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寄生悪役令嬢は星間戦争の夢を見るか  作者: エシェリキア梱


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第70話 戦争の部屋


 夜は深く、行灯(あんどん)の火はすでに尽きている。

 クラウディアは自室の座椅子に深く背をもたせかけ、静かに目を閉じていた。

 規則正しい穏やかな呼吸は、端から見れば泥のような深い眠りに落ちたかのようだった。


 だが、その内側――精神の奥底では、異星の知性が(うごめ)いていた。


   ◇


 ジャスパーは記憶の宮殿の回廊を歩いていた。

 そこは幾千の部屋を持ち、クラウディアがこれまでに蒐集(しゅうしゅう)した膨大な知識が整然と書架に並ぶ、静謐(せいひつ)を極めた精神空間だ。


 クラウディアの姿を借りたジャスパーの靴音が、硬質な石の床に空虚に響く。

 何度も訪れ、その隅々まで把握しているはずの場所。

 彼女の記憶は、常に合理的で整然と配置されているはずだった。


 目的は、昼間に起きた不可解な“操縦不能”の原因究明だ。

 乱れた思考のノイズを振り払い、再びすべてを論理の支配下へ収束させる。そのはずだった。


 しかし、その歩みは不意に止まる。


 見慣れた回廊の突き当たりに、これまで存在しなかったはずの、鈍い光を放つ重厚な鉄の扉が現れたからだ。


《……こんな部屋、構築した覚えはないぞ》


 不審に思いながらも、ジャスパーはゆっくりと手をかけた。

 扉が開いた瞬間、静寂の世界は一変し、圧倒的な破壊の奔流(ほんりゅう)が彼を襲った。


 轟音(ごうおん)、黒煙、焼きつくような熱風。

 空は血のように赤く染まり、大地は絶え間ない爆炎に(えぐ)られている。


 逃げ惑う人々。

 泣き叫ぶ子供。

 絶望に声を枯らす母親。

 逃げ場などどこにもない。

 空を裂く光の尾が降り注ぎ、巨大な鉄の鳥が猛火の雨を降らせる。

 石造りの建物は砂の城のように崩れ去り、人間たちが一瞬にして物言わぬ肉塊へと成り果てていく。


 それは、騎士道や名誉などという言葉が介在する余地のない、圧倒的な力による一方的な蹂躙(じゅうりん)だった。


「……『ゲルニカ』よ」


 ――突如、音が、消えた。

 そして不意に、子供の声が聞こえてくる。


 部屋の中央には、先ほどまでの惨状を不気味なモノクロームで切り取ったような、巨大な絵画が飾られている。

 その傍らには、10歳ほどの少女が立っていた。

 黒髪、翠の瞳、細い手足。

 しかしその目は、星一つない夜空のように暗く、空っぽで、無機質にジャスパーを見つめている。


 気がつくと、ジャスパーは元の粘液状の姿へと戻っていた。


「地下図書館で“一緒に”見たでしょう? 古代の戦争を描いた絵を」


 スペイン内戦中、バスク地方のゲルニカがドイツ空軍から受けた無差別爆撃。

 壊れた刀を握る負傷兵、幼子の屍を抱える女性、燃えたり腕が千切れながら逃げまどう人々の姿、傷ついた馬、超然とした牡牛――まさにこの世に顕現(けんげん)した地獄絵図。


「これは過去であり、そして未来。戦争がどれほど愚かで、救いようのないものなのか……貴方なら、身をもって知っているはずよね?」


 突如として、部屋の空間が歪み、変容する。


 そこは、星間戦争の戦場だった。


 宇宙には音がない。爆発の衝撃も、断末魔の叫びも、真空の闇には届かない。

 ただ、無慈悲な光だけが視界を埋め尽くす。

 高度に発達しすぎた科学が産み落とした“星を砕く光”。

 母星は粉々に砕け散り、無数の残骸が闇の彼方へと射出された。


 ――その光の欠片の一つが、自分だった。


(なぜだ……なぜこの光景がここにある? クラウディアの記憶の宮殿に、なぜ俺の故郷の終焉(しゅうえん)が……!)


