第19話 廃棄推奨、保護対象になる
目が覚めると、知らない天井だった。
いや、正確には天井を見る目はない。
それでも、ここが工房ではないことはわかる。
薬品の匂いが薄い。
木箱のきしむ音がない。
窓から入る光の角度も違う。
ギルドの仮眠室。
昨夜、俺とミミルはここで休ませてもらった。
俺は布の上で、そっと震えた。
殻の中のざわつきは、まだ残っている。
だが、昨日よりは少しましだ。
ひび周辺の熱も、少しだけ引いている気がする。
俺は自分だけに見える表示を確認した。
================
生命力:3/3
魔力:3/3
ひび割れ率:42%
状態:やや不安定
外部魔力残滓:微量
推奨:安静、経過観察
================
よし。
不安定から、やや不安定。
外部魔力残滓も、微量になっている。
まだ完全ではないが、昨日よりは確実に良い。
俺は小さく右へ揺れた。
誰に対しての右かはわからない。
たぶん自分に対してだ。
ミミルはベッドの端で眠っていた。
座ったまま寝落ちではない。
ちゃんと布団に入っている。
えらい。
かなりえらい。
俺は安心してもう一度震えた。
その音で、ミミルが目を開けた。
「……エッグ?」
右。
おはよう。
ミミルは慌てて起き上がり、俺の殻を見た。
「痛い?」
左。
「熱い?」
少し迷って、左。
昨日ほどではない。
「昨日より落ち着いてる?」
右。
落ち着いている。
ミミルはほっと息を吐いた。
「よかった……」
そして、すぐに記録を書き始める。
『朝』
『痛みなし』
『熱感やや低下』
『震え、昨日より安定』
『ひびからの光、ほぼなし』
『安静継続』
ちゃんと外から見えることだけだ。
いい。
すごくいい。
俺は右へ揺れた。
「記録、これで大丈夫?」
右。
大丈夫。
ミミルは少し笑った。
「エッグ、記録に厳しくなってきたね」
そりゃそうだ。
俺の情報管理は大事だ。
スキル名や内部状態がぽろぽろ外に漏れたら、また変な奴に狙われる。
俺は廃棄推奨の卵から、希少素材疑惑の卵になってしまったのだ。
人生、いや卵生、どこで狂うかわからない。
しばらくすると、受付嬢が部屋に来た。
「おはようございます。眠れましたか?」
「はい。少しだけ」
ミミルはそう答えた。
受付嬢は俺を見る。
「エッグさんは?」
右。
少しは眠れました。
たぶん。
「状態は昨日より落ち着いているようですね」
右。
そう思う。
受付嬢は安心したように頷いた。
「よかったです。今日はギルド長から正式な話があります。無理のない範囲で、会議室まで来られますか?」
会議室。
正式な話。
嫌な予感もするが、逃げるわけにもいかない。
俺は右へ揺れた。
ミミルも頷く。
「行きます」
俺は厚い布に包まれ、昨日よりさらに慎重に籠へ固定された。
揺れない。
転がらない。
完全に要介護卵である。
だが、今はそれでいい。
無理に動いてひび割れ率が上がったら洒落にならない。
ギルドの会議室には、ギルド長、受付嬢、鑑定士がいた。
机の上には書類が数枚。
壊れた魔力拘束具の破片も、証拠袋のような透明な袋に入れられている。
ギルド長は俺たちを見ると、すぐに椅子を示した。
「座れ。エッグは机の上でいいか」
ミミルは俺を机の端に置いた。
布を敷いてくれている。
地味にありがたい。
ギルド長はまず鑑定士へ目を向けた。
「状態確認を」
「はい」
鑑定士は水晶を置く。
淡い光が俺の表面をなぞった。
昨日よりはぞわぞわしない。
================
名称:ひび割れ卵
種別:不明
危険度:測定保留
状態:やや不安定
食用:不可
素材価値:中
備考:殻損傷拡大。外部魔力反応残留。
登録従魔。意思表示あり。経過観察強化中。
================
素材価値、中。
上がっている。
上がってほしくないところが上がっている。
しかも食用不可はそのまま。
いや、そこは不可でいい。
食べられたくない。
だが、素材価値が上がるのは困る。
俺は思わず左へ揺れた。
受付嬢が察したように言う。
