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第18話 ひび割れ率四十二パーセント



 朝になっても、俺の殻の中は落ち着かなかった。


 熱い。


 いや、熱だけじゃない。


 殻の内側で、何かがざわざわしている。


 昨日、ロイムの魔力拘束具から吸い込んだ魔力。


 あれが、まだ俺の中に残っている。


 魔力は満ちている。


 だが、元気という感じではない。


 腹いっぱいなのに胃もたれしている。


 卵に胃があるかは知らない。


 でも、そんな感じだ。


 ミミルはほとんど眠っていなかった。


 俺の横に座ったまま、何度も布に回復薬を染み込ませて、殻のひび周辺を確かめていた。


「痛い?」


 左。


 痛みは少し引いた。


「熱い?」


 右。


 熱い。


「苦しい?」


 少し迷って、右。


 苦しい、というより落ち着かない。


 だが、右左だけでは細かく伝えられない。


 ミミルは俺の反応を見て、記録に書く。


『痛みは軽減』

『ひび周辺に熱感』

『ひびから微弱な光』

『震えが不規則』

『触れるとわずかな反発あり』

『安静継続』


 これなら、ミミルが見てわかる範囲だ。


 俺の中の数値や、スキル名や、魔力の流れを見ているわけじゃない。


 殻に触れた時の違和感。


 ひびから漏れる淡い光。


 俺の震え方。


 それを記録しているだけだ。


 俺は、自分だけに見える表示を確認した。


================


生命力:3/3

魔力:3/3

ひび割れ率:42%


状態:不安定

外部魔力残滓あり


警告。

不安定魔力が個体内部に滞留しています。


================


 不安定。


 外部魔力残滓。


 滞留。


 全部嫌な言葉だ。


 俺は小さく震えた。


 昨日の戦いで、ひび割れ率は39%から42%に上がった。


 40%を超えたことで、何かが変わり始めている。


 ステータスの奥。


 普段は薄く閉じている場所に、ちらちらと文字が浮かんでいた。


================


進化候補の再解析を開始します。


現在の個体状態:不安定

外部魔力残滓:あり

竜血反応:継続

殻損傷:中


解析中……


================


 進化候補。


 また出た。


 最初に黒竜の血を浴びた時にも、候補が出た。


 腐りかけ卵。

 魔力卵。

 竜血卵。

 黒塗りの何か。


 その時、俺は竜血卵を選んだ。


 そのおかげで今の俺がある。


 だが、今回は少し違う。


 表示の雰囲気が不穏だ。


 そもそも、今の俺は進化したいわけではない。


 生きたいだけだ。


 割れたくないだけだ。


 ミミルと一緒にいたいだけだ。


================


一、硬殻卵

二、魔力卵

三、竜血卵・不安定

四、■■■■■■


※現在の個体状態では完全進化できません。

※候補の詳細解析には、さらなる条件が必要です。


================


 完全進化できません。


 なら出すな。


 いや、出してくれるだけ親切なのかもしれない。


 でも、今このタイミングで進化候補を見せられると、心臓に悪い。


 心臓があるかは知らない。


 卵だし。


 俺は候補をじっと見た。


 硬殻卵。


 硬そう。


 たぶん防御寄り。


 魔力卵。


 魔力寄り。


 わかりやすい。


 竜血卵・不安定。


 これは怖い。


 今の俺が竜血卵なのに、不安定がついている。


 明らかに嫌な派生だ。


 そして、四つ目。


 黒塗り。


 相変わらず読めない。


 いや、読めなくていい気もする。


 黒塗りの候補はだいたいろくでもない。


 前世の契約書でも、黒塗りが多い資料はだいたい危険だった。


================


候補傾向を表示します。


硬殻卵:防御寄り。安定性やや高。

魔力卵:魔力制御寄り。外部魔力残滓の影響あり。

竜血卵・不安定:竜血反応強化。危険。

■■■■■■:解析不能。選択非推奨。


================


 選択非推奨。


 システムが止めるレベル。


 怖すぎる。


 俺は即座に四つ目から意識を逸らした。


 今は選ばない。


 絶対に選ばない。


 そもそも完全進化できないらしい。


 だったら、今やるべきことは一つ。


 安定すること。


 進化より安定。


 成長より生存。


