第17話 工房防衛戦
工房の外に、複数の足音がある。
昨日より多い。
窓側。
扉側。
少し離れた路地。
完全に囲むつもりだ。
俺は低い棚の上で震えていた。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
だが、昨日と違うことがある。
俺たちは準備していた。
警報石。
発光石。
粘着布。
目つぶし粉。
刺激粉。
エッグ箱。
そして、ギルドの巡回。
だから、まずやるべきことは決まっている。
警報石だ。
俺は棚の上で細かく震えた。
ぶるる。
体を少しずつずらす。
警報石まで、ほんのわずかな距離。
だが、今の俺にはそれが遠い。
外から低い声が聞こえる。
「扉は補強されてる」
「窓から行けるか?」
「いや、そっちは昨日見られてる」
昨日の奴らか。
少なくとも、昨日の襲撃と関係している。
俺の殻の奥が冷たくなった。
ミミルは布団から起き上がり、音を立てないように机へ手を伸ばした。
目つぶし粉。
発光石。
短い木杖。
手が震えている。
それでも、動いている。
俺も動かねば。
ぶるる。
ずり。
警報石まで、あと少し。
その時。
扉の向こうから、丁寧な声が聞こえた。
「夜分に失礼いたします、ミミルさん」
俺は動きを止めた。
その声。
忘れるわけがない。
ロイム。
ヴァルム商会の買付責任者。
俺の殻片を、素材としてしか見ていない男だった。
ミミルの顔が強張る。
「……帰ってください」
扉越しの声は、あくまで穏やかだった。
「そう急がずに。今夜は、正式な取引のお話に参りました」
正式な取引。
こんな夜中に。
工房を囲んで。
昨日襲撃されたばかりの相手に。
どこが正式だ。
俺は警報石へ向けて、もう一度体をずらした。
ぶる。
ロイムは続ける。
「昨夜は物騒なことがあったそうですね。お見舞い申し上げます」
どの口が言う。
ミミルは杖を握りしめる。
「ギルドに連絡します」
「もちろん、必要であればどうぞ。ただ、その前に一つだけ提案を聞いていただきたい」
「聞きません」
「ミミルさん」
ロイムの声が少し低くなった。
「あなたに、あの卵は守れません」
空気が凍った。
俺は震えた。
怒りか、恐怖か、自分でもわからない。
ロイムは静かに言葉を重ねる。
「昨夜の襲撃が証明しています。あなたの工房は脆い。警備も不十分。逃げ道もない。あなたはあの卵を大切に思っているのでしょうが、情だけでは守れません」
嫌な言い方だ。
だが、完全な嘘ではない。
昨日、扉は破られた。
俺は蹴られた。
ひび割れ率は上がった。
それでも。
だからといって、お前に渡す理由にはならない。
ミミルが震える声で言った。
「エッグは渡しません」
「渡す、ではありません。保護です」
また言い換えた。
保護。
管理。
支援。
全部、同じ方向を向いている。
俺を物として扱う方向だ。
ミミルははっきり言った。
「エッグは、私の相棒です」
「相棒なら、なおさら最善の環境を選ぶべきです」
ロイムは、まるで親切な助言をするように言った。
「ヴァルム商会には設備があります。警備もあります。薬師も錬金術師もいます。あなた一人の工房より、はるかに安全です」
ミミルは黙った。
俺は警報石のすぐ横まで来ていた。
あとは、ぶつかるだけ。
だが、警報石を鳴らせば相手は動くだろう。
タイミングを間違えれば、逆に突入される。
ミミルも俺をちらりと見た。
目が合った。
いや、俺に目はない。
でも、合った気がした。
ミミルは小さく頷いた。
今。
俺は殻の表面を固めるように意識した。
そして、警報石にぶつかった。
ごん!
赤い石が強く光った。
次の瞬間。
ぎゃああああああああああん!
工房中に、耳をつんざくような音が響いた。
俺は震えた。
うるさい。
想像以上にうるさい。
警報石、有能すぎる。
外の男たちも動揺した。
「鳴らされた!」
「くそっ、急げ!」
ロイムの声が鋭くなる。
「押さえなさい。割らないように」
やはり、来る。
扉が激しく揺れた。
どん!
応急修理された板が軋む。
どん!