「素材価値の表示は、売買推奨という意味ではありません。反応があるため、記録上の分類が変わっているだけです」
そうなのか。
でも嫌だ。
素材価値という言葉がもう嫌だ。
ギルド長も俺の反応を見て、低く言った。
「不快なのはわかる。だが、価値があると記録した上で、勝手に触らせない。そのための手続きだ」
なるほど。
価値がないことにすると、雑に扱われる。
価値があることを認めた上で、保護する。
それがギルド側のやり方なのか。
少しだけ納得した。
俺は小さく右へ揺れた。
ギルド長は書類を一枚出した。
「本題だ。登録従魔エッグを、ギルド保護対象として扱う」
ギルド保護対象。
また新しい肩書きが増えた。
廃棄推奨から、補助従魔になり、経過観察強化中になり、ついに保護対象。
出世なのか。
出世なのかこれ。
俺は判断に困って震えた。
ミミルが不安そうに聞く。
「保護対象って、どういう扱いですか?」
受付嬢が説明する。
「危険な魔物として隔離する、という意味ではありません。むしろ逆です。無断接触や、採取強要、売買強要から守る対象として、ギルド規約上に明記します」
採取強要。
売買強要。
言葉だけで嫌だ。
ギルド長が続ける。
「エッグには意思表示がある。従魔登録上も、本人同意ありと記録されている。ならば身体由来素材の扱いも、本人の意思を無視できん」
俺は右へ揺れた。
強く。
それは大事。
ものすごく大事。
ギルド長は書類を読み上げた。
================
登録従魔:エッグ
状態:ギルド保護対象
本人同意:あり
所有者:ミミル
特記事項:意思表示あり。
身体由来素材の採取・売買には、所有者および従魔本人の同意を必要とする。
無断接触、採取強要、売買強要を禁ずる。
違反者はギルド規約に基づき処分対象とする。
================
いい。
かなりいい。
俺は右へ大きく揺れた。
ただ、その勢いで少し殻がきしんだ気がして、すぐ止まった。
安静。
今は安静。
ミミルも深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
受付嬢が微笑む。
「ギルド内にも通達します。依頼掲示板の横にも、注意事項として掲示されます」
掲示。
俺の無断接触禁止が掲示されるのか。
なんかすごい。
ちょっと恥ずかしい。
だが、必要だ。
ギルド長はさらに別の書類を出した。
「ただし、これで完全に安全になるわけではない。むしろ、保護対象にしたことで、興味を持つ者も出る」
それはそう。
保護対象という言葉自体が目立つ。
だが、何もしないよりはいい。
「だから、表に出す情報は絞る」
ギルド長は受付嬢へ視線を向けた。
受付嬢が読み上げる。
================
通達内容:
登録従魔エッグへの無断接触を禁ずる。
身体由来素材の採取強要を禁ずる。
売買の強要を禁ずる。
自然脱落素材であっても、所有者および従魔本人の同意なき取引は無効とする。
違反者は依頼停止、罰金、重度の場合はギルド除名とする。
================
かなり強い。
ギルド除名まである。
これはありがたい。
ミミルは少し驚いていた。
「そこまでしてもらえるんですか?」
ギルド長は淡々と答える。
「二晩続けて登録従魔が襲撃された。魔力拘束具まで持ち出されている。ギルドとしても放置できん」
たしかに。
俺個人の問題だけではない。
ギルド登録した従魔が、外部の商会関係者らしき者に狙われた。
それを放置すれば、ギルドの信用にも関わる。
ギルド長は机の上の魔力拘束具を指で叩いた。
「これの流通経路は追っている。ロイム本人は行方をくらませた。ヴァルム商会本部は、奴の独断と主張している」
やっぱり独断。
便利すぎる。
ギルド長の目が少し鋭くなる。
「だが、独断かどうかはギルドが決めることではない。証拠で詰める」
おお。
頼もしい。
この人、怖いけど頼もしい。
俺は右へ揺れた。
ミミルも少しだけ安心したようだった。
鑑定士が俺の殻を観察しながら言う。
