第21話 山賊の襲撃
王国東部の中央には、空を二つに裂くような巨大な山脈が横たわっている。
白い雲を切り裂く稜線は剃刀のように鋭く、遠目にもその峻険さが伝わってきた。
当初の予定では、穏やかな海風を受ける海岸沿いを南下するはずだった。だが、荒れ狂う海と切り立った崖沿いの細道を馬車で進むのは、自殺行為に等しい。断崖絶壁で風に煽られればひとたまりもない。
進路を変更せざるを得ないことは明白だった。
山脈を西へ大きく迂回――しかし、それではイアポニア到着までに時間がかかりすぎる。
地図と睨み合った結果、標高の比較的低い峠を選び、山越えを敢行することになった。
一行は山道に強い足腰の馬へと乗り換え、荷を最小限に削ぎ落とす。
それでも山越えは、馬の体力と相談しながらの過酷な行軍となった。標高が上がるにつれ、空気は密度を失い、剃刀のような冷たさで肺を刺す。
フルプレートアーマーの戦士ユグドは、途中から馬を降り、自ら手綱を引きながら歩いていた。平地では頼もしい重装備も、この急勾配では鉛の重りでしかない。兜の奥から漏れる荒い呼吸と、首筋に滲む汗が、彼の体力の限界を無言で告げていた。
「ユグド、交代して。限界でしょう?」
ふいに背後から涼やかな声が響く。
馬車から降り立ったクラウディアは、いつもの窮屈なドレスではなかった。
女性用の乗馬服ですらない、動きやすさを重視した騎士服に近い実用的な衣装。高く結い上げた艶やかな黒髪が、高地の風に激しく揺れる。
ユグドは首を横に振り、不敬を承知で拒もうとしたが、痺れを切らしたパーシヴァルによって半ば強制的に馬車の中へと放り込まれた。
結果、馬車に体力限界のユグドと、彼を介抱する侍女ソーニャ。そして前後をクラウディアとパーシヴァルが固めるという、奇妙な護衛陣形が完成した。
「なかなか似合ってるぞ!」
背後からパーシヴァルの快活な声が飛ぶ。
長身で細身の彼女が騎士服で颯爽と馬に跨る姿は、一見して女性には見えない。
王都にいれば今頃、黄色い悲鳴を上げる令嬢たちが後を絶たなかっただろう――
「ずっと馬に乗りたかったの。せっかくの旅なのに、揺れる箱の中に缶詰なんて退屈でしょう?」
クラウディアの腰には、いつの間にか一振りのレイピア。ユグドが脱落することを見越して、あらかじめ準備していたに違いない。
(……いや、これもう護衛対象の行動じゃないな)
パーシヴァルは苦笑しながらも、口元を緩ませる。
山の冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むクラウディアは、心底楽しそうだった。
この3ヶ月間、元将軍であるパーシヴァルに徹底的に叩き込まれた成果は、その安定した騎乗姿勢によく表れている。引き締まった手足、鋭さを増した眼光。
「クラウディア様、もう少し開けた場所へ出たら、野営の準備をしましょう。山の夜は早いですから」
彼女は軽く頷く。
《今日の夕飯は何かな? 鹿か、それとも鳥か?》
ジャスパーが喉を鳴らす。
パーシヴァルの野外料理は、素材の味を最大限に活かす絶品揃いだ。
川魚を即座に銛で仕留め、鳥を百発百中の矢で落とし、手際よく捌く。焚き火の煙さえも調味料に変えるその腕前を思い出し、一行は自然と馬を急がせた。
――その時、鳥の囀りが不自然に途切れた。
茂みがざわめき、空気が重く澱む。
一瞬の静寂の後、道の脇の茂みから濁った怒号が飛び出した。
「ウヒョオ、こりゃあついてる! お貴族様の馬車だぜぇ!」
「男は殺せ! 女と金目のものだけ奪うんだ!」
ワラワラと現れたのは、20人ほどの薄汚れた山賊たち。
だが、彼らが狙った獲物は――この王国で今、最も“ 質が悪い”一行だった。