 激しく動揺するジャスパーの思考を見透かすように、目の前にいる少女――本物のクラウディアが静かに微笑んだ。


「一方通行じゃないの。貴方が私の意識に深く潜るとき、私もまた、貴方の記憶を(のぞ)き込んでいる」


 ジャスパーは戦慄(せんりつ)した。


 あの日、塔から身を投げた彼女は死んだと思い込んでいた。

 いや……そうだ、あの時、瀕死ではあったが、生きてはいた。

 彼女はこの宮殿の最奥で息を潜め、ジャスパーがもたらす異星の知識と、彼が変えていく周囲の環境を“心の糧”として、ゆっくりと、確実に自己を再生させていたのだ。

 コロポックルを救出するために荒れ狂う川へ無謀に飛び込んだのも、湯囃子(ゆばやし)であれほどまでに取り乱したのも、ジャスパーなら有り得なかったこと。

 それらはすべて、クラウディアが心と体のコントロールを取り戻し始めた予兆だったのだ――


「あの夜ね、私、貴方のことを流れ星だと思ったの……星ではなかったけれど、でも、間違いじゃなかった」


 少女の漆黒の瞳に、初めて小さな星のような光が宿る。


「ありがとう。全部、貴方のおかげよ……」


 肉体を共有したことで、不誠実な婚約者に一矢報い、父の不器用な愛を知り、死線を共にする仲間を得た。

 辿り着いたこの地で出会った人間と(あやかし)たちに、凍りついた心は溶かされ、色彩豊かな思い出が彼女を内側から満たしていった。


《そうか……利用していたのは俺ではなく、クラウディアの方だったのか》


 ジャスパーは理解した。


 寄生以降、常に発動していた“令嬢変換”。

 それはジャスパーが身体を効率的に制御するための機能ではなく、彼女が自分らしさを保ちながら、ジャスパーの能力を“クラウディア”として出力させるためのものだったのだ。


 寄生して支配していたつもりが、実際にはまるで臓器の一つのように、ただ利用されていたに過ぎないという事実に、ジャスパーは茫然自失(ぼうぜんじしつ)となった。


《……で、どうする。主導権を取り戻し、俺を追い出す気か?》


「まさか。その逆よ。私は、貴方の『力』が必要なの」


 風景が3度、変転する。


 そこはゼフィロス王国の王都だった。

 しかし、平和な面影はない。


 巨大な火柱が天を突き、堅牢な城壁は瓦礫(がれき)の山と化し、王都の象徴である塔がゆっくりと崩落していく。

 人々が悲鳴を上げる暇もなく消滅していく、凄惨(せいさん)な滅亡のヴィジョン。


「これが、このまま進んだ先にある終焉(しゅうえん)。……でも、異星の知性を持つ貴方なら……戦争を知る貴方なら、きっと、この運命を書き換えられる」


 そう言い残し、少女は霧が晴れるように消えていった。


 次の瞬間、部屋の外に弾き出されていた。

 再びクラウディアの姿を借りたジャスパーの目の前で、重い鉄の扉は音を立てて閉じる。

 回廊には再び以前と変わらぬ静寂が戻った。


   ◇


 座椅子に座るクラウディアが、ゆっくりと目を開けた。


 ジャスパーに、もう逃げるつもりはなかった。

 いや、この複雑怪奇な少女から逃れることなど不可能だと、骨の髄まで思い知らされたのだ。

 やがては完全に取り込まれ、ミトコンドリアと同様、細胞の一部になるのかもしれない。


 もしそうだとしても――


《……いいだろう。どうせ逃げられないなら、どこまでも付き合ってやる》


 あの日、母星を失った自分が、今度は仲間を、子供たちを、この美しい第2の故郷を守れるのなら……。


 ジャスパーは、深い闇の中で静かに決意を固めた。


 ――与えられた未来を、叩き潰すために。


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