第43話 旅立ちの朝
パーシヴァルが鬼の里に到着した翌早朝、烏は「疲れた」と言って、さっさと先に飛んで帰ってしまった。
陸路で戻る一行のため、まだ薄靄の残る山里で、女中たちは慌ただしく立ち働いていた。
干し肉を包み、焼き菓子を油紙にくるみ、替えの衣を風呂敷にまとめる。海宮までは妖の馬を使っても三日はかかる。山を越え、火山帯を避け、西岸へと抜ける長い道のりだ。
道中の食糧と着替えは、荷駄用の馬一頭にきっちりと積み上げられた。
パーシヴァルが、用意された馬に足をかけようとしたその時、ズザザと、何かが横合いから飛んできた。
「うわっ?!」
土煙を上げて着地したのは、さがり、首切れ馬、そして鞍野郎の妖3体。行きに使ったあの妖馬トリオだった。
ぶるる、とさがりが鳴き、首切れ馬は胴体ごと体当たりする勢いで擦り寄り、鞍野郎はぱたぱたと揺れて己の存在を主張する。
「……お前たち」
鬼の里までの旅で、すっかりパーシヴァルに懐いてしまったらしい。このままお供する、と全身で訴えている。
戦場において、騎馬は妻である。
命を預け、死地を共に駆ける存在。主人が倒れれば、馬もまた倒れる。
先の戦で愛馬を失ったパーシヴァルにとって、その絆は軽いものではなかった。
一瞬、何かを思い出すように目を細め、それから柔らかな笑みを浮かべる。
「……共に来るか?」
その一言に、妖馬トリオが狂喜乱舞した。
微笑ましい光景に、一行の空気がふっと和らぐ。
大きな手で3体を順番に撫でてやる。さがりは目を細め、首切れ馬は嬉しそうに地面を蹴り、鞍野郎はぴょんと跳ねた。
《こいつら完全にパーシヴァルを一生ついていく主人だと認識してるな。……特にあの鞍、パーシヴァルの尻の形に合わせて形状記憶合金ばりのフィット感を目指してやがる》
いざ出発という段になった瞬間、再び砂煙を上げて一人の若者が躍り出た。
鬼特有の癖の強い髪を短く刈り揃え、武者姿で立つ長身の青年。
誰もが一瞬、誰だと息を呑む。
ただ2人を除いて。
「石蕗?!」
紋女と泰山の声が重なる。
貧角を隠すための長い前髪が鼻先までかかっていたため、今まで顔立ちが見えていなかった石蕗。
短髪にしたことで露わになった顔立ちは凛々しかった。
切れ長の瞳、通った鼻筋。形の良い唇は決意を現すように、きゅっと引き結ばれている。
その顔立ちは、父・泰山の静かな気品と、母・紋女の野性的な美しさを完璧に調和させていた。
美しい若武者となった石蕗は両親の前に進み、深々と最敬礼する。
「父上、母上。これまでお世話になりました。こんな俺を諦めず慈しんでくださり、本当に感謝しています」
泰山の目が潤む。
紋女は腕を組んだまま、にやりと笑った。
次の瞬間、石蕗はクラウディアの前に膝をつく。
そのまま茶道でいう“真”の礼をとった。
「クラウディア様。突然で申し訳ありません。不肖の身ながら、貴女様にお仕えしたく参上いたしました。何卒、この若輩をご家臣に加えていただきたく」
突然の変貌と申し出に、クラウディアは目を瞬かせる。
「クラウディア様、入れてやっても損は無いと思いますよ。こんなのでも盾くらいにはなりますでしょう」
ルネが肩を竦めながら割って入った。
「もちろん、この命を賭けてお守りします……って、ルネ?お前なんで」
「え? とっくにお抱え絵師に志願してオッケー貰ったからだけど?」
「そんなの一言も――」
「なんでいちいちアンタに断り入れなきゃならないのよ、このヘタレ童貞鬼!あんまり遅いから置いてくとこだったわよ」
「ホントだよ、石蕗。これが無駄になるかと思ったわ」
紋女が広げた半紙には、達筆でこう書かれている。
――御役御免
「……御役御免?」
「アタシ引退すんの。族長」
「はぁっ?!」
「鬼族の長は、一族で一番強い者が務める。で、昨日の夜、アンタが抜いたって泰山に言われた。なら仕方ないだろ?」
「抜くって、昨日は父上にやられただけで……」
「朝まで立ち続けたんだろ? 泰山の本気を喰らって。あれで倒れなかった時点でお墨付きだよ」
そして耳元で囁く。
「鬼族長と陸の妖代表。おクラちゃんの隣に立つ肩書きとしては悪くないだろ?」
石蕗の喉が震える。
紋女の悪戯っぽい囁き。
それは、息子の恋を後押しする親心であると同時に、新領主クラウディアに陸の妖の決定を託す、政治的な援護射撃でもあった。
「ありがとう、母上……」
「ってわけで、おクラちゃん。うちのバカ息子を頼むよ」
クラウディアは、真っ直ぐに頷いた。
「はい」
こうして仕官が決まるや否や、石蕗は厩へ駆け、愛馬を連れて戻る。
九本足の異馬だ。
「坊ちゃま、お気張りなさいませ」
桔梗が差し出したのは、星球の柄頭がついたメイス。
明けの明星の名を冠する武器は、柄を回すと星球の下部から鎖が伸び、フレイルにもなる。
近接戦から中距離攻撃まで、鬼の膂力を破壊力へと変換する凶悪な武器だ。
「父上、母上。行ってまいります」
九本足の異馬に跨った石蕗は、パーシヴァルと並んでも引けを取らない覇気を纏っていた。
《……一人で鬼の里に飛ばされた時は、どうなることかと思ったが》
クラウディアは、自分を守るために集まった個性の塊のような一行を見渡した。
王国最強の騎士、天才(かつ変態)絵師、そして覚醒した鬼の若武者。
見送る視線を背に、黒毛の駿馬と妖馬トリオの2頭は、鋭いいななきで鬼の里に別れを告げた。




