第54話 秘密基地ツリーハウス
勉強の時間。
今日の読み聞かせは、イアポニアの昔話ではなかった。
クラウディアが地下図書館の奥の棚から発掘した、遠い異国の古い物語である。
「今日は少し変わったお話よ。遠い遠い場所の、いたずら好きな男の子の物語」
狐の子、河童の子、鬼の子、そして人の子。
種族の垣根を超えて集まった子供たちは、クラウディアが広げた本に吸い寄せられるように身を乗り出した。
「『トム・ソーヤーの冒険』という物語です」
読み進めるうちに、子供たちの瞳に未知の熱が灯り始めた。
大人の目を盗んだ悪だくみ、地図にない冒険、そして――樹冠に築かれたツリーハウス。
「木の上に家? 落ちないの?」
「どうやって登るの? 蔓を使うのかな?」
質問が矢継ぎ早に飛び交う。
クラウディアはふと、自らの子供時代に思いを馳せた。
幼い頃から分刻みの教育スケジュールを必死でこなす毎日。空はただ遠くにあるもので、自分は鳥籠のように窮屈な天蓋付きベッドの中で膝を抱えるだけだった。
夢の中ですら何かに追われていたあの時には、夢想だにしなかったものが、この物語の中にはあった。
大人の庇護を受けないからこその、本物の自由が。
「そう、木の上のおうち。大人には見つからない、子供だけの『秘密基地』よ」
その響きに、子供たちの本能が共鳴した。
「秘密基地!」
「ほしい!」
「今すぐ作ろう!」
数時間後、屋敷で遊ぶのに飽きた子供達と、心が子供の大人1名は、行動の範囲を街の周囲にある森にまで広げていた。
目的は、自分たちの手による秘密基地の建設。
しかし、子供たちが集めた小枝を蔓で縛っただけの代物は、芸術的ではあっても強度的にはオブジェの域を出ない。風が吹けば、夢と一緒に崩れ去りそうな代物だった。
「……危ないので、俺に基礎を組ませてください」
パーシヴァルが、戦場での防衛陣地を構築するかのような真剣な面持ちで進み出る。
だが、クラウディアは毅然として首を振った。
子供の、子供による、子供のための基地作りなのだ。
「ありがとう。でも、秘密基地に大人が立ち入るのは禁忌よ」
「……貴女はどうなんですか。」
「私は先生だから例外なの。ね?」
子供たちが頷く。
「うん。クラねぇは子供みたいだから。」
「そうそう、大人じゃないから大丈夫。」
妙齢のレディとしては何一つ大丈夫ではないのだが、そう言われて本人は満足げだ。
そこに森の奥から間延びした、しかし確かな自信を感じさせる声が響いた。
「おっちゃんで良けりゃ、手伝うぜぇ。」
現れたのは竹切狸の篠吉だった。
頭には年季の入った笠、肩に鈍く光る使い込まれた鉈。
子供たちが知らない大人の突然の介入に眉をひそめようとした瞬間、篠吉は「そうさなぁ。おっちゃん、竹でこんなん作れるよ。」と、地面に広げた紙に、炭でさらさらと設計図を描き出した。
そこには、木の上の隠れ家、揺れる吊り橋、四方を一望できる見張り台。
子供の冒険心をくすぐる仕掛けが満載だ。
そして――。
「……隠し梯子。これなら、追っ手も登ってこれねぇ。」
子供たちの目が、今度こそ完全に陥落した。
子供たちは顔を見合わせ、そして「作って!」と、満場一致で建築依頼が出された。
報酬は、領主の蔵から持ち出した芋焼酎一本である。
竹という素材は、この星の植生の中でも特筆すべき機能材料だ。維管束鞘には鋼鉄に匹敵する引張強度を持つ繊維が埋め込まれている。
そして篠吉の仕事は、まさに職人芸の極みだった。
森の主のような大木を選び、竹を削り、組む。釘一本使わず、しなやかさと強靭さを兼ね備えた骨組みが、瞬く間に森の重力に逆らって伸びていく。
3日後。そこには、子供の冒険心を具現化したような、正真正銘の“城”が完成していた。
ロープと竹で組んだ吊り下げ式の梯子。中に入って引き上げれば、地上との繋がりは絶たれる。
「すごい!」
子供たちの歓声が木々に反響する。
クラウディアもまた、着物の汚れも気にせず梯子を駆け上がった。
小屋の窓から見下ろす森は、地上とは全く別の表情をしていた。
風が波のように葉を揺らし、鳥の鳴き声が同じ高さで響く。
早速、子供たちは基地の中へ物資を運び込む。
干し芋。吊るし柿。鼈甲飴。くじら餅。
本気で籠城を考えているのか、保存が効くお菓子ばかりだ。
「……子供の頃、こういう場所があったら……」
ぽつりとクラウディアが呟く。
その時、脳裏に奇妙な既視感が走った。
木漏れ日。風が枝を揺らす音。
誰も来ない秘密の場所。
小さな手。笑い声。
こっそり持ち込んだお菓子。
――“知っているはずのない光景”
「あれ、……何か、忘れているような……」
胸の奥が、かすかにざわつく。
懐かしいはずなのに、思い出せない。
思い出してはいけないと、どこかで警鐘が鳴っている気さえした。
だが、その思考は「クラねぇ! 早く来て!」という、子供たちの声に引き戻された。
「今行くわ」
呼ばれた瞬間、胸のざわめきが、すっと引いていく。
既視感は、泡のように消えた。
――まるで最初から存在しなかったかのように。




