第24話 隠れ里リァマ
黄昏時、茜と紺が入り混じる空に彩られた街。
行き交う者たちの姿は、王都の常識という物差しでは到底測りきれないものだった。
明らかに異形な者もいれば、一見すると人間と見紛うほどに近い者もいる。
通りの向こうを、牛ほどもある大きな犬が、蹄の音にも似た重厚な足音を立てて悠然と歩いている。その背には幼い子供が二人、まるで慣れた手つきで跨っていた。子供たちは一見すると普通の人間のように見えたが、夕陽に透けたその耳は、驚くほど長く尖っている。
店先では、背中に分厚い甲羅を背負った老人が、縁側に腰を下ろして茶を啜っていた。亀そのもののような甲羅に対し、その顔は深く刻まれた皺まで完全に人間の老人だ。
かと思えば、建物の屋根の上で長い尾をゆらゆらと揺らし、欠伸をしている娘の姿もある。白磁のような肌と流れるような長い髪。遠目には普通の女性に見えるが、その腰からは、ふさふさとした尾が幾本も花開くように伸びていた。
さらに通りの角では、顔の右半分が古木の皮のようにひび割れた男が、八百屋の店主と熱心に値段交渉をしている。
異形。
だが――誰も、それを気にする素振りすら見せない。
人と人ならざる者が同じ街を歩いている。その光景はあまりに当たり前で、逆に現実味を失わせるほどだった。
◇
街の周囲を巡る堀を越えるには、美しい弧を描く木製の眼鏡橋を渡らねばならない。
水面に映る橋の影が二つの円を描き、まるで巨大な瞳が一行を凝視しているかのようだった。
夕闇の端に掛かったその橋は、現世と隠り世を繋ぐ境界線――。
「……別の世界へ、足を踏み入れる。そんな予感がしますわね」
クラウディアが呟き、一行がその幻想的な空気に立ち竦んだ、その時だった。
橋の向こうから、トコトコと乾いた小気味よい音を立てながら、こちらへ駆け寄ってくる影があった。
――猿だ。いや……猿、なのか?
背の丈は130センチほど。全身は細かく艶やかな茶色の毛に覆われているが、その装いは非のうちどころがない紳士のそれだった。
先の尖った革靴を履き、仕立ての良い細身の上着を完璧に着こなし、頭には小さなシルクハットのような帽子まで乗せている。その歩き方は、尻尾でバランスを取る野性のそれではなく、完全に教養ある人間の歩法だった。
猿の紳士は橋の手前でぴたりと止まると、これ以上ないほど流麗な動作で帽子を取り、深々とお辞儀をした。
「お待ちしておりました、クラウディア様。皆様、長旅まことにお疲れ様でございました」
響いたのは、深いテノールの、流暢な言葉だった。発音も、抑揚も、王都の貴族と比べても遜色ない。顔立ちは紛れもなく猿であるのに、その仕草や表情、理知的な瞳は、紳士そのものである。
視覚が捉える獣という情報と、聴覚が捉える知性という矛盾。一行の脳がその処理に悲鳴を上げる中、猿の紳士は穏やかに微笑んだ。
「私は日吉と申します。このイアポニアの町役を預かっております。皆様のお越しを、心よりお待ち申し上げておりました」
日吉と名乗った彼は、胸に手を当て、恭しく頭を下げる。その立ち居振る舞いは、宮廷の侍従長と言われても納得するほど洗練されていた。
一行の中で唯一の常識人枠であるパーシヴァルが呆然と口を開けている一方で、ソーニャは真顔で日吉を観察していた。
「問題ありません。急所も大体人間と同じ位置にあります」
「……確認するな。戦う気か、お前は」
「いえ。クラウディア様の安全を確保するための、いつもの癖です」
ソーニャは淡々と言い放った。
不穏な視線を感じ取ったのか、日吉の肩がほんのわずかにピクリと震えた。
◇
日吉の先導で街へ入ると、クラウディアは道端の灯に目を留めた。紙で作られた繊細なランタンのように見える。
だが、その側面がぱっくりと横に割れ、中からにゅるりと長い舌が伸びた。
提灯は、まるで大きく伸びをするように舌を揺らすと、本体から生えた細い腕を使い、軒先のロープをひょいひょいと綱渡りして、最適な照明位置へと移動していく。
夕闇が迫るこの刻限は、この“提灯お化け”と呼ばれる妖たちにとって、仕事の準備時間であるらしい。
彼らが灯す柔らかな色の光は、どこか懐かしく温かな情緒を街に与えていた。
街は中央から放射状に伸びる大通りと、それを横切る規則正しい碁盤の目によって構成されていた。王都の石造りの建築とは対照的に、風通しが良く、木々の緑と調和した機能美がそこにはあった。
やがて辿り着いたのは、高く堅牢な土塀に囲まれた邸宅である。
重厚な門が開かれ、日吉が手招きをした。
「お屋敷は既に整えてございます。まずは、旅のお疲れと土埃を湯殿にて洗い流してくださいませ」
――疲れを“洗い流す”?
狐につままれたような、あるいは白昼夢の中にいるような感覚のまま、一行は猿の紳士に案内されるがまま荷を下ろした。
そして、通された湯殿。
引き戸を開けると、そこから立ち昇る湯気と檜の香りに包まれた。
その不思議な場所で、一行はその言葉の真意と、この領地が捨て地などではないという事実を、身体の芯から理解することになる。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
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