第66話 石蕗と幼馴染
広間の隅で、石蕗はパーシヴァルと酒を酌み交わしながら、ふと気になっていたことを尋ねた。
「アニキみたいなカッコいい人が、今まで独身だったのって不思議だよ。結婚しようと思わなかったの?」
パーシヴァルは盃を見つめ、静かに答えた。
「……将軍になったばかりの頃だ。国から褒賞として伯爵令嬢と娶らされた」
武勲により平民から一代限りの騎士へ。さらには将軍、辺境伯にまで出世した。
身分に相応しい品格を身につけるために、礼儀作法や勉学に励んだ。
しかし、生活スタイルも価値観も、生まれながらの貴族とはあまりに違った。
「貴族の結婚に愛なんて無いのが普通だとはいえ、こんな粗野な男と暮らすのは耐えられなかったんだろうな……一年と持たなかったよ」
「そんな……。見る目のない女だな、そいつ!」
「はは、ありがとう。……だから、心配しなくていいぞ」
「えっ?」
「クラウディア様、だろ? あれは、まあ……手のかかる妹みたいなもんだから。俺のことは気にしなくていい」
図星を突かれて顔が茹で上がる石蕗。
一方で、パーシヴァルの横顔は、これ以上の質問を拒むように遠くを見ていた。
(……なら、なぜ湯囃子で、あんな邪魔、したんだよ……)
パーシヴァルの真意は、分からない。
ただ、過去に囚われて未来を諦めてしまうのは――うまく言えないが、哀しいことだと思う。
「あのバカ、やり過ぎだ!」
いつの間にやら鬼相手に飲み比べ勝負をしていたクラウディア。
大盃でポンシュを呷り出したのを遠目で確認したパーシヴァルが、慌てて止めに走っていく。
(アニキ。俺、そんな、鈍感じゃないよ……?)
――いつも冷静な男が、心を乱すのは、ただ一人のためだというのに。
一人残された石蕗が、手酌で酒を注ごうとした時、上から声が降ってきた。
「石蕗、久しぶり! ボッチで手酌酒なんて、あんたらしいわね!」
顔を上げると、そこには緋色の髪の鬼娘、茜が立っていた。
癖の強い髪をベリーショートに刈り、丸っこい鼻にはそばかす。
そして手には大きな徳利。
見るからに元気娘といった風体の彼女は、そのままどかっと石蕗の隣に座った。
「どけよ、そこはアニキの席だぞ」
「いいでしょ。しばらくは戻ってこなさそうよ」
クラウディアから大盃を奪い取ったパーシヴァルは、鬼たちに囃し立てられ、そのまま盃の酒を飲まされていた。
「里に帰ってきたならきたで、声かけなさいよ。水臭いわね」
「なんでお前にわざわざ言わなきゃいけないんだよ」
「あーあ、多少見た目は変わったみたいだけど、根暗は簡単には変わらないのね」
わざとらしく溜息をつく茜は、石蕗の枡に勝手に酒を注いだ。
昔からこうやってちょっかいをかけてくるこの幼馴染のことが、石蕗は苦手だった。
そっぽを向き、早くどこかへ行けという空気を出しても、茜はめげない。
「なによ、その態度。あーあ、あんたみたいな子供と違って、パーシヴァル殿は大人でカッコいいわよねー。ホント、憧れちゃう」
「だろ? 俺もそう思う!」
自慢のアニキを褒められ、石蕗は珍しく身を乗り出した。
あまりに屈託のない同意に、茜は一瞬だけ唇を噛む。
「……そうよ。今、一番女の子から人気あるんじゃないかしら」
「だよな。優しいし、ただ強いだけじゃなくて、なんか大人の余裕っていうか、色気があるし!」
うんうんと、我が事のように満足げな石蕗。
――違う。そうじゃない。
ぐいっと酒を呷り、茜は少しだけ声を震わせた。
「ねえ、石蕗。……あんた、リァマで素敵なお姫様に仕えて、強いアニキに稽古つけてもらって……もう、里のことなんて、どうでもよくなっちゃった?」
それは、茜にとっては精一杯の「行かないで」だった。
だが、酒の回った石蕗には、その震えが届かない。
「何言ってんだよ。里の酒は世界一だし、親父ともようやく話せた。それに、こうして茜のバカ面を見るのも……まあ、悪くないと思ってるよ」
「……バカ面って何よ!」
茜の顔が赤くなったのは、酒のせいではない。
期待して、勝手に突き落とされて。
それでも「悪くない」と言われただけで、胸の奥が温かくなってしまう自分が情けない。
「リァマは人間も妖も一緒にいる町だから、それも楽しいんだ。俺みたいなのでも、役に立ててるかなって思う。里にいた時には、こんな風に思えなかった」
「……そうよ。角だとか、人間だとか、そんなの、関係ないんだからね……」
茜は勇気を振り絞り、石蕗の袖をツン、と引いた。
かつて石蕗は、「角が小さい」「人間とのハーフだ」と陰口を叩かれ、殻に閉じこもっていた。
茜はそのたびに、言い返せない彼に代わって拳を振るい、鼻血を出しながら守ってきたのだ。
今、目の前にいる石蕗は、憧れのアニキの話をして目を輝かせている。
それは嬉しい。
だが――自分自身の価値に、まだ気づいていない。
(あんたに、言ってんのよ……あんたに! 角が無かったとしても、私は――)
だが、石蕗は力強く頷き、無邪気にトドメを刺した。
「そうなんだよな! 茜、お前よく分かってるじゃないか! アニキは人間なのに俺たち鬼を圧倒するあのオーラっていうか、なんかぐっとくる雰囲気あるんだよ。なっ!?」
「………………」
茜は、手に持っていた徳利を叩きつけそうになるのを必死で堪えた。
決死の一言だった。
それだけに、その反応が――痛い。
我知らず視界が滲んだ。
「……もういい! 石蕗のバカ! 鈍ちん! おたんこなす!!」
「わっ、なんだよ急に!?」
ダンダンと足音を立てながら去っていく幼馴染の背中を、石蕗はただ呆然と見送るしかなかった。
「……なんだよ、あいつ。子供の時より怒りっぽいな」
遠くで鬼たちの笑い声が続く。
夜風に乗って、新酒の香りがふわりと舞った。
茜の秘めた想いが石蕗に届くには――どうやらポンシュの熟成よりも、もっと長い時間が必要なようだった。




