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寄生悪役令嬢は星間戦争の夢を見るか  作者: エシェリキア梱


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第59話 荒ぶる神と治水


 コロポックル救出の一件から数日が経過した。


 イアポニア管理事務所の地下にある図書館。

 ひんやりとした空気の漂う長机の上には、もはや机の木目が見えないほどに地図と古文書が山積みされていた。

 その中心で、クラウディアはこめかみを押さえ、紙の上に踊る複雑な等高線と格闘していた。


「川は恵みであり、同時に逃れられぬ災厄でもある……古代イアポニアの民たちは、ずいぶんと気難しい神を相手にしてきたのね」


 彼女が読み解いている『イアポニア』の地形は、大陸のそれとはあまりに異質だった。


 降水量は豊富だが、そのほとんどが急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯に叩きつけられる。

 重力に従えば、水は一気に海へ向かって落下する。

 大陸の悠久たる大河が「静」とするならば、この地の川は「動」。

 もはや巨大な滑り台、あるいは荒れ狂う龍の背だ。


 かつてこの地を統治していた先人たちは、何世代にもわたる年月をかけて、この暴れ馬のような水を飼い慣らそうと足掻(あが)いてきた。

 ダム、(せき)、用水路。

 彼らは自然をただ受け入れたのではない。

 知恵と労働という名の(くさび)を打ち込み、水を貯め、運び、分配する巨大な循環システムをゼロから築き上げたのだ。


 クラウディアは、掠れたインクで記された古代の農耕記録を捲る。


 最初は、一粒の米を実らせるためのささやかな試みだった。

 水田を潤すために川から細い筋を引き、石を積んで(せき)を作る。


 だが、記録が江戸と呼ばれる時代へ移り、都市が爆発的に膨張すると、水はもはや農業だけのものではなくなった。

 百万の人口の喉を潤すための上水道。

 そして生活の垢を流し去るための下水道。


「……けれど、どれほど技術が進んでも、根本的な弱点は変わらなかった」


 クラウディアの白い指が、地図上の川をなぞる。


「イアポニアの川は、短すぎるのよ」


 大陸の河川が数千キロをかけて緩やかに平野を流れるのに対し、この地の川はあまりに勾配が急だ。

 雨が降れば一瞬にして濁流となって全てを押し流し、数日晴天が続けば、川底の石を(さら)して渇きに(あえ)ぐ。


 洪水と渇水。

 水に満ちた国でありながら、常に水不足の恐怖と隣り合わせ。

 なんとも皮肉で、危ういバランスの上に成り立っていた。


 そこで先人たちは、ある種、狂気とも呼べる合理的決断を下した。


「水を、力ずくで貯める」


 巨大なダムで谷を塞ぎ、雨の余剰を巨大な水瓶に封じ込める。

 そして、天が沈黙する季節にその封印を少しずつ解くのだ。


 クラウディアが次に開いたのは、ある一つの河川に関する、ひときわ分厚い記録だった。


「……荒川(あらかわ)


 荒れる川。

 その名の通り、かつての大都市の喉元で何度も氾濫(はんらん)を繰り返した荒ぶる神。


 古代の民は、ついにその神の道筋さえも書き換えることにしたのだ。


 山を削り、広大な土地を掘り抜き、全く新しい水の路を切り拓く。

 それは自然の営みではない。

 人間がその意志で創り出した人工の河口――放水路という名の巨大なバイパスだった。


「人は、川の流れさえ作り替える……傲慢(ごうまん)だけれど、これこそが自然との共存の究極の形なのね」


 水を完全に止めることは不可能だ。

 ならば、その怒りを受け流すための逃げ場所をあらかじめ用意してやればいい。


 彼女は視線を、現在のイアポニアの精密な測量図へと戻した。


 切り立った山々、深い森、蛇行する川。

 先日、コロポックルが呑まれかけたあの支流も、やがて本流へと合流し、海へと続いている。


「水運と治水を両立させる……ふふ、古代のエンジニアたちには、今の私の悩みなんてお見通しだったみたいね」


 イアポニアの水を御しきれれば、物流は劇的に加速し、経済の血流が整う。

 同時に、今回のような悲劇を防ぐ最強の盾にもなるはずだ。


「これから、このイアポニアの血流を正常化させるプロジェクトを始めるわよ」

「……正気ですか」


 背後から低い声が響いた。

 いつの間にか立っていたパーシヴァルだ。


「山を削り、川を作り替える? それは一領主が背負える規模ではない。国家予算を軽く食いつぶす狂気の沙汰だ」


 冷静な、あまりに冷静な指摘。

 だが、その声には、彼女の突飛な発想に対する呆れと共に、どこか押し殺した期待の色が混じっていた。


「それでも、やるのよ。何年かかっても」


 クラウディアは振り返り、迷いのない瞳で騎士を射抜いた。


「目の前で(おぼ)れる命を見て、仕方がなかったと諦めるなんて、私には選べないもの」


 一瞬の沈黙。


 地下図書室の静寂の中で、紙の焼けるような匂いと古いインクの香りが混ざり合う。

 やがて、パーシヴァルが観念したように小さく息を吐く気配がした。


「……でしょうね。貴女は、そういう人だ」


 呆れたように、それでいてどこか誇らしげな響き。


「なら――せめて、その無茶をする時は、俺の手の届くところにいてください。流される貴女を拾い上げるのは、俺の役目だ」


 領主としての義務感を超え、知的好奇心と慈愛に突き動かされる一人の少女として。

 クラウディアは、荒ぶる水の神を飼い慣らすための、壮大なタクトを振り始めた。


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