 社畜時代に学べなかったことを、卵になってから学んでいる。


 遅すぎる。


 ミミルが俺の不規則な震えに気づいた。


「エッグ、何か見えてる?」


 俺は少し迷った。


 ステータスの文字はミミルには見えない。


 だが、俺が何か確認していることは、ミミルにもだんだん伝わるようになってきている。


 右。


「危ない表示?」


 右。


 かなり。


「今すぐ割れそう?」


 左。


 それは違う。


 たぶん。


「でも、いつもより落ち着いてない?」


 右。


 そう。


 かなり落ち着かない。


 ミミルは唇を噛んだ。


「わかった。今日はギルドに行こう。鑑定士さんにも見てもらう」


 右。


 それがいい。


 俺だけで抱えるには怖すぎる。


 しばらくして、ギルド職員が工房に来た。


 昨夜の後処理と、ギルドへの同行のためだ。


 壊れた扉はさらに板で塞がれ、窓にも簡易封印札が貼られた。


 工房はますます住みにくくなったが、背に腹は代えられない。


 ミミルは俺を厚い布で包み、揺れないように籠へ固定した。


 今日は転がらない。


 絶対に転がらない。


 歩行はミミル任せ。


 いや、俺は歩けないが。


 ギルドへ向かう途中、ミミルはずっと無言だった。


 周囲の視線が刺さる。


「また襲われたらしいぞ」


「ヴァルム商会の奴がいたって本当か?」


「いや、まだ噂だろ」


「でも魔道具が見つかったって」


 噂が広がるのが早い。


 怖いくらい早い。


 俺は籠の中でじっとしていた。


 今は反応しない。


 余計なことをすれば、さらに目立つ。


 ギルドに着くと、受付嬢がすぐに奥の部屋へ案内してくれた。


 そこには、昨日の鑑定士もいた。


 さらに、見慣れない中年の男が一人。


 がっしりした体格。


 灰色の髪。


 鋭い目。


 机の向こうに座っているだけで、空気が少し重くなる。


 受付嬢が小さく言った。


「ギルド長です」


 ギルド長。


 偉い人だ。


 たぶん、かなり偉い。


 ギルド長は、俺とミミルを見てゆっくり頷いた。


「ミミル。エッグ。昨夜は災難だったな」


 ミミルが緊張した様子で頭を下げる。


「はい……」


 俺も籠の中で小さく右へ揺れた。


 災難でした。


 かなり。


 ギルド長は俺の反応を見ても、笑わなかった。


 馬鹿にもしなかった。


 ただ、真面目に頷いた。


「意思表示は確かにあるようだな」


 受付嬢が書類を出す。


「すでに登録上も、本人同意ありとして記録しています」


「ああ。確認している」


 ギルド長は鑑定士に目を向けた。


「状態を見ろ。無理はさせるな」


「承知しました」


 鑑定士は水晶を取り出した。


 俺の前に置く。


 淡い光が殻の表面をなぞる。


 ぞわぞわする。


 あまり気持ちよくはない。


 だが、我慢する。


================


名称:ひび割れ卵

種別:不明

危険度:測定保留

状態:不安定

備考:殻損傷拡大。外部魔力反応あり。要経過観察。


================


 ギルド鑑定では、こう見えるらしい。


 俺の内部ステータスとは違う。


 ひび割れ率42%とは表示されない。


 竜血卵とも出ない。


 進化候補も、スキル名も、称号も出ない。


 ただ、外から見える異常だけが出ている。


 不安定。


 外部魔力反応。


 殻損傷拡大。


 それでも、昨日より扱いは重くなっている。


 危険度が「測定保留」。


 なしでも低でもない。


 保留。


 つまり、よくわからないから慎重に扱うということか。


 鑑定士は眉を寄せた。


「状態は不安定です。昨夜の魔道具由来と思われる外部魔力反応が残っていますな」


 ミミルが不安そうに聞く。


「外から見ても、わかるんですか?」


「ひびの周辺に、通常ではない反応があります。内部の詳細までは見えません。ただ、外部から混ざった魔力が、殻の表面反応に影響しているようです」


 そう。


 内部の詳細までは見えない。


 でも、殻の表面に現れている異常はわかる。


 俺は少し安心した。


 線引きがはっきりしている。


 鑑定士は続ける。


「回復薬で生命反応は安定しています。しかし、魔力反応はまだ落ち着いていません。刺激の強い薬品や、追加の魔力付与は避けるべきでしょう」


 刺激の強い薬品。


 追加の魔力付与。


 つまり、今は実験禁止。


 俺は全力で右へ揺れた。


 賛成。


