第80話 悪役令嬢の凱旋
王城の大広間は、今宵、かつてないほどの華やぎに包まれていた。
天井からは幾重にも連なる巨大なシャンデリアが吊るされ、数えきれないほどの蝋燭の光が黄金の装飾を照らし出す。
磨き上げられた大理石の床にはその光が映り込み、まるで星が散らばった夜空のようだった。
料理が所狭しと長卓に並び、銀の器に盛られた果実や菓子が色鮮やかに輝いている。
音楽隊が奏でる優雅な弦楽が広間に満ち、給仕たちは絶え間なく最高級のワインを注ぎ続けていた。
ゼフィロス王国王太子の結婚を祝う宴。
国力が衰えたとはいえ、ゼフィロスは依然として大国である。
王太子の結婚となれば、外交的意味合いも大きい。
普段は交流のない西大陸の諸国からも使節団が訪れ、各国の言語が飛び交っていた。
笑顔の裏で交わされる密談と牽制。
視線の端で交差する探り合い。
国と人の思惑が入り乱れるその場は、まさに混沌の坩堝だった。
惜しみなく開けられるワインの香り。
淑女たちが纏う甘やかな香水。
紳士たちが燻らせる葉巻の煙。
それらが重く混ざり合い、空気そのものが酔いに満ちている。
だが――
今宵の主役は、まだ登場していない。
人々が待ち望んでいたのは、馬鹿王太子でもなければ、阿婆擦れと陰で囁かれる花嫁でもなかった。
死者の国と生者の国の境が曖昧になるこの夜に相応しい、異界の客人。
ルネ・ゲルトナーの描く、幻想画のモデルたちである。
ルネの幻想画は、今や王国内のみならず他国にまで出回るほどの人気を博していた。
そのモデルを結婚披露パーティーに招くと、ユリシーズがあちこちで触れ回ったのだ。
結果――
誰もが思っていた。
王太子の結婚などよりも、そちらの方がよほど興味深い、と。
なんとも皮肉な話である。
入場扉の前に控えていた侍従が声を張り上げる。
「ゲルトナー伯爵がご令息、ルネ・ゲルトナー様の御入場です」
広間の空気が、ぴんと張り詰めた。
会話が途切れる。
視線が一斉に入口へと向けられる。
もはや彼らは参列者ではなく――観客だった。
混沌とした会場の扉の前、クラウディアの胸の奥で、ジャスパーが低く囁いた。
《さあ――刮目するがいい。悪役令嬢の凱旋だ!》
◇
人物画は、ありのままを描くものである。
しかし多くの絵画において、モデルへの配慮という名の美化が施される。
ましてや幻想画だ。
写実的であるはずがない――
誰もがそう思っていた。
だが現実は、絵画よりも、遥かに美しかった。
扉が開く。
最初に姿を現したのは、二人の少女。
一人は闇夜のように艶やかな漆黒の髪。
もう一人は、光を弾く真珠色の白髪。
瞳の色はエメラルドとルビー。
まるで対極の宝石を並べたかのような鮮烈なコントラスト。
クラウディアは緋色の縮緬に金糸の刺繍を施した着物を纏い、豪奢な細工の扇を手にしている。
ソーニャは海宮の装束――幾重にも重なる薄絹が波のように揺れ、首元には海の青を思わせる宝石が輝く。
髪には藤の花を模した金銀の簪。
歩くたび、シャラリと微かな音を立てた。
その後ろから、二人の男が姿を現す。
一人は二メートル近い体躯の鬼――石蕗。
白銀の長着に濃紺の羽織を合わせた若武者の額には、五センチの角。
圧倒的な威圧感。
だが整った目鼻立ちと、どこか愛嬌のある口元。
そのギャップに、会場の女性たちから悲鳴に近い溜息が漏れる。
そしてもう一人、ルネ。
王国の伝統礼装を基調としながら、フリルを多用した華やかな仕立て。
女性と見紛うほどの優美な容姿に、その衣装が恐ろしいほど似合っている。
まるで絵画の中から抜け出してきたような4人の姿に、ざわめきが吸い込まれるように消えていった。
傲慢な紳士も、饒舌な婦人たちも、声を上げることすらできない。
ただ遠巻きに、この“異界の美”を見つめることしかできなかった。
◇
『『『『『『‼︎‼︎私が!この2人を!育てました‼︎‼︎』』』』』』
オーディエンスの反応に、ルネは内心で盛大にドヤ顔を決めていた。
(ふ…ふふふふふははははは! もっと、もっと、見惚れるがいいわ‼︎)
ルネによる“地獄の特訓”により、2人の白磁のような肌はシャンデリアの光を柔らかく弾く。
白粉など不要。薄く紅を引くだけでいい。
伸びた背筋。
しなやかな手足。
けぶるまつ毛。
クラウディアはもとより、ソーニャの所作もまた、気品に満ちていた。
すべては、2人の積み重ねてきた努力の結晶である。
◇
4人は静かに歩みを進め、王族の前へ。
挨拶をしようとした――その瞬間。
「やあ、ルネ! 私のお願いを聞いてくれてありがとう!」
場違いなほど陽気な声が響いた。
ユリシーズである。
なるほど、馬鹿は最強だった。
空気など一切読まず、ずかずかと近づき、モデルたちを遠慮なく眺め回す。
「絵の通り……いや、絵よりも美しいな!」
うっとりとした、締まりのない声。
だが、彼はまだ気づいていない。
目の前にいる究極の美女が、かつて自ら「地味」「冷酷」と貶め、散々蔑ろにした挙句、無実の罪を着せてまで追い払おうとした、元婚約者であることに。
クラウディアは、内心で静かに息を吐いた。
そして王族に対する最大限の敬意――という名の皮肉を込めて、ゆっくりと、臣下の礼を取る。
「お久しゅうございます。ユリシーズ様」
――時間が、止まった。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔。
ユリシーズの口がだらしなく開き、目が見開かれる。
鳩よりも小さい脳では理解が追いつかないらしい。
やがてその表情はゆっくりと、驚愕から剥き出しの恐怖へと変わった。
「クラウディア……」
喉から絞り出すような声。
「クラウディア・リーベル……ッ!?」
凍りついた広間に、かつての“悪役令嬢”の名がまるで呪いの言葉ように響き渡った。
ご覧いただきありがとうございます!
完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




