第56話 匠の里
「いつもいい酒くれて、ありがとうなぁ」
竹切狸の篠吉が、大きな徳利を掲げて破顔する。
変化の術が得意ではないのか、丸い耳とふさふさした尻尾が覗くその姿は、善意をそのまま形にしたような愛嬌に満ちていた。
「こちらこそ。子供たちの『秘密基地』、想像以上の出来栄えで驚きましたわ」
クラウディアは深々と頭を下げる。
当初の依頼は、秘密基地だけだった。
だが、完成したツリーハウスが自分たちの想像以上のものである確信すると、子供という名の暴君の欲望に歯止めが効かなくなったのだ。
「ぶら下がるロープが欲しい!」
「木から木へ飛び移りたい!」
「空中の橋も!」
篠吉が面白がってターザンロープを設置したのが運の尽き――いや、全ての始まりだった。
丸太の吊り橋、網の梯子、樹間を渡る迷路のような足場。
完成したのはハックルベリーも驚愕の、広大なフォレスト・アスレチックだった。
これは篠吉一人の手業ではない。
建材を空輸する一反木綿、風の刃で材木をミリ単位で切り揃える鎌鼬、結合部をしなやかに締め上げて仮留めする蛇帯。
職人の妖たちの総力戦が生んだ、一種の芸術建築である。
クラウディアが酒と共に差し出した金貨の袋に、篠吉は困ったように眉を下げた。
「金貨は食えねえからよぉ。おらぁ、酒の方が、ずっと気合が入るんだが……」
「いけません。卓越した技術には、相応の対価が支払われるべきです。技術の安売りは、未来の職人の首を絞めることになりますわ」
クラウディアの熱弁――それは市で見かけた簪や根付けの精緻さに対する、心からの敬意だった。
その熱量に圧倒された篠吉は、ついに根負けして袋を受け取った。
「おクラちゃんは、モノづくりが好きなのかい?」
「ええ、大好きですわ」
その瞳の輝きを見た篠吉は、弾んだ声で誘った。
「なら、うちの里に遊びに来ねえか? 職人ばっかり集まってる場所でなぁ。若ぇ娘っこが面白いかどうか分からんが……」
「是非に!」
食い気味で即答するクラウディアに、篠吉は思わず吹き出した。
◇
匠の里は、霧が深く立ち込める山の谷間にあった。
清流のせせらぎと、規則正しく響く槌の音。そこには種族を超えた造り手たちが共生していた。
炭焼き小屋からは備長炭がきぃんと金属のような澄んだ音を立て、糸小屋では糸引き娘が絡新婦の吐いた銀糸を魔法のように紡いでいる。
「おーい、若葉ー! お客さんだぞー!」
篠吉の呼びかけに応じ、工房から1人の娘が顔を出した。
ふっくらとした頬、赤ちゃんのような瑞々しい肌、そして父親譲りの穏やかな垂れ目。
父親同様、変化は中途半端だが、その姿は狸というよりは、雪の妖精シマエナガを擬人化したような愛らしさだ。
「はじめましてぇ、若葉と申しますぅ」
のんびりとした、綿菓子のように柔らかい声。
彼女は若き簪職人だった。
「クラウディアと申します。お邪魔いたしますわ」
丁寧に頭を下げるクラウディアに、若葉は慌ててぺこぺこ頭を下げる。
そしてクラウディアの顔を見ると、ぽわっと笑った。
「きれいな人ですねぇ。ふふ。お姫様みたい」
若葉が笑うだけで、周囲の空気が春の陽だまりのように弛緩していく。
日が暮れると、里の中央にある集会所に職人たちが集まり始めた。
無論、酒盛りの始まりである。
芋焼酎を黒千代香に入れて囲炉裏にかける。
黒千代香は火山性の土で作られており、その中には遠赤外線を発生させる成分が含まれている。前割といって、好みの濃度に薄めた焼酎を入れて一晩おくと、角が取れてまろやかな味わいに変化させるというのが通のやり方だ。
今回は前割がないため、入れたての芋焼酎を遠火でゆっくり温める。時間と共に、ふわりと香りが広がっていった。
人肌ほどに温まった焼酎を、香りを楽しみつつちびちび飲む。
囲炉裏には岩魚の串。職人たちは、楽しそうにそれぞれ杯を交わした。
その横で、若葉は、おっとりとした手つきで酒の肴を配っている。
「どうぞぉ、お口に合えばいいんですけど」
若葉が蒸かしたての饅頭のようなふっくらした手で皿を差し出す。
「ありがとうございます」
クラウディアが受け取ると、若葉は嬉しそうに笑う。
少しして若葉は、そっとクラウディアの隣に座った。
「お酒、お強いんですねぇ」
「嗜む程度ですわ」
「ふふ……酒呑みは、みぃんなそう言う」
彼女は小さな布包みを差し出した。
「お土産ですぅ。竹の葉の簪。おクラちゃんに似合うと思って」
「えっ、でも……」
「今日の記念に、取っておいてくださいな」
断る隙を与えない、天然の優しさに包まれた押し。
見ると、それは竹の葉の葉脈まで再現された繊細な金細工で、職人の類稀な才能を感じさせる逸品だった。
心を込めて造られたそれを、クラウディアは大切に受け取った。
宴が深まる中、クラウディアはふと、居並ぶ名工たちに問いかけた。
「……皆様。鋼よりも硬いものを、自在に、かつ美しく切り出す装置を作ることは可能でしょうか?」
職人たちが顔を見合わせ、静まり返る。
「鋼よりもか。うーん……道具の理に詳しい連中が必要だな……。」
篠吉が無精髭の生えた顎を撫でながら、里のさらに奥、深い霧に包まれた区画があることを告げた。
「付喪神たちが集まる場所がある。長年使い込まれ、魂を宿した道具の妖たちだ。あいつらなら、何か知っているかもしれねえ」




