第39話 騎士のお迎え
家人と使用人すべてが集められた母屋の大広間。畳の敷かれた静謐な空間には、里を支える鬼たちがずらりと居並んでいた。
岩のように巨大な体の者、ほとんど人と変わらぬ姿の者。彼らの視線が一点に注がれる中、クラウディアは洗練された所作で、深く、深く頭を下げた。
「皆様にこれほどお世話になりながら、名を偽り続けていたことをお詫びいたします」
しばしの沈黙。静寂が広間を支配する中、やがて腕を組んでいた紋女が「ふぅ」と重いため息を吐き、肩をすくめた。
「……そりゃあ仕方ないよ。若い女の子がいきなり身一つで、鬼の里に放り込まれたんだ。警戒して当然だろうさ」
彼女はどこか感心したように、クラウディアの佇まいを見つめた。
「だけどなぁ……はぁ。品の良いお嬢さんだとは思ってたが、まさか公爵令嬢だったとはねぇ」
その言葉を皮切りに、広間のあちこちから驚きと納得の混じったざわめきが上がる。クラウディアは寂しげに、しかし清々しく微笑んだ。
「……婚約を破棄され、王都を追われた身です。社交界へ戻ることも、もう叶いません。私には、貴族と名乗る資格などありませんので……」
婚約者に心変わりされたばかりか、濡れ衣を着せられ公衆の面前で断罪されたこと。そして王家の面子を守るための“自主的な追放”。
イアポニアに来るまでの経緯を、クラウディアは掻い摘んで説明した。
語り終えたとき、広間の空気は激変していた。
聞いていた女中仲間たちは、いつの間にか目を真っ赤にし、大粒の涙をこぼしている。
「ひどすぎるわ……」
「おクラちゃんが、そんな目に……っ」
袖で鼻をすする音が、あちこちで共鳴し始めた。
そして。広間がびりびりと震えるほどの怒号が、空気を切り裂いた。
「不誠実極まりない!! 武士の風上にも置けぬ輩め! 天誅じゃぁぁ!!」
桔梗である。彼女はすくっと立ち上がるなり、壁に飾られていた大振りの薙刀をひったくった。
「そうだそうだ! 首を獲りにいくぞ!」
「討ち入りだ! 鬼の怒りを見せてやる!」
男衆も桔梗の勢いに同調し、広間は一瞬にして戦支度の熱狂に包まれた。鬼族にとって、筋を通さぬ裏切りや弱者への理不尽は、最大の禁忌なのだ。
そんな騒乱の中、石蕗だけは、魂が抜けたような顔でぽつりと呟いた。
「……罪を被せられ、僻地へ下る。……輝夜姫みたいだ……」
彼はうっとりと、悲劇のヒロインを具現化したようなクラウディアを見つめていた。
クラウディアは困惑したように笑い、静かに首を振った。
「皆様、落ち着いてください。ユリシーズ様の御心を留め置けなかったのは、私の責です。それに……ここに来られて、皆様に出会えて、私は今とても幸せなのです。あのようなことがあって、本当に良かったとすら思っていますから」
《俺はただ、う⚫︎こを便所に流しただけだ。》
脳内でジャスパーが毒づく。しかし、クラウディアの口からは、あくまで健気で聖母のような言葉として紡がれた。
その余りの尊さに、場はしんと鎮まり、一同は赤ベコのように深く、深く頷いた。
「そうさね。そんなクソみたいな男、クソ女にくれてやればいいさ!」
女中の一人が鼻を鳴らしたその言葉は、奇しくもジャスパーの本音と完璧にシンクロしていた。
「もっといい男捕まえて、見返してやんな!」
「うちの坊ちゃんはどうだえ!?」
桔梗がどさくさに紛れてサブリミナルな売り込みをかける。守護欲に火がついた鬼たちは、もはや朝餉の片付けなど忘れて盛り上がっていた。
その時だった。広間の襖が、爆ぜるような音を立てて開いた。
「クラウディア様!!」
全員の視線が入り口に凍りつく。そこに立っていたのは、泥に汚れ、髪を振り乱し、息を切らしたパーシヴァルだった。
「パーシヴァル様!? どうしてここに……」
彼は返事も待たず、畳を蹴る勢いで駆け寄り、クラウディアの前に膝をついた。その大きな手が、壊れ物を扱うような危うさで、震える指先が確かめるように彼女の頬の輪郭をなぞる。
次の瞬間、クラウディアは視界を奪われ、強靭な腕の中に閉じ込められた。
「……っ、心配させないでください……!」
耳元で響く、尾てい骨を震わせるような低い声。着物越しに伝わる、鎧のような筋肉の熱と、早鐘を打つような彼の必死な鼓動。
あまりの熱量と物理的な圧迫感、そして精神的な動揺に、クラウディアの思考は真っ白に塗りつぶされた。
「……ごめんなさい……」
その光景に、女中たちから黄色い悲鳴が上がる。
「きゃぁぁ! なにこれ、ロマンス小説!?」
「抱きしめたわ! 騎士様が抱きしめたわよ!」
大興奮の広間。その背後で、石蕗だけが絶望的な顔で真っ白く燃え尽きていた。
徐々に我に返ったのか、パーシヴァルは名残惜しげに、ゆっくりとその手を離した。
「……失礼しました。取り乱しました」
耳まで真っ赤になっているのを隠そうと顔を背けたパーシヴァル。
その背後の入り口には、いつの間にか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた黄金の瞳の少年が立っていた。
彼はクラウディアを見ると、「やっほ」と、小さく手を振った。
「烏……あなたがここまで案内をしてくれたの?」
「この騎士様があんまりうるさいからさぁ。まあ、仕方なく?」
烏は肩をすくめ、小さく手を振った。




