第67話 不穏な足音
「これも似合うわ! あと、あちらの反物は?」
リァマの目抜き通りにある呉服屋。
山のように積み上げられた色とりどりの布を前に、クラウディアの瞳はかつてないほど爛々と輝いていた。
店主が次々と広げる絹織物は、深紅、若草、藍、藤色――まるで冬を忘れた花畑が室内に現れたかのようだ。
「クラウディア様……あの、もう、充分いただいておりますので……」
控えめに制止するソーニャの声は、数時間に及ぶ試着の連続で、すでに疲れ果てている。
「ダメよ! ね、店主。他の品は無いの? この娘を最高に輝かせるもの、片っ端から持ってきて」
反対側から、今度はルネが腕を組んで頷く。
「そうねぇ。まだ何か足りない気がするのよ。帯? それとも簪かしら?」
「ルネ様まで……。侍女が着飾る必要はありませんから……もうこの辺で……」
不吉だ悪魔だと忌避される外見を、髪染めと分厚いレンズの眼鏡で隠していたソーニャ。
しかし、妖たちが白昼堂々と闊歩するこのリァマでは、色素を持たない真っ白の髪や紅い瞳程度では、特に注目されることはない。
ありのままの姿で過ごし始めたソーニャだったが、それが最高の素材であることは誰の目にも明らかだった。
「お黙りなさい! 美は正義! 美しい者がその姿に相応しく装って、人の目を楽しませるのは、もはや義務なのよ!」
お手本たる自分を見なさい、とばかりにルネは胸を張る。
こう見えて性自認が男性のルネは、王都では普通に男性用の服を着て、貴公子然として振る舞っていた。
だが絵を描くために各地を放浪するようになってからは、主に女性の衣服を身につけるようになった。
理由は単純。
衣装、装飾、化粧、髪型――女性の装いの方が圧倒的に種類が豊かだったからだ。
言葉遣いも、男言葉より女言葉の方が響きが美しいから使っている。
そんなルネにとって、ダイヤの原石を磨かずにいることなど、美の神への冒涜なのだ。
一方でクラウディアは、真夜中12時に解けてしまうような儚い魔法などとは違う現実的な力、つまり金貨をこれでもかと振りまいて、ソーニャを大輪の花に変身させようと夢中だ。
灰かぶりの少女がドレス姿で眩く輝く瞬間――それは、ある種のカタルシスなのである。
◇
山のような戦利品と共に屋敷へ戻ると、玄関でイブリムが恭しく待ち構えていた。
「クラウディア様に紹介したい者がおりまして、ここでお待ちしておりました」
座敷には、四十路を越えたばかりと思しき、痩せ型で吊り目の女性が座っていた。
いかにも気が強そうだが、クラウディアを一瞥すると、優雅で隙のない会釈をする。
「お初にお目にかかります。行商をしております、紅葉と申します」
イアポニアは閉鎖的な土地だ。
ゆえに、彼女のような者が外の世界へ出て特産品を売り歩き、必要な物資を買い付けて戻ることで、この地の経済は辛うじて成立しているのだという。
「一度外に出ると、なかなか戻れませんので、紹介が遅れてしまいましたが……紅葉は、私の妻でございます」
イブリムが少し照れくさそうに付け加えた。
クラウディアが「確か、奥様は妖だと伺っておりましたが……」と問いかけると、紅葉は不敵に微笑んだ。
「ええ、ご覧の通り。――化け狐でございます」
次の瞬間、彼女がくるりとその場で回ると、そこには黄金の毛並みを揺らす三股の尾の狐が座っていた。
だが瞬時にまた回転し、今度は先ほどとは似ても似つかぬ絶世の美女の姿へと変化してみせる。
玉藻前や葛の葉の例を挙げるまでもなく、古代イアポニアには狐が人に化けた話が多数残っている。
とはいえ、狐の全員ができるわけではない。
一族の中でも、完璧に擬態できるのはわずか1割ほどだという。
変化自体は可能なのだが、耳が残ったり、ふとした拍子に尻尾が出たりと、どうにも可愛らしいことになってしまうらしい。