ミミルは机の上の発光石を握った。
まだ使わない。
今、床に叩きつけても、光は工房の中に広がるだけだ。
相手が入ってきた瞬間。
その時に使う。
ミミルの手が震えている。
それでも、発光石を離さない。
俺は警報石の衝撃で少しふらついていた。
================
警報石への衝突を確認。
《殻硬化 Lv1》により損傷を軽減。
ひび割れ率:39%
================
上がっていない。
よかった。
だが、安心している暇はない。
扉の板が一枚外れた。
隙間から腕が伸びる。
ミミルは発光石を握ったまま、もう片方の手で目つぶし粉を取った。
そして、扉の隙間へ投げる。
粉が弾ける。
「ぐっ!」
「また粉か!」
またです。
昨日も食らったなら学習してほしい。
いや、学習されても困る。
扉がさらに揺れる。
補強板は思ったより粘っているが、長くは持たない。
ミミルは俺の方へ走った。
「エッグ、箱へ!」
俺は一瞬迷った。
逃げる。
昨日約束した。
戦わないで済むなら戦わない。
だが、ミミルは?
俺は左へ揺れかけた。
その瞬間、外から別の声がした。
「ギルドの巡回が来る前に終わらせろ!」
時間がない。
俺が迷えば、ミミルも逃げられない。
俺はエッグ箱の方へ転がった。
ころ。
ころころ。
入口へ。
入る。
成功。
ミミルが蓋を閉めかけた。
その時。
どん!
扉が破れた。
粗い服装の男が二人、工房へ踏み込む。
その後ろに、ロイムが立っていた。
月明かりの中で、丁寧な服装だけがやけに浮いて見える。
ここで、初めて顔を見た。
整った髪。
穏やかな表情。
だが、目だけは笑っていない。
「ミミルさん。無駄な抵抗はやめなさい」
無駄。
その言葉が腹立つ。
ミミルは、握っていた発光石を床へ叩きつけた。
ぱっ!
強烈な光が、入ってきた男たちの足元で弾ける。
「ぐあっ!」
「眩しっ!」
男たちが目を押さえて怯んだ。
ロイムは後ろにいた分、まともには食らっていない。
だが、前に出てきた二人の動きは止まった。
今だ。
ミミルはエッグ箱を抱え、机の横へ下がった。
だが、男の一人が目をこすりながらも、足元の粘着布を踏んだ。
「うおっ!?」
足を取られて倒れる。
成功。
準備は機能している。
もう一人がそれを避けて回り込む。
ミミルはエッグ箱を抱えたまま、さらに後ろへ下がった。
男が近づく。
俺は箱の中で震えた。
このままではミミルが捕まる。
俺だけ守られても意味がない。
俺は箱の中から、蓋へ体当たりした。
こつ。
「エッグ!?」
ミミルが驚く。
俺はもう一度、蓋へぶつかる。
出せ。
今だけは出せ。
ミミルは一瞬だけ迷った。
だが、男が迫っている。
彼女は蓋を開けた。
俺は箱から転がり出る。
殻を固める。
重心を前へ。
狙いは男の足首。
昨日と同じ。
ただし、今日は少し違う。
細かい震えで出だしを整える。
床の凹凸を拾う。
粘着布を避ける。
ころ。
ころころ。
男が俺に気づく。
「また卵が!」
遅い。
俺は男の足首へぶつかった。
ごっ。
男の体勢が崩れる。
完全には倒れない。
だが、ミミルから距離ができた。
俺は反動で転がり、机の脚にぶつかる前に左へ曲がった。
止まった。
昨日より動ける。
================
《転殻 Lv1》の制御精度が上昇しています。
================
よし。
いける。
いや、いけると思うな。
逃げるんだ。
ロイムが目を細めた。
「やはり、ただの卵ではありませんね」
その声に、嫌な熱がこもっていた。
興味。
欲。
値踏み。
やめろ。
その目で見るな。
ロイムは懐から、小さな金属具を取り出した。
輪のような形をした魔道具。
俺の中で、素材の気配を拾う感覚が強く反応した。
================
魔力拘束具に類似する反応を確認。
警告。
接触を避けてください。
================
まずい。
あれは捕獲用だ。
俺は強く震えた。
ミミルが気づく。
「その道具、使わないで!」
「安全に保護するためです」
「違う!」
ロイムは男に合図した。
「卵を押さえなさい。傷つけずに」
男が俺へ向かってくる。
俺は逃げようとする。
だが、平地ではまだ遅い。
細かく震える。
転がる。
曲がる。
それでも、人間の足の方が速い。
