第97話 砂漠の蠱毒
全面戦争にこそ至らなかったが、宣戦布告もなく王都を蹂躙し、王城の大広間を血で汚したという事実は消えない。
これを不問に付せば、王国は周辺諸国から「牙を抜かれた老犬」と見なされ、次なる侵略を招くだけだ。
王であるエルドリックは死に、王太子ユリシーズは王族籍を剥奪された上、生涯幽閉の身となった。
大公国と手を組もうとした貴族は死刑。
直接罪を犯さなかった貴族たちも、この国難と無関係とはならなかった。
多くの貴族は王都での贅沢な生活に耽り、領地経営は管理人に丸投げした挙句、報告書に目を通すことすらしていなかった。
長年に渡り放置され続けた貧困や飢餓が、結果としてニィナのような工作員を産んだ。
民の暮らしを守らない国には、未来は無い。
領地管理能力無しと判断された者たちには、降爵や領地を国の管理下におくなど、苛烈な処分の嵐が吹き荒れた。
そんな混乱の最中において、大公国へ正式に抗議し、国家の威信をかけて責任を追及できる者は限られていた。
先王の娘を母に持つクラウディア。
そして、その父であり、筆頭公爵であるラドクリフ・リーベルである。
◇
通常、敵である捕虜の待遇は劣悪だ。
司令官レベルは拷問にかけられ、情報を吐かされる。
下級兵士もまた、不潔で暗い地下牢の中で、鼠に齧られながら栄養失調や感染症で死んでいく。
だが、クラウディアはそれを良しとしなかった。
「敵兵であれ、傷つき、飢えた人間であることに変わりはありませんわ」
負傷者には王国の軍医を当て、清潔な寝台と温かい食事を与えた。
そこには暴力も恫喝もない。
王国兵に対するものと何ら変わらない処遇であった。
「……拷問は、いつ始まるんだ」
「必要ありません。話したいことがあるなら、お聞きします」
最初は疑い、頑なに口を閉ざしていた大公国の兵たちも、やがてその異常なまでの厚遇に毒気を抜かれ、態度を軟化させていった。
そして、堰を切ったように真実が溢れ出した。
彼らの多くは使い捨ての傭兵であり、母国でも家畜同然の扱いを受けていた者たちだったのだ。
そうして集められた供述書を、クラウディアは執務室で一枚一枚精査した。
やがて、彼女とその同居人ジャスパーは、深く重い息を吐いた。
《悔しいが、相手の方が一枚上手らしいな》
状況証拠は多数あるのに、決定打となるものがない。
そして、王国からの正式な抗議に対し、大公国の返答は厚顔無恥を極めていた。
【軍服は偽造された可能性が高い。むしろ我が国こそ、勝手に名を騙られた被害者である】
王都を襲撃した兵の大半は、大公国の軍服を着てはいたが、正規軍ではなかった。
金で雇われ、素性を消された傭兵の集団。
船は大公国籍であったが、運用が始まったばかりの実戦経験に乏しい、ハリボテの軍艦。
さらに、命令系統は徹底して分断されていた。
指示は複数の連絡役を経由し、中継を重ねることで、現場の指揮官ですら、真の主君が誰であるか断定できない仕組みになっていた。
ただ一つ、彼らが拠り所としていたのは、指令書に押された大公家の家紋入りの封蝋。
やんごとなき身分の方からの命である、という事実だけが彼らを動かしていた。
こうなってみると、マダム・アルマの死も、大公国の思惑通りだったという他はない。
末端工作員であったニィナは、連絡役のマダム・アルマのことしか知らなかった。
その連絡役が死んだ今、真相に辿り着くことはもう不可能となってしまったのだ。
◇
大公国は、絶対的な君主制国家だ。
現大公は“色欲王”と揶揄されるほど側室が多く、嫡出子だけで約30人、私生児を含めれば50人を超える子がひしめき合っているという。
第一公子、第二公子といった数字は単なる出生順に過ぎず、継承順位ではない。
後継者の条件はただ一つ、“大公の血を引く男児”であること。
母親の血筋も財力も、選考には影響しない完全実力主義。
血の繋がった兄弟同士が競い合い、互いに蹴落とし合う。謀略を巡らし、罠を張り、暗殺することさえ厭わない。
血で血を洗う選別を勝ち抜いた者だけが、頂点に立てるというシステム。
それは、まさに“高貴なる蠱毒”。
今回の侵略は、その凄惨な後継者争いの一環だった。
大公国には王国と正面から事を構えるほどの国力は無いが、隙を突いて一撃を食らわせることは出来る。
その際に捕縛した王と王太子と引き換えに、領土の一部、おそらくは制海権を得るため南辺境伯領を割譲させる、というのが筋書きだった。
戦果を土産に、父である大公の関心を引き、一気に大公継承争いの優位に立とうとした野心家。
それは一体誰だったのか――
「想像以上に強かですわね」
「砂漠の民だからな。過酷な環境は人を鍛える」
「捕虜は大公国の人間。封蝋も本物。それでも無関係を主張できるのでしょうか」
「彼らにとっては切り捨て可能な駒に過ぎないのだろう」
重苦しい沈黙が流れる中、クラウディアはふっと、悪戯っぽく笑った。
「一筋縄では行きませんね。――それでは、作戦を変えましょう」
にっこりと、花が綻ぶような笑みで彼女は告げた。
「“太陽作戦”で参りますわ」
◇
数日後、大公国へ一通の書簡と、奇妙な贈り物が届けられた。
書簡の内容は驚くほど簡潔だった。
【ただ、民のために】
非難も問い詰めもない。
代わりに同封されていたのは、一株の植物。
イアポニアでサツマイモと呼ばれているヒルガオ科の多年生植物だった。
サツマイモは、土壌中の微生物と共生し、痩せた土地でも効率よく養分を吸収する。
連作障害が起きにくく、酷暑や乾燥にも極めて強い。
元来は乾燥地帯周辺が原産とされるが、何故か今は陸の孤島イアポニアでしか育てられていない。
領土のほとんどが砂漠で覆われている大公国の食糧事情を救済するはずだ。
数週間後。
大公国から、これまでの冷淡な態度を一変させた返礼の使節団が到着した。
侵略を仕掛けた相手に対し、逆に救済の手を差し伸べる対応に、大公国側も無視を決め込むことはできなかったらしい。
使者の先頭に立つのは、大公の公子の一人。
その瞳は、王国の若き才女が仕掛けた謎かけに対し、隠しきれない驚愕と興味を湛えていた。
――その“太陽”が、誰を焼き尽くすものなのかも知らずに。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
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