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寄生悪役令嬢は星間戦争の夢を見るか  作者: エシェリキア梱


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第87話 ヘタレ童貞2号


 海宮(わだつみのみや)のほど近く、色とりどりの枝サンゴがジャングルのように群生する一角には、一匹の美しいハナヒゲウツボが住んでいる。

 ハナヒゲウツボの生涯は、劇的な変転に満ちている。

 生まれた時は漆黒の体をしたオス。成長とともに鮮やかなコバルトブルーへと姿を変え、さらに成熟の極みに達すると、全身が眩い黄金色に染まったメスへと変貌する。

 その時こそが、命を繋ぐ産卵の刻だ。

 いまサンゴの隙間から、リボンのようなしなやかな体で顔を覗かせているのは、まさに若さの絶頂にあるオス。

 人間でいえば20歳前後の、瑞々しい青年といったところだろうか。

 鮮烈なブルーの体は海流に揺れ、先端が花びらのように開いたレモンイエローの鼻先は、水中に咲く熱帯の花のように可憐だ。

 その美丈夫(遠からぬ未来に、輝くばかりの美淑女となる予定)は、はぁ、と泡混じりの溜息を吐いた。


「どうしたの、ウツボ姐さん」


 日頃から体表の寄生虫を取り除くクリーニングを引き受けている、ホンソメワケベラがひらりと横に並ぶ。


「今日も海宮(わだつみのみや)に灯りがつかないの。乙彦様は、一体どうなさっているのかしら…」

「本当にねぇ。まだお心を閉ざしておられるんだろう。あそこの光は、乙彦(おとひこ)様の感情がそのまま鏡のように映し出されるからね」

「心配だわ……あんなに素敵な方が、あんなに沈んでおいでだなんて……」


 伝え聞くところによれば、乙彦様が(つがい)と定めた地上の乙女は、恐れ多くも神の求愛を袖にして、陸へと帰ってしまったという。


(それならそれで、新しい(つがい)を探せばいいものを。なんなら、私だって黄金のメスに変わる準備はできているのだけれど……)


 しかし一途な乙彦は、ただその女性が再びこの深い青の世界へ降りてくるのを、一分一秒と数えるように待ち続けているらしい。

 切なげな顔で海面を見上げるその姿は、まるで一目惚れした王子のために、声も命も捧げようとした、童話の人魚姫のようだった。


「どんな女性なのかしらねぇ。乙彦(おとひこ)様にそれほど想われて、心が動かないなんて」

「陸の生き物の考えなんて、分かりゃしないよ。とにかく、早く忘れて元気になってほしいものだね」


 その瞬間だった。

 死んだように暗かった海宮(わだつみのみや)が、内側から爆発するような多幸感に満ちた輝きを放ち、辺り一面を煌々(こうこう)と照らし出したのは。


   ◇


 城内の残党を片付けたクラウディアたちが広間に戻り、ようやく見張りの任務から解放されたルネ。

 可能な限り急いで足を踏み入れた海宮(わだつみのみや)は、以前訪れたときよりも圧倒的に、明るすぎるほどに明るい。ホワイトオパール色の壁が、脈打つかのように七色の光を()き散らしている。

 前回来た時の記憶を辿りながら中庭まで出ると、東屋(あずまや)には心ここに在らずといった様子で床にへたり込んでいるソーニャがいた。

 ソーニャの頬は、熟れた果実というより、沸騰寸前の温度を感じさせるほどに赤く染まっていた。


「どうしたの!? ソーニャちゃん! 大丈夫!?」

「……ぁ、………」


 茫然自失(ぼうぜんじしつ)のソーニャからは、まともな返事が返ってこない。

 その虚ろな、それでいて熱に浮かされたような様子に、ルネの脳裏に最悪の想像が駆け巡る。


「……ッ……あんの野郎っ!!」


 理性を飛ばした乙彦(おとひこ)に、力任せに、あるいは心理的圧迫の元に、何か破廉恥(はれんち)なことをされたのではと早合点(はやがてん)したルネが、猛然と怒気を露わにする。

 いつもの柔和な彼からは想像もできないほどの、背後の空間がピリつくほどの殺気に正気を取り戻したソーニャは、慌てて弁明を始めた。


「違うんです! 乙彦(おとひこ)様は何も酷いことは……!」

「何もされてないのに、そんな茹でダコみたいな顔になるわけないでしょ!?」

「ほんとに、あの……その……ただ……」

「庇わなくていいのよ。ね? 何をされたのか、ゆっくりでいいから話して。あいつを干物にする準備はできてるから」


 混乱し、指先を震わせながら言葉を詰まらせるソーニャから、ルネは執念で断片的な事情を汲み上げていく。


 覚悟を問われ、身構えて目を閉じたら――おでこに、キス。

 唇でもなく、せめて頬でもなく、おでこ。


 ……それだけ?


「え? なんでそれで乙彦のやつ、雄化どころか龍化までして艦隊沈めてんのよ!?」


 ルネは天を仰いだ。

 あまりの拍子抜けに、脱力して膝をつきそうになる。


「あのヘタレ童貞2号が……!」


 あー、心配して損した。

 おでこに触れただけで「結婚やん!」と舞い上がり、艦隊を単騎で壊滅させるほどとは。

 1号である石蕗(つわぶき)も相当なものだが、些細な触れ合いだけで神の全能を爆発させる(こじ)れっぷりでは、乙彦の方が数段上だ。


 ルネは呆れ果てながらも、どこか安堵したように、真っ赤な顔で固まっているソーニャの肩をポンポンと優しく叩いた。

 “紅い死神”と呼ばれた少女が、その純粋さで国を救った。

 その事実に対し、精一杯の敬意を込めて。


ご覧いただきありがとうございます!

完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。

お楽しみいただければ幸いです。

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