第60話 花祭はラブイベント
古代イアポニアにおいて、太陰暦の霜月は特別な時期とされていた。
この頃になると山は霜に覆われ、風は骨身に染み、草木は眠りに入る。人々はそれを、神の力が弱まる季節であると考えた。
神の加護が薄れる時、世界には穢れが満ちる。
病、飢え、狂気、災い。それらが忍び寄るのを防ぐため、人々は祭りを行った。
――それが花祭だ。
花を飾って愛でる祭りではない。
生命が再び芽吹くことを願う、魂の再生の儀式である。
神を招き、穢れを祓い、大地に生気を取り戻させ、そして五穀豊穣を祈る。
この祭りには、他の神事には見られない、奇妙な特徴があった。
祭りの中で最も重要な役割を担うのが――鬼だったのである。
鬼は悪霊を鎮め、大地の邪気を祓う存在。
古代イアポニア人は鬼を恐れながら、同時に敬ってもいたのだ。
かつては人間たちが面を被って鬼を演じたが、今は贅沢にも本物の鬼が務める。
本来は10日間に及ぶ大祭だったのが、妖たちの手に渡ってからは「細かいことは抜きにして、夜通し踊り明かそう」という自由奔放な1.5日間の熱狂へと姿を変えていた。
祭りを1週間後に控え、リァマの町は“花宿”へと変貌を遂げていた。
家々を彩る色とりどりの紙細工“切り透かし”が冬の風に揺れ、町全体がひとつの生き物のように呼吸している。
「……東西南北、配置は完璧ですね」
領主として、そして祭りの総責任者“花太夫”を務めるクラウディアは、舞庭の設営を指揮していた。
屋敷の庭に組まれた30メートル四方の聖域。
その中央には、土造りの竈と巨大な釜が据えられ、真上には5色の紙で飾られた天蓋、湯蓋が吊るされる。
赤鯛、白扇、黒小槌、青瓢箪。四方に配された縁起物が、普段はカオスな妖の町に秩序という名の杭を打ち込んでいく。
一方、祭りの花形である鬼もまた、地獄の特訓に身を投じていた。
鬼族の長である石蕗は、山見鬼、榊鬼、朝鬼という三役を1人で演じ分けねばならない。
「そこ振り付けが違う!」
「足!」
「腰が甘い!」
前任の族長であり、実母の紋女による、容赦のないダメ出しが飛ぶ。
鬼が主役の祭りで、鬼が無様な舞を見せるなど、絶対に許されないのだ。
こんなことなら族長など引き受けなければよかったと、泣き言を並べる石蕗。
挫けそうになると、差し入れを持ったクラウディアが現れて、「頑張ってくださいね」と励まして、にこり。
それだけで石蕗のやる気は爆上がりする。
無論、母である紋女の差し金であり、飴と鞭の使い方とはかくあれという所業であった。
「パーシヴァルの旦那は、祭りの舞には参加しないのかい」
石蕗の稽古の見学に来ていたパーシヴァルに、紋女が聞いた。
「鬼が自ら舞ってくれるんです。人間の俺の出る幕はないでしょう」
「そんなことは無いよ。鬼以外の踊りの方が多いくらいさ」
続けて紋女はパーシヴァルが食いつきそうな餌をちらつかせた。
「泰山も踊るよ。舞には強い体幹が必要だ。武道にも通じるところがあるらしい」
その言葉に釣られ、うっかり安請け合いしてしまったパーシヴァルを待っていたのは、人間なのに紋女以上の鬼となった泰山によるスパルタ稽古だった。
数年かかる所作を数日で叩き込まれ、体力オバケの2人ですら白目を剥きかけた頃、ようやく休憩が入れられる。
日吉が運んできてくれたほうじ茶と羊羹で一息つくと、祭りのクライマックスである湯囃子の話題になった。
「知らないの? 花祭の湯囃子はカップルイベントだって」
花祭は別名、湯立神楽と言われる。
祭りのクライマックスに行われる湯囃子は本来、舞の後に釜で炊いた熱湯を湯たぶさに浸して、観客に振りかけて無病息災を祈るものである。
しかし妖が行うようになって以降、熱に強い鬼にこのやり方はぬる過ぎると過激化した。
現在の湯囃子では、釜に水ではなく溶岩石を入れる。竈にガンガンに火を焚べて、釜の中の石をチュンチュンに熱した後に水をかけると、蒸気が一気に立ち昇って、ただでさえサウナ状態だった舞庭の体感温度が一気に上がる。
更に上空にある蒸気を、湯たぶさを振り回して、観客に浴びせるというのが、妖流湯囃子のやり方だ。
それが更に進化して、この熱波を恋心に見立てて、熱い想いを想い人に届けるという、求愛のイベントになったらしい。
「分かりやすく言うと、こういうイベント!」
紋女がニヤリと笑い、片手で輪を作り、もう一方の指を抜き差しするジェスチャーを見せた。
意味を理解した石蕗の顔が、釜の湯より早く真っ赤に茹で上がる。
「は、破廉恥だよ!神事じゃなかったの?!」
「花祭の花ってのが、新しい生命を象徴するものだから、まあ、コンセプトとしては間違っちゃいないでしょ」
湯囃子で想いが通じたカップルは、そのまま祭りを抜け出してどこかにしけ込むのだ。
“花散らし”“ 花一匁”という言葉が暗に指す内容から言って、古代イアポニアにおいて、“花”が艷事の隠語であることは想像に難くない。
「わざわざ神々を降ろして来てるのに、やることそれなの?」
「昼夜を通して舞手も観客も入り乱れて踊る祭りなんだから、陶酔して他のトコまで盛り上がったって仕方ないって。だいたい、アンタだって、花祭ベビーなんだからね」
「ぐふっ!」
紋女の横で静かに茶を啜っていた泰山が珍しく動揺して咽せた。
常日頃から熱烈に泰山を口説きまくっていた紋女は、湯囃子では泰山が降参するまで熱波を浴びせ続けて、漸く陥落させたのだという。
「暑さで頭が働かなくなるまで相手を追い込んで、ここぞとばかりに体力と筋肉をアピールして迫る。どうだい?鬼らしいイベントだろ」