「紅葉ちゃん、おっ久しぶりー!」
その時、部屋に荷物を置いてルネが戻ってきた。
途端に紅葉の顔がぱっと明るくなる。
「ルネ先生、お疲れ様です! 前にいただいた原稿ですが、闇本屋でもう大変な売れ行きでございます! もちろん、表の方でも最近出した画集が好評を博しておりますよ」
領主であるクラウディアよりも、自分の商売に利のあるルネの方が扱いが丁重だった。
人間の身分など気にしない、いかにも妖らしい合理性である。
「ところで先生、次の新刊の進捗は……」
紅葉が広げたのは、いわゆる“闇本”の注文書だ。
闇本とは、教会の検閲が入ると出版差し止めになる書物の総称である。
過激な春本もあれば、黒魔術書もある。
そして薔薇本(男性同士)、百合本(女性同士)。教会は同性同士の恋愛を認めていないため、それらも闇本の扱いとなる。
もっとも実際には、「おおっぴらには売っていませんよ」という建前を取っているだけで、売買も所持も禁止されていない。本屋の中で表と裏の棚で区分けがされている程度のものである。
ゆえにルネは、表では普通の画集を売り、裏では自分の絵に石蕗の物語をつけた薄い本を出している。
「趣味で描いてたんだけどぉ、これが売れに売れちゃってぇ。今は闇本の方が儲かってるくらいなの! もちろん売り上げは石蕗と折半だけど、それでもかなりいい感じなのよ」
薔薇本は特に貴族の令嬢やご婦人方に人気で、同好の士を示す隠語として“貴腐人”と呼び合うほど、王国内では人気のジャンルとして浸透している。
許されない関係の切ない想いを石蕗が緻密な筆致で語り上げ、そこにルネの美麗なイラストが彩る総合芸術。「物珍しさで手に取ってみただけなのに、どハマりしてしまう底なし沼だった」と、とある貴腐人は語る。
最近の貴族女性の間では、自室の本棚を絡繰式の隠し書棚に改造するのが流行っているらしい。
「とある御令嬢からは、推しキャラの祭壇を作りたいと仰っておりまして。大人気シリーズの桃×金でグッズ展開などいかがでしょう?」
人形、着せ替え衣装、版権料、契約条件――。
商談は大いに盛り上がった。
そして、ひとしきり話が終わった後、紅葉がふと思い出したように言った。
「そういえば、最近、王国内の食品の物価が上がっておりました。私が売るお米も、前は食べ方が分からないのか売れ行きはあまり良くなかったのですが、今回はあるだけ買うという方までおりまして……」
王国では小麦、大麦、ジャガイモ、トウモロコシが主食で、米は主にイアポニアの食べ物だ。
炊き方が難しく、王国では病人用にドロドロに煮てとろみのあるスープとして少し食べられる程度だった。
それを大量購入とは――
「買った人はどんな人かしら?」
「穀物卸商の男です。米だけでなく、小麦や大麦も買い占めてしまって……そのせいで、飢える民が出ています」
「買い占めて、値を釣り上げて、儲けようと?」
クラウディアが問うと、紅葉は首を振った。
「……いいえ。それにしては、動きが妙なのです。“上がりきった値”で、なお買い続けているので」
――儲けではない。
保存の利く穀物の異常な買い占め。
クラウディアの脳裏に、最悪のシナリオが組み上がる。
商売の論理を超えた備蓄――それが意味することは……。
その時、お昼寝から早く目覚めてしまったのか、1人の子供が広間の隅からよちよち歩いてきた。
それは人面牛身の妖、件の子供だ。
だが、その足取りはどこかおかしい。
まるで、見えない何かに“引かれる”ように、真っ直ぐクラウディアの元へ向かってくる。
「せんせい。こわいよ。ねえ」
怖い夢を見たのだろうか。
黒目がちの大きな瞳から涙をこぼし、クラウディアの膝に縋り付く。
彼女が優しく抱き上げると、震える小さな声が耳元で弾けた。
「せんそうが、おきるよ」
件の予言は――外れない。