男の手が伸びる。
その瞬間、ミミルが机の上の刺激粉を投げた。
黄色い煙。
「ぐっ、またか!」
男が怯む。
だが、ロイムは後ろへ下がっていて煙を避けている。
用心深い。
嫌な奴だ。
ロイムは布を口元に当て、冷静に言った。
「想定内です。回り込みなさい」
想定内。
昨日の失敗を見て、対策してきている。
こちらの手札が読まれている。
俺はぞっとした。
発光石。
粉。
粘着樹脂。
全部、昨日見られている。
今夜の備えは、昨日の延長だ。
完全な新技ではない。
ミミルもそれに気づいたのか、顔が青ざめる。
男の一人が、粘着布を避けて踏み込んだ。
ミミルの腕を掴む。
「きゃっ!」
俺の中で、何かが熱くなった。
駄目だ。
ミミルに触るな。
約束は逃げることだった。
戦わないことだった。
でも、ミミルが捕まるなら話は別だ。
俺は殻の奥の黒い鼓動に意識を向けた。
黒竜の血。
弱い竜威。
それを震えに乗せる。
================
《威嚇振動 Lv1》を使用します。
魔力:3/3 → 2/3
警告。
損傷状態での使用により、殻への負荷が上昇します。
================
低い振動が工房に広がった。
ぶるるるるる。
男の手が一瞬緩む。
ミミルは腕を引き抜いた。
だが、ロイムは怯まなかった。
むしろ、その目が輝いた。
「この圧……ただの魔力反応ではありませんね」
素晴らしい、とでも言いたげな声だった。
素晴らしくない。
怖がれ。
普通に怖がれ。
ロイムは魔力拘束具を俺へ向けた。
輪が淡く光る。
俺の周囲に、細い鎖のような魔力が伸びた。
まずい。
避ける。
俺は転がろうとした。
だが、床に広がった粘着樹脂の端に引っかかった。
動きが鈍る。
自分たちの罠が、逆に邪魔になった。
最悪だ。
魔力の鎖が、俺の殻に触れた。
冷たい。
重い。
================
魔力拘束を受けています。
行動制限:弱
魔力干渉を確認。
《因子吸収 Lv1》が反応しました。
================
このタイミングで?
魔力拘束具から流れ込む微弱な魔力。
それを、俺のひびが吸い取ろうとしている。
だが、これは敵の魔力だ。
危険ではないのか。
================
外部魔力を一時吸収します。
魔力:2/3 → 3/3
警告。
不安定な魔力です。長時間保持は推奨されません。
================
魔力が戻った。
だが、殻の中がざわつく。
気持ち悪い。
ロイムが驚いたように目を見開いた。
「拘束魔力を吸った……?」
ミミルも気づいた。
ただし、俺の中のスキル名が見えたわけではない。
見えたのは、魔力の鎖が弱まり、俺の殻のひびが一瞬だけ淡く光ったことだけだ。
「エッグ!」
ロイムの表情から、初めて余裕が消えた。
「予定を変更します。すぐに確保を」
男たちが動く。
俺は拘束で動きにくい。
だが、魔力はある。
ここで使うしかない。
俺は殻の表面を強く固めるように意識した。
================
《殻硬化 Lv1》を強化使用します。
魔力:3/3 → 2/3
防御力が一時上昇します。
================
殻が重く、硬くなる。
魔力拘束の鎖が少し軋む。
俺はその場で激しく震えた。
細かい震え。
重心移動。
無理やり回転する。
拘束具の魔力鎖が殻の表面を擦る。
痛い。
でも、動ける。
俺はロイムの足元ではなく、魔力拘束具を持つ手元へ向かうことにした。
机の脚を利用する。
斜めに跳ねる。
床を転がる。
男の足を避ける。
そして、ロイムの手元へ。
無茶だ。
無茶すぎる。
だが、あの道具を壊さないと終わらない。
俺は転がった。
ころ。
ころころ。
ロイムが下がる。
男が俺を蹴ろうとする。
俺は殻を固めて受け流す。
衝撃。
痛み。
だが、昨日よりは耐えられる。
================
衝撃を受けました。
《殻硬化 Lv1》により損傷を軽減。
生命力:3/3 → 2/3
ひび割れ率:39% → 42%
================
上がった。
でも、止まらない。
俺は転がり続けた。
ロイムが魔道具を引く。
遅い。
俺は机の脚にぶつかり、その反動で跳ねた。
自分でも驚く軌道。
卵、跳ねた。
そのまま、魔力拘束具へ体当たり。
がきん!
