第7話 コマンドと令嬢変換
早朝、ジャスパーは空腹で目が覚めた。
分厚いカーテンの隙間から、淡い朝の光が差し込み、室内の塵をきらきらと浮かび上がらせている。
昨夜あれほど食べたというのに、胃のあたりが、きゅう、と情けなく鳴った。
《……早いな。もう空か》
昨夜遅くにたっぷり平らげたはずの食事は、すでにこの体の中で跡形もなく分解され、血肉へと変換されているらしい。修復された臓器は、驚くほど忠実に働いていた。
寄生生物を宿す肉体は、2人分か、それ以上のエネルギーを要求するのかもしれない。
昨夜のメイドは、朝には別の使用人が様子を見に来ると言っていた。その際、当然のように朝食も運ばれてくるはずだ。貴族令嬢という身分は、こういう点において実に便利である。
次はどんな味が待っているだろう。
焼き立てのパンか。甘いジャムか。
昨夜のタルトを超える衝撃が、またあるのか。
期待に胸――いや、胃袋を躍らせながら、ジャスパーはゆっくりと上体を起こした。
《それまでに、この体のコントロールを習得しなければいけないな》
昨夜は塔の中、しかも深夜だったから良かった。奇妙な動きを目撃される心配はほぼ無かった。
だが、これからは違う。
使用人、侍女、もしかすれば医師や監視役の兵士も来るかもしれない。もし“中身”が入れ替わっていると悟られれば、この特権階級の身分から即座に排除されるだろう。
そうなれば――上質な食事とは永遠にお別れだ。
《それは困る。非っ常ぉ~に困る!》
当初は、損傷した核細胞が回復するまでの“仮住まい”のつもりだった。
だが、温かなベッド、定期的に供給される食料、安全な屋内環境。
これほど良い条件は、宇宙を巡った経験の中でも最上位に入る。
守りたい、この居心地の良さ。切実に。
《あと、まぁ、約束だからな》
死の淵にあったあの瞬間。
砕ける骨、潰れる臓器、暗転する視界。
その只中で――
――助けて。
声ではない。だが、確かに届いた。
懇願にも似た、悲愴な感情の迸り。
記憶を読めば、クラウディアの抱えていた悲嘆も、怒りも、絶望も、どれも理不尽ではなかった。
むしろ当然だ。
彼女が追い詰められる理由は、いくらでもあった。
明確な契約を交わしたわけではない。
だが、自分が大気圏突入の衝撃で死にかけていたその瞬間、実に都合よく“空いた”肉体。
偶然にしては出来すぎている。
体を提供された側としては、何か一つくらいは返してやるのが筋というものだろう。
幸い、内臓の再構築は成功している。胃も腸も、肝も肺も、すでに正常に機能しているようだ。
このまま寄生を続行する。
この星ではすべての生物を創った“創造神”がいるらしいが、もしそれが本当なら、とんでもなく繊細で緻密な技術を持っているのだろう。
細胞という小さな単位が集合し、それぞれの役割を果たしながらも、統一した動きを持っている。
何かがだめになれば、それを補う何かができる。
確かに超自然的な、上位的存在がいないと説明ができないほどに、複雑でバランスの取れた構造だ。
それらすべてを把握し、再現するのは難しかったが――規則性はあった。
問題は外骨格ではなく――可動部。
ジャスパーは、ゆっくりとクラウディアの腕を持ち上げてみた。
ぴくり、と不自然な角度で肘の少し上が折れ曲がる。
《ああ、違うな》
折れた骨を自分の組織で“接着”しただけなので、本来の関節位置とは微妙にずれている。とりあえず繋げただけの仮止めだ。
《骨の間は、もう少し弾性を持たせるか。固化しすぎると動きが死んでしまうからな》
内部で自らの組織を溶かし、再配置し、再硬化させる。
首も同様に補強する。昨夜は気を抜くと後頭部が背中側にがくりと倒れかけたが、今はそれがない。足も前後左右へと動かせる。
《機能的にはこれで問題ないはずなんだが……なんか違うな?》
立ち上がってみる。
すっ。
一歩踏み出す――が、どうにもぎこちない。
記憶の中のクラウディアは、もっと滑らかだった。
まるで水面を滑る白鳥のように、静かで、無駄がなく、優雅だった。
貴族令嬢は、幼少期から所作を叩き込まれる。背筋の角度、手の高さ、視線の落とし方。
その積み重ねを、昨夜今日で再現できるわけがない。
精一杯、優雅を演じてみる。
結果、かなり不自然な“頑張っている人間”が完成した。
《難易度が高いな……》
そして視線。
人間の視野は前方のみ。横も後ろも、直接は見えない。この視野の狭さでは、危険を回避できない。
ゆえについ、無意識に目玉をぐるぐると上下左右に回してしまう。
さらに安全確認のために首をぐるんと背後へ――鏡の中には、梟のように首を回す令嬢がいた。
《だめだ…これはだめだ…》
深呼吸して、再度挑戦する。
首は前方固定。
目も、なるべく穏やかに。
瞬きも忘れるな。
ぱち、ぱち、と練習する。
さらに難しいのが、表情筋の制御。
眉の角度、口角の上げ下げ、頬の筋肉の緊張。感情を直接出さない“淑女仕様”の顔を再現しなければならない。
喜びすぎても不自然。
無表情すぎても不気味。
怒りを出せば大問題。
《……人間という生物は、顔の筋肉に情報を詰め込みすぎだろう…》
そこで、方針を変えた。
不随意運動、条件反射、細かな姿勢調整――そういった“無意識の仕事”はクラウディアの脳に任せ、自分は上位命令だけを出す。
《立つ》《歩く》《微笑む》
細部はクラウディアの脳に処理させる――“令嬢変換”
これにより、制御負荷は大幅に軽減された。
鏡の前で、ゆっくりと一礼する。
今度は、そこそこ様になっていた。
《よし。合格点だ》
ちょうどそのとき。
廊下の向こうから、かすかな足音が近づいてくる。
規則的で、遠慮がちな歩幅。
朝が来たようだ。
ジャスパーは、穏やかな令嬢の微笑を浮かべたまま――胃袋の奥で、期待を膨らませた。
《さあ、お待ちかねの、朝食の時間だ》
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