 実験禁止。


 しばらく禁止。


 ミミルも頷く。


「今日は何もしません。安定させるだけにします」


 ギルド長が低い声で言った。


「それでいい。無理に価値を引き出そうとすれば、壊れる」


 壊れる。


 その言葉は少し怖い。


 でも、ギルド長の言い方にはロイムのような嫌な感じはなかった。


 価値があるから管理する、ではなく。


 無理をさせるな、という意味に聞こえた。


 ギルド長は壊れた魔力拘束具の破片を机に置いた。


 昨日、ロイムが使ったものだ。


 金属の輪は歪み、刻印は削られている。


 だが、完全には消えていないらしい。


「これについては調べている。刻印は削られているが、流通経路を追える可能性がある」


 受付嬢が補足する。


「取り押さえた男たちは、昨夜の時点では依頼主を明かしていません。ただ、ヴァルム商会に出入りしていた仲介人と接触していた記録があります」


 ミミルの顔が強張る。


「ロイムさんは……」


 受付嬢は少し悔しそうに言った。


「ロイム氏本人は、現場から逃走しています。今朝、ヴァルム商会の支店にも確認しましたが、所在不明とのことです」


 所在不明。


 逃げたか。


 俺は小さく震えた。


 やっぱり、すぐ捕まるほど甘くはない。


 ギルド長は机を指で軽く叩いた。


「ヴァルム商会本部は、買付責任者ロイムの独断だと主張している。関与は否定している」


 出た。


 独断。


 便利な言葉だ。


 前世の会社でもよく見た。


 問題が起きると、だいたい誰かの独断になる。


 だが、本当に独断かもしれない。


 そこは俺にはわからない。


 証拠がないことは断定できない。


 ミミルは悔しそうに俯いた。


「じゃあ、また来るかもしれないんですか?」


 ギルド長はすぐには答えなかった。


 その沈黙が、答えのようなものだった。


「可能性はある。だから、こちらも動く」


 ギルド長は書類を取り出した。


「まず、ミミルの工房にはしばらく巡回をつける。扉の修理費についても、襲撃被害として補助申請を出す」


 ミミルが顔を上げる。


「補助……?」


「全額とは言えん。だが、ギルド登録従魔への襲撃であり、証拠もある。最低限の防犯補強は通す」


 ありがたい。


 かなりありがたい。


 扉があのままでは、寝るどころではない。


 ギルド長はさらに続ける。


「それと、エッグへの無断接触禁止を強化する。ギルド内だけでなく、依頼関係者にも通達する」


 俺は右へ揺れた。


 ぜひお願いします。


「ただし」


 ギルド長の声が少し重くなる。


「目立てば、狙う者は増える。殻片や薬の話を広げすぎるな」


 ミミルは頷いた。


「はい」


 これは重要だ。


 俺の殻片が薬に使える。


 俺が動く。


 俺が魔力を吸う。


 そういう話が広がれば、ロイム以外にも狙う者が出る。


 役に立ちたい。


 でも、目立ちたくない。


 そのバランスが難しい。


 鑑定士が小瓶を一つ取り出した。


「状態を落ち着けるため、薄めた魔力安定剤を試してみましょう。ただし、直接流し込むのではなく、布に含ませて殻の周辺へ当てる程度です」


 ミミルが俺を見る。


「エッグ、試してみる?」


 俺は少し迷った。


 薬品は怖い。


 でも、このざわつきも怖い。


 鑑定士は慎重に説明した。


「強い薬ではありません。効果がなければすぐ外します。痛みや違和感があれば、左に揺れてください」


 右。


 わかった。


 やってみる。


 ミミルは薄めた魔力安定剤を布に含ませ、俺のひび周辺へそっと当てた。


 冷たい。


 回復薬とは違う。


 すっと熱を逃がすような感覚がある。


 殻の中のざわつきが、ほんの少しだけ弱まった。


================


薄い魔力安定剤による外部処置を確認。


外部魔力残滓の揺らぎが低下しました。

状態:不安定 → やや不安定


================


 お。


 少し良くなった。


 不安定から、やや不安定。


 日本語としてはまだ全然不安だが、前進ではある。


 俺は右へ揺れた。


 ミミルがほっと息を吐く。


「少し楽?」


 右。


 少し。


 鑑定士も水晶を確認した。


「表面反応がわずかに落ち着いています。強い処置は必要ありません。このまま安静に」


 ギルド長は頷いた。


「今日は工房へ戻るより、ギルドの仮眠室を使え。工房の修理と封印札の追加はこちらで手配する」


 ミミルは迷った。


