号。
一つは、薬液を入れていない空の瓶。
まずは色。
次に匂い。
沈殿。
泡。
魔力反応。
薬師たちは順番に確かめていく。
俺は部屋の端に置かれた。
五号からは遠い。
薬師たちは俺に触れない。
話しかけもしない。
それでも落ち着かない。
いつ「近づけましょう」と言われるのか。
そればかり考えていた。
「効力は低い」
試験責任者が言った。
ミミルの肩がわずかに下がる。
「一般的な低刺激回復薬の、半分以下です」
半分以下。
弱い。
知っていた。
知っていても、専門家に言われると重い。
「ただし、刺激性も低い」
男は別の紙へ目を移した。
「傷口への負担が少ない。回復を主目的にするには弱いですが、洗浄後の軽傷部を落ち着かせる補助薬としては検討できます」
ミミルが顔を上げた。
「補助薬」
「はい。治す薬ではなく、悪化を抑えながら自然回復を待つための薬です」
派手さはない。
効力も低い。
売れば大金になるような薬でもない。
だが、弱いから使える場所がある。
昨日、ミミルが言っていた通りだ。
「現時点では、正式採用ではありません」
試験責任者が続ける。
「品質のばらつき、保存性、使用後の変化を調べる必要があります」
「はい」
「ですが、正式試験候補にはできます」
ミミルの指が、小さく震えた。
評価された。
完成ではない。
成功でもない。
候補。
それでも、失敗として捨てられなかった。
「次に、同席時の確認へ移ります」
来た。
俺は箱の中で身構えた。
セリアが試験責任者を止める。
「その前に、記録を分けます」
机の上から、五号薬の評価用紙が片づけられた。
代わりに、表紙の違う薄い記録紙が置かれる。
上には赤い文字があった。
『保護記録』
「ここから先の結果は、五号薬の効能評価には含めません」
セリアはミミルへ確認する。
「続けますか」
ミミルは俺を見た。
「エッグ。瓶を一つだけ、少し近づけてもいいですか」
俺は五号の瓶を見る。
薬師たちを見る。
扉を見る。
逃げるなら、ミミルが箱を持って走れる。
たぶん。
いや、走らせることになる時点で嫌だ。
それでも、ここまで約束は守られている。
俺は右へ揺れた。
瓶が一歩分だけ近づいた。
触れない。
まだ遠い。
薬液の表面に、細かい泡が浮いている。
すぐには変わらない。
一分。
二分。
記録係が時間を書く。
泡が二つ、消えた。
気のせいかもしれない。
さらに一つ消えた。
「濁りが薄くなっています」
記録係が言った。
試験責任者が瓶をのぞく。
ミミルの顔が強張る。
俺も固まる。
やっぱり。
昨日だけではなかった。
「距離をもう一段、縮めても?」
試験責任者が聞いた。
ミミルは俺を見る。
「エッグ」
左。
今度は即答した。
「中止します」
ミミルが言う。
試験責任者が瓶を下げた。
「承知しました」
押してこない。
理由も聞かない。
瓶は元の位置へ戻された。
それだけだった。
セリアが記録紙へ線を引く。
「本人拒否により終了。接触なし。殻片使用なし。採取なし。追加試験なし」
はっきり書いた。
俺にも読める向きで。
「この反応を、五号薬の評価理由にはしません」
セリアは続ける。
「五号薬は、エッグがいない状態で確認された低刺激性と沈静傾向により、正式試験候補とします」
俺がいたから候補になったわけではない。
少なくとも、記録の上では。
俺の近くで起きたことは、五号の製法に入らない。
俺は材料ではない。
器具でもない。
別の本人として扱われた。
薬師ギルドを完全に信用したわけではない。
薬師たちの目が怖くなくなったわけでもない。
俺の近くで薬が整う理由も、何一つわかっていない。
でも。
左へ揺れたら、止まった。
それは大きい。
「ミミルさん」
セリアが五号薬の評価書を差し出す。
「正式試験候補として受理します。追加試作を提出するかどうかは、後日決めてください」
「期限はありますか」
「ありません。安全を優先してください」
ミミルは評価書を受け取った。
「ありがとうございます」
声が少し震えていた。
帰り道。
俺はエッグ箱の中で揺られていた。
薬師ギルドへ行った。
並べられた。
見られた。
薬を近づけられた。
怖かった。
かなり怖かった。
それでも削られなかった。
触られなかった。
左で止められた。
「エッグ」
ミミルが箱を抱え直す。
「ありがとうございました」
右。
「怖かったですよね」
右。
「私も怖かったです」
右。
「五号、候補になりました」
右。
ミミルの腕に、少し力が入る。
「エッグの力を、理由にせずに」
俺はもう一度、右へ揺れた。
五号は完成していない。
まだ候補だ。
保存できるかもわからない。
同じ品質で作れるかもわからない。
俺の近くで反応が整う理由も、わからない。
問題は残っている。
だが、一つだけ決まった。
弱い薬には、弱い薬の役目がある。
そして俺には、俺の意思がある。
近くにいるだけで何かが起きても。
それは、好きに使っていいという意味ではない。
右なら進む。
左なら止まる。
卵の俺にできる線引きは、まだそれだけだ。
それでも今日。
薬師ギルドの試験は、俺の左で止まった。
なら。
行った意味は、たぶんあった。




