第28話 イアポニアの価値
イアポニア領の管理事務所は、リァマの街からほど近い森の中にあった。
街から外れた小道をしばらく進むと、木々の間にぽつりと姿を現す。
石造りの質素な建物で、蔦が壁を覆い、屋根の縁には苔が柔らかく生えていた。派手さは無いものの、長い年月を静かに耐えてきた建物の風格がある。
クラウディアは周囲を見渡した。森は深く、枝葉が陽光をやわらかく遮っている。鳥の声と、遠くを流れる水音だけが聞こえる静かな場所だった。
「リァマの街の中ではないのですね」
クラウディアがそう言うと、イブリムは苦笑する。
「ええ。万が一、王都から視察が来た場合に備えて、隠れ里の中に作るわけにはいきませんでしたから」
建物の中には、古い書棚や机が整然と並んでいた。机の上には紙の束や地図、記録帳が積まれている。長年使われてきた棚らしく、木材の色は深く飴色に変わっていた。イブリムは肩を竦めた。
「もっとも、私の代はもちろん、先代、先々代の管理人の時代にも、ここに視察が来たことなど、一度もありませんでしたがね」
魔界から瘴気が溢れ出ているとされる危険地帯。税収も無い、国の端の捨て地。
王都の役人がそんな場所へ、わざわざ足を運ぶはずがない。
「毎年、報告書を送ってはおりますが、碌に読まれてもいないのでは? おそらくは一瞥もされず、ただファイルに綴じられているだけでしょうな。」
その言葉には、皮肉よりもむしろ諦めに近い響きがあった。
「おかげさまで、国には、この領地の価値について気付かれておりません」
イブリムが床板の一部を外し、「どうぞ」と促す。そこには真っ暗な口がぽっかりと穴を開けていた。
穴の中には螺旋階段がある。暗闇の中、手探りで恐る恐る降りると、その印象は一変した。
イアポニア管理事務所の地下には、広く荘厳な空間が広がっていた。
石造りの回廊。
高い天井を支える柱。
上にある簡素な建物は、この広大な地下空間を隠すための蓋に過ぎないのだ。
「王都へ送る報告書も、上の建物も、中央の役人を騙すための、見せかけのハリボテです」
一階の事務所に置かれた薄い報告書は、中央に提出したものの写しで、誰の目に触れても差し支えのない、ペラペラの偽情報。
だが地下には、代々の管理人が克明に記した分厚い報告書が、年代順・事象別に整然と並んでいる。
火山活動、妖の動向、農作物の収量の推移。どの背表紙も擦り切れるほど読み込まれていた。
「これが、イアポニアの真実の姿か……」
パーシヴァルが、整然と並ぶ年代記の背表紙を見て感嘆の声を漏らす。王都へ送られる嘘の報告の裏で、代々の管理人が命を懸けて守り抜いた、この地の鼓動がそこには記録されていた。
イブリムが机の上に一枚の大きな地図が広げる。それはイアポニア全域の地図だった。
半島は三方を海に囲まれ、中央にはいくつもの山脈が走っている。川は複雑に流れ、湖も多い。平野も点在しており、地形の変化に富んだ土地だ。
クラウディアは地図を眺めながら頷く。
「ずいぶん豊かな地形ね」
「その通りです」
イブリムは指先で山の印をなぞった。
「クラウディア様がご推察された通り、この地で多くの人間の命を奪ったものは、魔界の瘴気などではありません。火山ガスです。王国には活火山がありません。そのため火山活動による現象――地震、噴煙、火山ガス、溶岩。それら全てが、あたかも魔界と繋がったかのように見えたのでしょう」
地図には、いくつもの山が描かれている。
「イアポニアには複数の火山があります。しかし、ここ100年ほど大きな噴火は起きておりません。仮に活動が再び活発化したとしても、海風がガスを拡散させます。影響範囲は限定的でしょう」
クラウディアは腕を組む。
「つまり、この土地は、本当は危険ではない?」
イブリムは頷いた。
「むしろ逆です」
彼の指は再び地図へ向かう。
「この火山こそが、イアポニア最大の財産なのです」
彼は別の資料を取り出した。そこには黒い土の断面図が描かれている。
「イアポニアでは、火山灰が長い年月をかけて降り積もりました。およそ100年で1cmほどのペースです。この火山灰を母材として形成された土壌を、黒ぼく土と呼びます」
イブリムは説明を続ける。
「イアポニアの土地は暗色の腐植層を持ち、水をよく保ち、しかも水はけも良い。農業にとって理想的な土壌です」
クラウディアは地図を見つめた。川や湖など豊富な水源。そして肥沃な土。
「……開拓すれば、王国随一の穀倉地帯になる可能性があります」
ジャスパーは地下に潜る際に手に触れた土を分析した。
《有機物含有量、窒素保持力、リン酸吸収係数……なるほど》
王国内にこれほど肥沃な土壌と温暖な気候を併せ持つ場所はない。
イアポニアの隠された価値の大きさに、部屋が静まり返った。
パーシヴァルもソーニャも言葉を失っている。
「火山ガスは風で拡散し、肥沃な灰だけが降り積もる。……素敵。イアポニアは神の貯金箱というわけね」
この地の持つ価値が、もし王都に知られればどうなるか。
考えるまでもないほど、答えは明白だった。
何かしらの理由をつけて、王家に瞬く間に取り上げられるだろう。
「今後、国へ真実を報告をするつもりは?」
クラウディアの問いに、イブリムは首を振った。
「今までも、これからも。」
その声には微塵の迷いも無かった。
イブリムは逆に、試すようにクラウディアに尋ねた。
「この価値を王家に報告すれば、貴女の地位はたちどころに回復し、王太子妃の座も取り戻せるでしょう……それでも、秘密にされますか?」
その問いに、クラウディアは蠱惑的な笑みを浮かべた。
「ふふっ。あんな腐りかけた玉座のために、この黄金の土地を差し出すほど、私はお人好しではありませんわ。王家には引き続き、汚泥でも啜らせておきましょう」
その力強い拒絶に、イブリムは深く、今度は儀礼としてではなく、一人の臣下として頭を下げた。
「……御意。それでは我々も、全力で貴女を支えましょう」
クラウディアは小さく笑い、そして片目を閉じて言う。
「それでは、引き続き――国には秘密で」
イブリムもまた、小さく頷いた。
森の奥で風が吹いた。窓の外では木々が揺れ、光が葉の隙間で揺らめく。
その静かな部屋の中で、彼らは同じ秘密を共有する共犯者になったのだった。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




