第71話 妖会議
烏の鋭い一声が、静止していた空気を震わせた。
それを合図に、空の妖たちが一斉に羽ばたき、イアポニア全土へ向けて緊急召集の旋律を響かせる。
高い空を滑るように飛ぶ烏たちは、険しい稜線を越え、太古の木々が茂る林を突き抜け、霧深い谷底へと声を届けていく。
ある者は大樹の枝に止まり、ある者は古びた岩の上に降り立ち、あるいは水辺に不吉な影を落として、ただ短く告げた。
――集え。
妖という存在にとって、重苦しい理屈は不要だった。
彼らは何よりも「面白そうなこと」に鼻が利くのだ。
風に乗った噂は瞬く間に伝播し、数日後――イアポニアに棲まう妖各種族の代表が一堂に会する異例の集会が、リァマの地で催されることとなった。
会場に選ばれたのは、山裾にひっそりと佇む古い神社の境内である。
苔むした石段を埋め尽くすのは、岩肌と見紛うばかりの巨躯を持つ山の怪たち。
社殿の屋根には羽持つ者たちが鈴なりとなり、広葉樹の濃い木陰には無数の小さな妖が群れをなす。
石灯籠の背後、あるいは縁の下の暗がりには、正体不明の「なにか」が蠢き、無数の眼光を放っていた。
水の妖たちは場所の都合上、ミヅノタマやカッパ、磯姫など、水陸両用の限られた種族のみが姿を見せている。
それでも、これほど多種多様な異形が一堂に会したのは、この地が大陸と繋がる前の「島」であった時代以来の出来事だろう。
議長席に立った管理人のイブリムが、静かに開会を告げる。
ざわめきが収まるのを待って、クラウディアがゆっくりと前へ進み出た。
その凛とした立ち姿と、迷いのない眼差し。
彼女は感情を排した淡々とした口調で、ゼフィロス王国の内部に巣食う腐敗、刻一刻と迫る戦争の足音、そしてこのイアポニアが直面している政治的窮状を説いていった。
しかし、妖たちの反応は凍りついたように鈍い。
「人間の事情など、我らには関わりのないことだ」
言葉にならない拒絶が、境内の空気を重く支配する。
彼らにとって、この地が王国の一部であるかどうかなぞ、木の葉の一枚が落ちるよりも些細な問題だ。
彼らが良き隣人として共に歩んできたのは、自然を敬う古代イアポニア人であって、合理と私欲に走る王国人ではないのだ。
だが、クラウディアが次に放った一言が、その停滞した空気を切り裂いた。
「……かなり先の話になりますが、この半島は、地殻変動によって消滅します」
ざわめきが、さざ波のように全方位へ広がった。
自然の鼓動と一体である彼らは、本能で知っている。
かつてこの地が孤立した島であり、大陸と衝突して今の形を成したことを。
そして今この瞬間も、足元の巨大なプレートが音もなく沈み込んでいることを。
「半島の形が変わったとき……たとえこの故郷の地を失っても、皆さんがどこででも、胸を張って生きていけるようにしたいのです」
クラウディアの言葉は、一歩ずつ、しかし確実に彼らの心の奥底に染み込んでいく。
「八百万の神を信じ、自然への畏敬を忘れなかった古の民とは違い、今の人間は『異端』を嫌います。ですがそれは、正体を知らぬものに対する純粋な恐怖から来るものです。対話し、互いを知れば、世界はきっと変わる。私は、そう信じています」
そして最後に、張り詰めた糸を緩めるように、彼女は少しだけ柔らかく微笑んだ。
「何より――長く苦しい時代に、イアポニアの文化を守り続けてくれた皆さんという存在を、私はもっと多くの人に知ってほしいのです」
領主である彼女の、まごうかたなき真摯な願い。
しかし、それに冷水を浴びせるような、鋭い声が張り上げられた。
「……そないな綺麗事で、うちらの身ぃを危険に晒せぇっちゅうんか?」
磯姫の澪だ。
上半身は人間だが、下半身の輪郭は陽炎のようにぼやけ、その全身からは絶えず水が滴り、周囲を濡らしている。
透き通るほど青白い肌に、彫刻のような美しい顔立ち。言葉通りの水も滴る美女は、集う妖たちの視線を一身に集めながら、荒っぽく言葉を吐き捨てた。
「それにうち、こういう脅しみたいなやり方は好かんねん。所詮は人間同士の縄張り争いやろ? 人間だけで勝手に始末つけたらええやん。うちらを巻き込まんといてくれる?」
場は一気に凍りついた。
それは感情を排した、紛れもない正論だったからだ。
重苦しい沈黙。
それを破ったのは、泰山だった。
「イアポニアには、俺のようにこの地に根を張って生きる人間もいる。……俺は、出る」
続いて、紋女が煙管の煙をくゆらせながら声を上げた。
「アタシも参加させてもらう。ちょうど腕が鈍ってきたところだし、ひと暴れしたかったからさ」
さらに、屋根の上から涼やかな声が落ちてくる。空の妖の代表、烏だ。
「僕も協力してもいいよ。退屈していたところだし、なんだか面白そうだからね」
有力な妖たちの賛同をきっかけに、境内の空気は一変した。
「イアポニアの外か! どんな珍しい酒があるのか、楽しみだなぁ」
篠吉が太鼓のような腹を叩いて笑う。
「おクラちゃんには、いつも子供の面倒を見てもらってるからねぇ」
「そうさ。恩を返さなきゃ、妖の名が廃るってもんだよ」
妖保育園の保護者たちも次々と名乗りを上げ、会場は瞬く間に喧騒に包まれた。
元来、妖というものは悪戯好きで、お祭りごとが大好き。
そして何より、一度受けた恩には異常なほど義理堅い性質を持っているのだ。
しかし――ただ一人、澪だけが不貞腐れた顔で、その熱狂から背を向けていた。
海藻のように濡れた髪を不気味に揺らし、彼女は冷酷な響きを帯びた声で告げた。
「水の妖は参加せぇへん。半島が消えようが、人間に踏み荒らされようが、うちらには関係ないことや。……うちは名代として、乙彦様から全ての判断を任されてここに居る。せやから、これは水の妖の『総意』やと思ってくれてええよ」
冷たく言い放たれた拒絶は、盛り上がっていた広場の熱を、再び鋭く削り取っていった。




