表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寄生悪役令嬢は星間戦争の夢を見るか  作者: エシェリキア梱


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/44

第42話 父と息子


 夕餉(ゆうげ)と入浴を済ませ、泰山(たいざん)が自室に戻ると、文机の上に一通の手紙が置かれているのに気づいた。

 几帳面で、角張った字。


『道場で待つ』


 それだけだった。余白すらきっちりと揃えられたその潔い筆跡に、泰山(たいざん)は小さく息を吐いた。

 癖の強い「止め」と「払い」。それは幼い頃から何度も目にし、そしてここ数年は一度も目にすることのなかった文字だ。

 

 ―― 石蕗(つわぶき)


 泰山(たいざん)は羽織を整え直し、無言で立ち上がった。

 茶室のある東の離れには、武芸のための道場が併設されている。夜の(とばり)が下りた邸内に人気はなく、渡り廊下を進む泰山(たいざん)の足音だけが、やけに重く響いていた。

 (ふすま)を開けると、そこは約40畳の静謐(せいひつ)な空間が広がっていた。天井は高く、むき出しの(はり)が威圧感を放っている。杉の無垢材(むくざい)の上には、すでに柔道用の畳が隙間なく敷き詰められていた。油を含んだ古い木の匂いと、新調された畳の青い匂いが混ざり合う。  

 その中央に、道着姿の石蕗(つわぶき)が正座していた。


 「来てくださり、ありがとうございます……父上」


 父と呼ばれたのは、何年ぶりのことだろうか。

 泰山(たいざん)は一瞬、言葉を失った。


 久しぶりに正面から見る息子は、泰山(たいざん)の記憶よりも遥かに逞しくなっていた。肩幅は広く、首は太い。道着越しにも分かる分厚い胸板。

 紋女(あやめ)は引きこもりだと言っていたが、彼はこの数年、独りで研鑽(けんさん)を続けていたのだ。かつては小さく頼りなかった背中が、今は堂々と畳を支配している。


「久しいな、石蕗(つわぶき)


 情けないことに、それ以上の言葉が続かない。


 幼い頃の石蕗(つわぶき)は、体が弱く、泣き虫だった。

 小さな角をからかわれれば、拳を握ることもせず、涙を零しながら紋女(あやめ)の後ろへ隠れた。

 それは、力と誇りを重んじる鬼の子としては致命的な弱さに見えた。


 だから泰山(たいざん)は、彼に厳しく武道を叩き込んだ。

 剣、槍、徒手格闘――。

 泣こうが喚こうが、石蕗(つわぶき)が立てなくなるまで稽古をつけた。

 だが、厳しくすればするほど、石蕗(つわぶき)の心は殻に閉じこもり、その瞳から光が消えていった。15を過ぎる頃には、彼は自室に(こも)り、筆と紙だけを友とするようになった。


 自分は、やり過ぎたのではないか。

 幾度も自問した。だが、謝ることも歩み寄ることも、この男にはできなかった。この親子を引き裂いている不器用さは、間違いなく泰山(たいざん)自身の血によるものだった。


 石蕗(つわぶき)が深く頭を下げる。


「勝手に何年もサボっていたにも関わらず、突然このようなお願いをして申し訳ありません。その……稽古を、つけてもらえないでしょうか?」


「……理由は?」


 短く問う。


 石蕗(つわぶき)の拳が、畳の上でわずかに震えた。


「卑怯な自分を、叩きのめしたいからです」


 石蕗(つわぶき)が絞り出したその言葉は、道場の静謐(せいひつ)な空気を震わせ、泰山(たいざん)の胸の奥に深く突き刺さった。


「鬼の女は、明け透けで慎みがない。だから俺は、人間の書物に出てくるような、控えめで貞淑(ていしゅく)な女性が理想だと思っていました」


 自嘲の笑み。


「でもそんなものは幻想だと、分かっていた。だから物語を書いた。誰も自分を傷つけない世界を。何もしなくても、理想の女性が自分に好意を持ってくれる、都合のいい話を」


 クラウディアが蔵に現れた日のことを思い出す。


「あの日……ルネのアトリエの蔵に現れた女性は、羽衣を巻いた天女のようでした。罪を背負い、遠くへ追われたと聞いたときは、輝夜姫(かぐやひめ)だと思った。どうせいつか空へ帰ってしまう。ならば、どんな男も平等に叶わない。最初から諦めていれば、惨めにならずに済む」


