第83話 血の祝宴
敵兵が大広間へ踏み込んできた、その瞬間だった。
金属の鎧が擦れ合う粗野な音。
血の匂いを予感させる圧迫感のある殺気が、一気に絢爛な空気を塗り替える。
悲鳴が上がる寸前、世界は静止した。
クラウディアの動きは、驚くほど冷静で、そして残酷なまでに美しかった。
彼女は、自身の艶やかな漆黒の髪を飾る金の簪を、ためらいなくすべて引き抜く。
支えを失った髪が、夜の帳のように、はらりと背に落ちた。
その一連の動作は、戦場においてはあまりに無防備で、ゆえにひどく扇情的ですらあった。
「ソーニャ!」
呼ばれた侍女は、主の意図をすでに完璧に理解していた。
差し出された簪を受け取ると、真珠色の髪を揺らし、瞬時にその鋭利な先端を指の間へ挟み込む。
それは、淑女の装飾品ではなく、確実に命を奪うための暗器の持ち方だった。
同時にクラウディアは、肩に羽織っていた豪華な緋色の打掛を、惜しげもなく脱ぎ捨てた。
空中に舞った華やかな衣は、床に広がり、これから始まる凄惨な戦場には不相応なほど、鮮やかな紅の輪を咲かせる。
次の瞬間、彼女は自らの背中へ手を回し、帯で固定していたものを、淀みない動作で引き抜いた。
――モーニングスター。
太い鎖の先に、無数の棘が生えた凶悪な鉄球を持つ、中距離打撃武器。
柳腰の後ろに、そのような禍々しい兵器が隠されていたとは、誰も想像し得なかった。
「石蕗様!」
名を呼ぶや否や、クラウディアはその重い武器を、躊躇なく、そして正確な軌道で投げ放った。
すると背後に控えていた石蕗が、事も無げに片手で受け取る。
常人では持ち上げることすら困難な重量の武器が、彼の巨大な掌の中では、まるで枯れ枝でも握るかのように軽く、そして馴染んでいた。
そして、クラウディア自身は、手に残った鉄扇を握り直す。
ぱちり、と硬質な音。
扇を開くと、優雅な舞扇の骨がカシャリと音を立てて展開し、内部から薄く、細長い刃が滑り出る。
――剣扇。
美しく装飾された扇に偽装された、暗殺用の双刃である。
クラウディアはそれを、月光を浴びた氷のように静かに構えた。
漆黒の髪。緋色の床。白刃の銀。
そのコントラストは、見る者の魂を凍らせるほどに完成されていた。
「女性は窓を避けて、壁際へ下がって!」
凛とした声が大広間に響き渡る。
「男性はその前へ! 彼女たちの盾になりなさい!」
一瞬、恐怖で凍り付いていた客人たちが、その絶対的な命令に弾かれたように動き出した。
貴族たちが我先にと女性を庇い、壁際へ後退する。
クラウディアは、駆けた。
狙いは床に尻餅をついたまま、恐怖に顔を歪ませるユリシーズ。
敵兵の剣が、王太子の細い首へ目がけて振り上げられる。
キィン!!
鼓膜を刺すような、鋭い金属音。
クラウディアの剣扇が、敵の刃を寸分の狂いもなく弾き飛ばした。
火花が散り、青白い閃光が2人の顔を照らす。
敵兵が、驚愕に目を見開いた。
まさか令嬢のか細い腕が、男の渾身の一撃を受け止めるとは。
「呆けてないで、立ちなさい!」
蜂蜜のように甘く、しかし刃のように鋭い叱責。
王太子はびくりと身を震わせた。
腐っても王太子。ここで死なれては困る。
「……っ!」
ユリシーズは、惨めに這うようにして後退し、戦闘の邪魔にならない死角へ逃げ込む。
その間に――地獄は、すでに始まっていた。
大広間に踏み込んできた敵兵は20人ほど。
武器の携帯を許されないパーティー会場であれば、一方的に制圧可能な人数だと考えたのだろう。
だが、彼らは致命的な過ちを犯していた。
この場には、モーニングスターを持った鬼の王と、暗器を手にした死神の侍女がいたのだから。
賓客たちが壁際に退避したことで、石蕗は広く自由な“処刑場”を手に入れていた。
「オオオオオッ!!」
石蕗の咆哮と共に、モーニングスターが唸りを上げる。
鎖が限界まで伸び、棘だらけの鉄球が空を切り裂く。
その軌道は、無慈悲で、そして速い。
ゴォン!!
重戦車のような衝撃が、先頭の敵兵を鎧ごと叩き潰す。
金属が歪み、骨が砕ける嫌な音が広間に響くが、石蕗は止まらない。
鎖を引き戻す勢いのまま遠心力を利用して回転させ、次の兵の頭蓋を、まるで熟した果実のように叩き割る。
――まさに、鬼に金棒。
瞬く間に、10人近い敵兵が原形を留めぬ無残な姿で床へ転がった。
一方、ソーニャの戦いは、驚くほど静かで、そして芸術的ですらあった。
彼女は、クラウディアの金の簪8本、自分の髪から抜いた銀の簪8本、計16本を手にしていた。
その先端は“くない”のように鋭く削られ、シャンデリアの光に妖しく光る。
ヒュッ。
風を切る音さえ微か。
一本の金の簪が放たれ、正確無比に敵兵の喉笛を貫く。
そのまま声も上げさせず、命を刈り取る作業が続く。
次、目、鎖骨、腱。
投げる、抜く、刺す。
敵が何が起きたか理解する頃には、ソーニャはすでに次の簪を放ち、別の命の灯を消している。
紅い死神の異名にふさわしく、彼女の周囲には瞬く間に死体の山が築かれていった。
この混沌の中、非戦闘員であるルネは、別の、そして最も重要な任務に動いていた。
大広間から人気のない廊下へ出て、ポケットから宝具を取り出す。
空気が歪み、空間が裂け、イアポニアへと繋がるゲートが現れる。
向こうから現れたのは、泰山、紋女、桔梗。鬼の里の精鋭3名だ。
泰山が腰に下げているのは、血に飢えた妖刀、村雨。
紋女は巨大な鉞を肩に担ぎ、桔梗はデスサイズを携えている。
「城内には、まだ敵が潜んでいます。よろしくお願いします」
ルネが静かに告げると、3人は不敵な笑みを浮かべて頷いた。
彼らは城内の掃討へ向かう。
大広間の敵はクラウディアたちでこと足りるし、城内の残党は、この3人で十分すぎる。
血とワインの匂いが混ざり合う大広間で、クラウディアは、剣扇についた血を静かに振り払った。
その姿は、混乱の渦中にあっても、揺るぎない女王のそれであった。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
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