「もう一つ、状態の話をしておきましょう。昨日より落ち着いていますが、完全に安定したわけではありません」
知っています。
俺のステータスにも出ている。
鑑定士はミミルを見る。
「殻片を使った薬の試作は、しばらく停止してください。本体への補強剤も、強いものは避けるべきです」
ミミルはすぐに頷いた。
「はい。やりません」
俺も右へ揺れた。
やりません。
やらせません。
鑑定士は続ける。
「ただし、薄い安定剤での外部処置は、昨日効果がありました。強く反応しない範囲で、経過を見ながら行うのはよいでしょう」
ミミルは記録に書く。
『殻片使用薬の試作停止』
『強い補強剤禁止』
『薄い安定剤のみ、様子を見ながら』
『安静』
安静ばかりだ。
でも今はそれでいい。
ギルド長は少し考え、受付嬢に言った。
「納品についても制限をかけろ」
「低刺激回復薬の件ですね」
「ああ。問い合わせが増えている。今のまま広がると、また狙われる」
低刺激回復薬。
俺の自然に剥がれた殻片を使った、あの薬だ。
魔力の乱れが少なく、安定性が高いと評価された。
それでロイムに目をつけられた。
役に立つものほど、危険を呼ぶ。
ミミルは不安そうに俺を見た。
「しばらく、納品やめた方がいいですか?」
俺は少し迷った。
やめた方が安全。
でも、完全にやめるとミミルの収入がなくなる。
工房の修理費もある。
ギルド長が先に答えた。
「完全停止でも構わん。ただ、ミミルの生活もある。やるなら一日三本まで。ギルド経由。材料と製法の詳細は非公開。エッグの状態が悪い日は作らない」
一日三本。
かなり少ない。
だが、今はそれくらいがいい。
受付嬢が書類に追記する。
================
納品制限:一日最大三本
品目:低刺激回復薬
条件:ギルド経由での納品のみ
製法詳細:非公開
エッグ本人および所有者ミミルの同意必須
エッグの状態不良時は製造停止
================
これなら、少しは安全か。
俺はミミルを見た。
いや、見られないが、そちらへ体を傾けた。
ミミルは小さく頷く。
「エッグが嫌なら作らない。作る時も、絶対に確認する」
右。
それならいい。
無理はしない。
無理に役に立とうとして割れたら意味がない。
ギルド長は俺の反応を確認し、書類に印を押した。
重い音が響く。
ぽん、ではなく、どん、だった。
ギルド長印、強そう。
こうして、俺は正式にギルド保護対象になった。
会議が終わると、受付嬢が小さな木札を持ってきた。
「これは保護対象の札です。籠や木箱につけておいてください」
木札には、ギルドの印と、短い文が刻まれている。
================
ギルド保護対象
登録従魔:エッグ
無断接触禁止
================
シンプル。
強い。
ただ、少しだけ恥ずかしい。
俺は木札を見て震えた。
ミミルが苦笑する。
「目立つの嫌?」
右。
嫌。
「でも、必要?」
右。
必要。
ミミルは木札を籠の持ち手に結んだ。
これで俺は、見た目にも保護対象卵である。
廃棄推奨からの落差がすごい。
受付嬢は少し柔らかい声で言った。
「工房の修理は今日中に最低限進めます。ですが、今夜も仮眠室を使ってください」
ミミルは素直に頷いた。
「はい。お願いします」
俺も右。
工房には戻りたい。
でも、今夜はまだ怖い。
扉が直っていない工房より、ギルドの仮眠室の方が安全だ。
昼過ぎ。
ギルドの掲示板横に、通達が貼られた。
ミミルは俺を抱えた籠を少し遠くに置き、受付嬢と一緒に確認した。
冒険者たちが集まってくる。
「なんだこれ」
「卵に無断接触禁止?」
「ギルド保護対象って、あの卵か?」
「まじかよ。廃棄推奨だったやつだろ」
そうです。
元廃棄推奨です。
今は保護対象です。
肩書きの乱高下が激しすぎる。
ガルドもいた。
腕を組んで掲示を眺め、鼻で笑う。
「ついに卵様に触るだけで罰金か」
言い方。
相変わらず言い方が悪い。
ミミルがむっとする。
「茶化さないでください」
「茶化してねえよ。むしろ良かったじゃねえか」
え。
今の言い方で?