 工房を空ける不安があるのだろう。


 道具も、記録も、殻片もある。


 だが、ギルド長は続けた。


「工房には職員を置く。持ち出しが必要なものは今のうちに申告しろ」


 ミミルは俺を見た。


 俺は右へ揺れた。


 今日はギルドにいた方がいい。


 俺もそう思う。


 ミミルは小さく頷いた。


「お願いします」


 その日は、ギルドの奥にある小さな仮眠室を借りることになった。


 簡素な部屋だ。


 ベッドが一つ。


 机が一つ。


 小さな窓。


 工房よりずっと殺風景だが、扉は頑丈だった。


 それだけで、少し安心する。


 ミミルは俺を机の上に置き、柔らかい布で固定した。


「今日はここで休もうね」


 右。


 休もう。


 本当に。


 ミミルはギルドから借りた紙に、今日の記録を書き直した。


『エッグ状態』

『ひび周辺の熱感あり』

『微弱な光あり』

『震え不規則』

『薄い魔力安定剤で反応やや落ち着く』

『強い薬品、魔力付与は避ける』

『安静』


 ちゃんと外から見えることだけで書いている。


 偉い。


 いや、ミミルは最初から偉い。


 たまに無茶するだけだ。


 夕方、受付嬢が水と軽食を持ってきてくれた。


「工房には職員がついています。扉の修理業者も明日手配できそうです」


「ありがとうございます」


 ミミルは頭を下げた。


 受付嬢は俺を見る。


「エッグさん、状態はどうですか?」


 俺は少し考えて、右へ小さく揺れた。


 さっきよりはいい。


 でも完全ではない。


 受付嬢は俺の弱い揺れを見て、無理に質問を続けなかった。


「今日は休んでください」


 右。


 そうします。


 夜。


 ギルドの仮眠室は静かだった。


 工房とは違う匂いがする。


 薬品の匂いではなく、古い木と布の匂い。


 外からは冒険者たちの声が微かに聞こえる。


 誰かが笑っている。


 誰かが酒を飲んでいる。


 俺たちの不安とは関係なく、世界は普通に回っている。


 それが少し不思議だった。


 ミミルはベッドに座り、俺を見つめていた。


「エッグ」


 俺は小さく震えた。


「私、もっとちゃんとしなきゃって思ってた」


 俺は動かなかった。


「エッグを守らなきゃって。でも、昨日も今日も、結局ギルドに助けてもらってばかりで」


 ミミルの声は沈んでいる。


「ロイムさんに、私には守れないって言われて……悔しかった」


 俺は右へ揺れたかった。


 悔しい。


 俺も悔しい。


 でも、そこで右に揺れると、ロイムの言葉を認めるみたいで嫌だった。


 俺は少し迷って、ミミルの方へ体を傾けた。


 違う。


 完全に守れないから駄目、ではない。


 一人で全部守れないなら、誰かに助けてもらえばいい。


 前世の俺は、それができなかった。


 全部一人で抱えて、潰れた。


 だから、今はそうならない方がいい。


 ミミルは俺の動きを見て、少しだけ笑った。


「一人で抱えなくていいってこと?」


 右。


 そう。


 よくわかった。


 ミミルは目元を拭いた。


「エッグ、たまにすごく大人みたい」


 中身は元社畜の成人男性です。


 言えないけど。


 俺は小さく震えた。


「でも、卵なんだよね」


 それはそう。


 残念ながら。


 ミミルは少し笑ったあと、布団に入った。


「今日は寝る。エッグも寝よう」


 右。


 寝よう。


 俺は目を閉じるような気持ちで意識を沈めた。


 殻の中のざわつきは、まだ完全には消えていない。


 ひび割れ率42%。


 不安定から、やや不安定。


 進化候補は表示されたが、完全進化はできない。


 ロイムは逃げた。


 ヴァルム商会本部は関与を否定している。


 問題は何一つ終わっていない。


 それでも、今夜は扉が頑丈な部屋で眠れる。


 ミミルが近くにいる。


 外にはギルドの人間がいる。


 それだけで、昨日よりはましだった。


 眠りに落ちる直前。


 俺の意識の奥に、また白い光がちらついた。


 白い仮面。


 黒竜の記憶で見た、あの白い神官のような影。


 遠くから、誰かの声が聞こえた。


『廃棄判定個体、継続稼働中』


 何だ。


 誰だ。


『ひび割れ率、想定値を超過』


 やめろ。


 俺を数値で呼ぶな。


『観測を続行します』


 そこで、意識が途切れた。



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