 だが、迎えに来た騎士は違った。

 石蕗(つわぶき)は拳を強く握る。


「俺は……スタートラインにすら立っていなかった。なのに、ルネに言われて、浅ましくも、期待していた自分に気づいたんです。傷つくことが怖くて、何もできないくせに、彼女が自分の元へ堕ちてきてくれることを」


「叩きのめして、なんとする」


 泰山(たいざん)の声は低い。


「自分の弱さと、真っ直ぐ向き合いたい」


 一瞬の静寂。


「俺はこれまで、自分の弱さを父上のせいにしてきました。角が小さいのも、気が弱いのも、人との混ざり物だからだと。でも、本当は違う。知っていました。知っていたのに、見ないふりをして逃げていたんだ」


 泰山(たいざん)は目を見張った。  

 

 自分もまた、同じだったのではないか。

 鬼の子の父として強くあらねばならぬと焦り、人である自分の血を引く息子に無理をさせた。強くしたいというのは、己の劣等感を打ち消すためのエゴだったのではないか。


 弱さを持つのは、石蕗(つわぶき)だけではない。


「……そうか」


 泰山(たいざん)はゆっくりと道着の袖を(まく)った。


「分かった。それでは始めよう」


 泰山(たいざん)の短い号令と共に、空気が爆ぜた。

 泰山(たいざん)の動きには無駄がない。水が流れるように石蕗(つわぶき)の懐に入り、と、その巨体を軽々と宙へ舞わせ、畳に叩きつける。


「……ぐっ……!!」


 背中を打つ衝撃。肺から空気が強制的に押し出される苦しみ。だが、石蕗(つわぶき)は笑っていた。痛みが、長く停滞していた自分の甘えを削ぎ落としていく感覚。


「まだ……! まだです!!」


 石蕗(つわぶき)は歯を食いしばり、立ち上がる。

 拳、蹴り、肘。容赦のない打撃の嵐。

 骨が軋み、口の中に鉄の味が広がった。

 一切の手加減をしない泰山(たいざん)の攻撃は、望み通り石蕗(つわぶき)を完膚なきまでに打ちのめしていく。その巨体を軽々と畳に叩きつける。


 

 やがて東の障子がわずかに白み始め、淡い光が差し込む頃、最後の投げが決まった。

 石蕗(つわぶき)は畳に沈み、そのまま大の字になった。激しい呼吸。汗が畳を濡らし、湯気が立ち上る。

 だが、その瞳に迷いはもうなかった。


 泰山(たいざん)は静かに息を整え、倒れた息子を見下ろした。


「……ありがとうございました、父上」


 顔を腫らし、満身創痍の石蕗(つわぶき)は、それでも泰山(たいざん)の目を真っ直ぐに見据えて立ち上がった。


 泰山(たいざん)は、自分の道着の汚れを払うこともせず、震える手で石蕗(つわぶき)の肩を強く掴んだ。


「――いい踏み込みだった」


 その言葉は、数年の断絶を埋めるにはあまりに短く、不器用なものだった。

 しかし、石蕗(つわぶき)にとっては、どんな書き慣れた物語の結末よりも美しく、確かな肯定だった。


「……はい!」


 憧れの“天女”は、もうすぐここを発つ。

 道場を出た石蕗(つわぶき)の目に映る朝焼けは、昨日までとは全く違う色に輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