第27話 良き隣人
「失礼ですが、お父上からは、何も?」
「その、父はただ……『良き隣人によろしく』、と」
その瞬間、イブリムは思い切り吹き出した。
「なんと! 公爵様もお人が悪い。何の予備知識も無くこの状況とは……さぞ驚かれたでしょう」
「……はい」
別れ際、ラドクリフが見せた含みのある笑顔を思い出す。
なるほど、このサプライズのためか。
本当に食えない父親である。
おかしくて堪らないといった様子のイブリムは、肩を震わせながら言った。
「“良き隣人”とは、妖精のことですよ」
妖精は知っている。蝶や蜻蛉に似た羽を背中に生やした、神話や御伽話に出て来る生き物。小さくて可愛いらしい外見だが、気まぐれで、悪戯で、時に人間に害を加えることもある。
ゆえに、“良き隣人”というのは、妖精たちの機嫌をうっかり損ねたとしても、どうか悪さをしないでほしい、という願いを込めた呼称らしい。
「……私が知っている妖精とは、随分違うようですわ」
「ええ。神と人間の間にある存在、という意味では近いのですが」
イブリムは静かに続けた。
「遥か昔、古代イアポニアの人々は、山や川、木々、雷、風……あらゆるものに神が宿ると信じていました。人智を超えたものは、善悪では簡単に分けられない。そのため、時に神と呼び、時に妖怪と呼んだのです。この地では、それらをまとめて妖、と呼んでおります」
クラウディアは給仕達を見る。小さな鼠の姿の彼らは、真剣な顔で料理を運び続けていた。
イブリムがクラウディアの視線の先を追い、補足した。
「彼らは衛生に関して、人間以上に厳しいですよ。この地では皆、風呂好きで、毎日入ります。仕事前の手洗いはもちろん、毛一本落とさぬようブラッシングも欠かしません」
そして説明を続ける。
「街までお供したのが“送り雀”。屋敷まで案内した日吉が“猿神”。湯殿にいたのが“水の精”。この街では、妖たちが人間と共に暮らし、働いているのです」
イブリムは遠くを見るような目をした。
「私もここへ来たばかりの時は驚きましたよ。人間より遥かに大きいもの、見目の恐ろしいものもおりますからね。共通しているのは、彼らが人間に対して益になるか災いになるかは、その人間の行い次第、という所です」
「見た目で判断できないということ?」
「ええ。人間にだって善人と悪人がいますが、一見しただけでは分からないでしょう。美しい顔で容易く人を欺く者もいれば、強面で心優しい者もいる」
「ええ……本当にそうね」
クラウディアは小さく頷いた。
ユリシーズの顔が一瞬、浮かぶ。ユリシーズも、見た目は優しげな貴公子だったが、中身はあの通りだ。
イブリムは言った。
「妖たちは義理堅い。恩を受ければ必ず返す。逆もまた然り。彼らはとても純粋なので、その反応が非常に顕著なのです。慣れてしまえば、恩知らずの人間なんかより、よっぽど付き合いやすい連中ですよ」
そう言った彼の目には、少しだけ遠い過去の影があった。
イブリムは29歳の頃、上司の不正を告発したが、その男は上位貴族の息子だった。結果、逆に罪を被せられ、彼はこの地へ左遷された。
他の職員も似たように、欺かれ、故郷をも追われ、行き場を失った者達。
この地で彼らを迎えたのが、妖たちだった。
情を情で返す存在は彼らの傷を、少しずつ癒したに違いない。
「街で人間の姿を見かけましたが、彼らは?」
「流刑者や管理人の子孫もいますが、重税で食い詰めた者も他領から流れてきます」
捨て地イアポニアには税が無い。餓死するくらいなら、とこの地を目指す者は少なくない。
一本道の峡谷には監視がおり、悪人は追い返すが、善き者はこの街へ案内する。そうやってこの地に定着した者には、妖と結ばれる者もいるという。
イブリムは少し照れくさそうに「……実は私もその一人でして」と言った。
彼が妖と結ばれたという告白に、ソーニャが初めて「……生物学的に、生殖は可能、なのですか?」と無機質かつ明け透けな疑問を呈したが、イブリムは笑って「愛があれば、そんなことは些事ですよ」と返した。
「領地の詳しい話は、また明日、改めて管理事務所でご説明いたしましょう。」
妖たちと過ごす初めての夜。
宴は、まだまだこれからだった。
ご覧いただきありがとうございます!
完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