金属音。
ロイムの手から魔道具が弾かれる。
床に落ちる。
俺も床へ落ちる。
痛い。
だが、魔力の鎖が緩んだ。
================
魔力拘束が解除されました。
拘束魔力の残滓を吸収しました。
魔力:2/3 → 3/3
警告。
不安定魔力の蓄積により、個体状態が不安定化しています。
================
不安定。
嫌な言葉だ。
ロイムは、床に落ちた拘束具を見て、低く呟いた。
「……壊した?」
その声には、怒りが混じっていた。
初めて、ロイムの仮面が剥がれた。
「商品価値を理解していない」
商品価値。
俺の中で、黒い鼓動が大きく鳴った。
商品じゃない。
俺は。
俺は。
俺はエッグだ。
ミミルが叫んだ。
「エッグから離れて!」
ミミルは机の上に残っていた発光石の欠片を掴み、ロイムの方へ投げた。
欠片はロイムの足元で弱く光った。
強い目くらましにはならない。
だが、一瞬だけ視線を逸らすには十分だった。
その時、外から声が聞こえた。
「警報石の反応はここだ!」
「ギルド巡回だ! 武器を捨てろ!」
来た。
ギルドだ。
警報石が届いた。
男たちがざわつく。
「まずい!」
「逃げるぞ!」
ロイムは一瞬、俺を見た。
その目には、怒りと執着があった。
「……今回は引きます」
今回は。
やめろ。
二度と来るな。
ロイムは素早く後ろへ下がり、外にいた男たちへ合図を出した。
何人かは窓側から逃げる。
何人かは扉側からギルド職員とぶつかる。
粘着布に足を取られていた男は逃げ遅れ、取り押さえられた。
ロイム本人は、煙と混乱に紛れて姿を消した。
追え。
と言いたい。
だが、俺には追えない。
ミミルも、追える状態ではない。
彼女は俺のところへ駆け寄り、両手でそっと持ち上げた。
「エッグ! エッグ、大丈夫!?」
俺は右へ揺れようとした。
だが、うまく動けなかった。
殻の中が熱い。
黒い魔力がざわざわしている。
拘束具から吸収した不安定な魔力が、まだ俺の中で落ち着いていない。
ひびの周りが熱い。
痛い。
================
生命力:2/3
魔力:3/3
ひび割れ率:42%
状態:不安定
外部魔力残滓あり
警告。
個体内部に異常進化の兆候があります。
================
異常進化。
また出た。
黒竜の血を浴びた時にも出た表示。
だが、今は進化どころではない。
割れそうで怖い。
ミミルの手が震えている。
「回復薬、回復薬……!」
彼女は棚へ走り、低級回復薬を取った。
布に染み込ませ、俺のひびの周りへ当てる。
冷たさ。
痛みが少し引く。
================
低級回復薬による外部処置を確認。
生命力:2/3 → 3/3
殻損傷が安定しました。
※ひび割れ率は低下しません。
外部魔力残滓は残留しています。
================
生命力は戻った。
ひび割れ率は戻らない。
外部魔力も残っている。
嫌な状態だ。
ギルド職員が工房へ入ってくる。
「ミミルさん! 無事ですか!」
「私は……でも、エッグが……」
俺はミミルの手の中で、かすかに震えた。
割れてはいない。
まだ生きている。
でも、かなりまずい。
床には壊れた魔力拘束具。
粉。
割れた発光石。
倒れた男。
応急修理された扉の破片。
そして、逃げたロイム。
準備は、完全ではなかった。
警報石は役に立った。
粘着布も効いた。
発光石も粉も時間を稼いだ。
だが、それでも突破された。
ロイムは俺を確保しようとした。
そして俺は、また無茶をした。
約束したのに。
戦わないって。
逃げるって。
でも、ミミルが掴まれたら、動かずにはいられなかった。
俺は小さく震えた。
ミミルは俺を抱えたまま、涙をこらえていた。
「エッグ、もういいから。もう動かないで」
右。
今度こそ、そうする。
たぶん。
いや、できるだけ。
ミミルは俺の微妙な震えを見て、泣きそうな顔で笑った。
「また、できるだけって思ったでしょ」
俺は動かなかった。
ばれている。
だが、今は笑っている場合ではない。
ギルド職員が壊れた拘束具を拾い上げた。
「これは証拠になります」
職員の声は硬かった。
「刻印は削られていますが、これだけの魔道具なら流通記録が残っているはずです」
ロイム。
逃げた。
だが、証拠は残った。
俺はぼんやりとそう思った。
殻の奥が、熱い。
ひびが、ずきずきする。
ステータスがもう一度、淡く表示された。
================
ひび割れ率が40%を超過しました。
進化候補の解析精度が上昇します。
ただし、現在の個体状態は不安定です。
警告。
さらなる損傷は、不可逆変化を引き起こす可能性があります。
================
不可逆変化。
やめてほしい。
俺はまだ、何になるのかもわからない。
ただ、生きていたい。
ミミルと一緒に。
工房の外では、ギルドの笛が鳴っていた。
逃げた男たちを追っているのだろう。
だが、ロイムの足音はもう聞こえない。
あの丁寧な声も。
価値あるものは管理されるべき、という言葉も。
今はもう聞こえない。
それなのに、俺の殻の奥には、まだその言葉が残っていた。
商品価値。
管理。
保護。
俺はそれらを、全部否定するように小さく震えた。
俺は商品じゃない。
俺は素材じゃない。
俺は、ひび割れ卵のエッグだ。
まだ割れていない。
それだけは、誰にも渡さない。