パーシヴァルは即座に馬から降り、クラウディアの前方へ。右半身の不具合を感じさせない流麗な動きで剣を構える。
本来なら護衛対象たる令嬢は後方へ下がるべき局面。
だが――
「――ちょうどよろしいわ。念願の初陣、ですわね」
レイピアが、冷ややかに鞘を鳴らした。
(このじゃじゃ馬が。後でお説教だな)
パーシヴァルは嘆息しながらも、彼女と背中合わせに構える。
言葉はいらない。
ジャスパーが瞬時に組み上げる高効率の剣の軌道と、パーシヴァルが持つ戦場の勘。2つの異能が噛み合った瞬間、戦いの結末は確定していた。
クラウディアの突きは、喉、関節、急所のみを最短距離で貫く。それは戦闘というより、解剖学に基づいた冷徹な“処理”だった。
「今の動き、いいぞ! 左からさらに3人来る!」
だが山賊も、飢えた獣の執念か。
護衛を引きつける部隊と、物資を奪う略奪班に分かれ、馬車を強襲した。
「キャー!!」
馬車の窓からソーニャの悲鳴が上がる。
次の瞬間、馬車から華やかなドレス姿の人物が転がり出し、山の中へと逃げ出した。
「お宝だ! 逃がすな、いい女だぞ!」
山賊たちが一斉にその“ドレス”に食いつく。包囲が、自ら崩れた。
それが、処刑終了の合図だった。
ドレスを追う山賊の背後から、これまで沈黙していたフルプレートアーマーの戦士が、蹂躙を開始した。戦士の持つブロードソードは、重い鎧を帯びていることを感じさせないほど、素早く、的確に、鋭く急所のみを裂く。
瞬く間に山賊たちが木の枝のように切り刻まれていった。
やがて、山道に再び静寂が訪れた。
「公爵様! ご無事ですか!?」
返り血を浴びた戦士が兜を外しながらそう叫んだ。
兜から零れ落ちる青鼠色の三つ編み。
鎧の中身はなんと、ソーニャだった。
そして、その視線の先にいたのは――
「お……お父様……? お父様なの!?」
クラウディアの絶叫が山々に響く。
茂みの中で蹲っていたのは、ドレスを身につけた、リーベル公爵その人であった。
クラウディアが騎士服に着替える前に身につけていたドレス。それは、今日に限って運悪く、フリルとレースをふんだんに使用した可憐なデザイン。
しかし、けして彼は服に着られていなかった。
齢40。王国随一の美貌――。
その美貌が、完璧に“女装として成立してしまっている”という、娘にとってはある種、最悪の状況であった。
「……すまない、クラウディア。最後まで隠し通すつもりだったのだが……」
フリルの袖で申し訳なさそうに顔を隠す姿は、どう見ても“守られるべき美淑女”そのもので、見る者の混乱を誘う。
彼は娘を見送りに来なかったのではない。最愛の娘を守るため、ユグドという偽名を使い、重厚な鎧の中に身を隠して旅に同行していた。
そして咄嗟の判断で “囮の令嬢”を演じた結果、この地獄の光景が完成してしまったというわけだ。
「私のせいです、公爵様!私が焦って名をお呼びしなければ……」
「いや、君のせいではないよ、ソーニャ。」
公爵は、ドレス姿のまま穏やかに、そして優雅に微笑む。
「パーシヴァル殿も、娘を守ってくれて感謝する……」
山風が冷たく吹き抜ける。血の匂いと、戦いの熱がゆっくりと冷めていった。
王国最強の騎士。
元暗殺者の侍女。
そして――過保護で不器用な父。
クラウディアは、抜いたレイピアを鞘に戻すことさえ忘れ、呆然と父を見つめた。
――この人はどこまで、不器用なのだろう。
沈む夕陽が、ドレス姿で微笑む父を神々しく照らし出す。
山道には、ただ静かな、そして少しだけ複雑な風が流れていた。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
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