ガルドは掲示を指で軽く叩く。
「こういうのはな、紙にして貼って初めて効く。口約束じゃ、馬鹿は止まらねえ」
それは正しい。
腹立つけど正しい。
俺はしぶしぶ右へ揺れた。
ガルドがにやりと笑う。
「また同意したな、卵」
しまった。
つい。
ミミルが俺の籠を少し抱え直した。
「エッグは安静中です」
「見りゃわかる。昨日より大人しいしな」
ガルドは俺の殻をじろじろ見ようとはしなかった。
珍しく距離を取っている。
掲示を読んだからか。
それとも、ひびが広がった俺を見て少しは気を使っているのか。
どちらにせよ、ありがたい。
ガルドは低い声で言った。
「ロイムは逃げたらしいな」
ミミルの表情が硬くなる。
「はい」
「しばらく気を抜くなよ。ああいう奴は、一回失敗したくらいじゃ諦めねえ」
知っている。
俺もそう思う。
ミミルは頷いた。
「はい」
ガルドは少しだけ視線を逸らし、ぼそっと言った。
「あと、窓も塞げ。扉だけ直しても意味ねえ」
それも正しい。
ほんと、たまにまともなことを言う。
俺は右へ揺れた。
ガルドが笑う。
「卵にもわかるか」
わかるわ。
前世でも戸締まりは大事だった。
ギルドでの通達のあと、ミミルは鑑定士から薄い安定剤を受け取った。
一日に何度も使わないこと。
熱や光が強くなるなら中止。
違和感があればすぐギルドへ。
そう説明された。
仮眠室に戻ると、ミミルは俺を机の上に置いた。
「疲れた?」
右。
疲れた。
会議だけでも疲れる。
卵なのに。
「少し安定剤、当てる?」
俺は考えた。
さっきよりは落ち着いている。
でも、まだ少し熱い。
右。
お願いします。
ミミルは布に薄い安定剤を含ませ、ひび周辺へそっと当てた。
冷たい。
じわりと熱が引く。
================
薄い魔力安定剤による外部処置を確認。
外部魔力残滓:微量 → ほぼ沈静
状態:やや不安定 → 安定傾向
================
おお。
安定傾向。
やっと少し安心できる言葉が出た。
俺はゆっくり右へ揺れた。
ミミルが表情を明るくする。
「楽になった?」
右。
かなり。
「よかった……」
ミミルは椅子に座り、深く息を吐いた。
この二日間で、彼女もかなり消耗している。
俺は机の上から小さく震えた。
休め。
「私も休む?」
右。
「うん。休む」
よし。
よくできました。
夕方、受付嬢が工房の修理状況を知らせに来た。
「扉は仮修理が完了しました。窓には封印札を追加しています。ただ、完全修理にはもう少しかかります」
「ありがとうございます」
「それと、工房には今夜も職員を置きます。持ち物は無事です」
ミミルはほっとしたように胸を撫で下ろした。
殻片の入った箱。
記録。
薬品。
工房そのもの。
全部、ミミルにとって大事なものだ。
受付嬢は俺の木札を確認し、少し微笑んだ。
「似合っていますね」
左。
似合っていると言われても困る。
無断接触禁止札が似合う卵とは何だ。
ミミルは少し笑った。
「エッグ、嫌そう」
「でも必要ですから」
右。
必要。
嫌だけど。
夜。
ギルドの仮眠室で、ミミルは早めに横になった。
今日は昨日より眠れそうだ。
俺の状態も安定傾向。
外にはギルド職員。
ロイムは逃走中だが、ギルドが動いている。
完全に安心はできない。
だが、少なくとも昨日よりはいい。
俺は布の上で、ステータスを確認した。
================
生命力:3/3
魔力:3/3
ひび割れ率:42%
状態:安定傾向
外部魔力残滓:ほぼ沈静
称号を獲得しました。
《保護対象卵》
================
称号。
また増えた。
保護対象卵。
そのまますぎる。
いや、わかりやすいけど。
俺は少し震えた。
廃棄された卵。
拾われた卵。
役に立った卵。
便利な卵。
そして、保護対象卵。
俺の称号、卵ばかりである。
当たり前か。
卵だし。
でも、悪くない。
保護対象。
守られる側。
それは少し情けない気もする。
だが、守られることを恥じる必要はない。
誰かに助けてもらうことも、生きるためには必要だ。
前世の俺は、それができなかった。
だから今度は、ちゃんと助けてもらう。
その代わり、俺もできる範囲でミミルを助ける。
無理に割れるまで頑張るのではなく。
割れない範囲で、少しずつ。
ミミルは寝息を立て始めていた。
今日はちゃんと眠れている。
俺はそれを確認して、小さく右へ揺れた。
よし。
俺も休もう。
ひび割れ率42%。
まだ怖い数字だ。
ロイムも捕まっていない。
白い仮面の夢も気になる。
世界のどこかで、俺を観測している何かがいる。
でも今夜は、考えすぎない。
今日は、保護対象になった日だ。
廃棄推奨だった俺が、守るべき存在として記録された日。
それは、たぶん悪い日ではない。
俺は布の上で、静かに震えを止めた。




