第20話 海辺の街
クラウディアの一行はゼフィロス王国を横に突き切る形で、東端の港町に到着した。
「これが、海なのですね……!」
王都の檻を抜けた一行を迎えたのは、潮の匂いと、自由だった。
港には大小さまざまな船が停泊し、帆布がきしむ音や、縄を引く掛け声、荷を運ぶ男たちの怒号が絶えない。
ここからは海岸線に沿って南下しながら、イアポニアを目指す予定だ。まっすぐ東南の進路を取らなかった理由の一つ――それは、新鮮な北の海の幸を楽しむためである。
「美味しい!」
到着早々、市場の屋台で貝の串焼きに齧り付いたクラウディアが、感嘆の声を上げた。炭火の香ばしさと、溢れ出す出汁が口いっぱいに広がる。
王都の洗練された宮廷料理にはない、シンプルな調理ゆえの、命そのものの味。
ジャスパーは、クラウディアの味覚神経から送られてくる強烈な塩分と旨味のパルスを、歓喜と共に処理していた。
屋台飯を立ち食いとは、貴族令嬢としてはあるまじき行為だろう。だが郷に入っては郷に従え、である。それに、この一行はすでに主人の行動に慣れ切っていた。
見た目に反してお転婆な主人が、串焼きを口一杯に頬張っていても、誰も咎めはしない。
内陸から海沿いへ移動すると、空気がまるで違う。湿り気を含んだ風。肌を撫でる潮の匂い。遠くから聞こえる波の音。
海からの距離で、気候はこれほど変わるものかとクラウディアは驚いた。これも書物ではけして得られぬ知識である。
各領地ごとに衣装にも特色がある。
そのためクラウディアは、領地ごとに新しい服を買って着てみることにした。
王都からかなり離れたこの港町では、装いもまた実用的だった。男は漁へ出て、女は市場で魚を売る。ゆえに男女ともに動きやすさが重視される。
港町の街娘の衣装に着替えたクラウディアは感動した。
ドレスは膝丈、袖も短く、腰回りは圧倒的に軽い。
《コルセットが無いとこんなに楽だとは…!》
すらりと伸びた健康的な脚、潮風で少し乱れた結い髪。
その姿は、まるで海神の愛娘が地上へ遊びに来たかのような、奔放で眩い生命力に溢れていた。
そして、初めて見る水平線。
どこまでも続く水の風景に、ジャスパーは圧倒されていた。
《すげー量の水だ!》
水の無い惑星の方が多いというのに、この星の大半は海なのだという。この水は、どこへ繋がっているのだろう。
クラウディアは防波堤から身を乗り出すように海を覗き込んだ。
「ね、パーシヴァル卿。貝がこれほど美味しいんですもの、きっと海の水も美味しいのでしょうね」
「いや、塩辛くて飲めたもんじゃないですよ……って、おい、バカ、あまり身を乗り出すな。落ちたらそれこそ海水の味を嫌というほど知ることになるぞ」
後ろから声をかけたパーシヴァルもまた、この街に馴染んでいた。
港町の男たちと同じように、胸元を大きく開けたシャツ姿。
日焼けした肌、シャツの隙間から覗く厚い胸板。彼が歩くだけで、地元の女たちの視線が吸い寄せられ、空気の温度が上がる。
《これまでは鎧で隠していたが、この男、生物としての『雄』の出力が高すぎるな》
女性からの秋波には慣れっこなのか、気にも留めていない様子。
ナチュラルボーンモテ男のパーシヴァルに少しもやっとしながら、クラウディアは屋台に視線を戻した。
「それより、今度は白身魚のフリットが食べたいわ。あと、エールももう1杯……ああ、うそ、やっぱり2杯ね!」
「はいはい、お姫様。待ってな」
パーシヴァルは肩をすくめた。クラウディアの護衛をユグドに任せ、屋台の方へ向かう。
将軍まで務めた男をパシリに使う令嬢など、そうそういない。だが不思議なことに、パーシヴァルはそれを嫌だと思わなかった。
――むしろ、この距離が、妙に心地よい。
屋台の親父から揚げたてのフリットとエールを受け取り、戻る。その頃にはクラウディアは、貝焼きを5串も平らげていた。そしてすぐにフリットへ手を伸ばす。
「ユグドは?」
パーシヴァルが差し出すと、ユグドはフルフェイスの兜の下部だけをぱかりと開けた。そこからフリットを差し込み、もぐもぐと食べる。
相変わらず謎の食事スタイルである。
北の港町は風が心地よい。だが暑い領地でも、ユグドは頑なにフルプレートアーマーと兜を脱がない。それでもへばる様子はないところを見ると、細身に見えるが体力は相当あるらしい。
そういえば侍女はどこだ、と周囲を見回すと、ソーニャは露店で甘味を仕入れて戻って来るところだった。
(おいおい、まだ食うのかよ)
「んー、おいしー!」
クラウディアは、砂糖を振った一口大のカステラを栗鼠のように頬張る。もぐもぐと咀嚼に合わせて頬がふくらむ。
砂糖が口の端に付いている無防備な顔を見た瞬間、パーシヴァルの胸の中で、ある境界線が音を立てて軋んだ。
(かわい……いや、いかん)
視線を逸らす。
だが一度生まれた感情は、そう簡単には消えない。
冷たいエールで喉の奥の熱を流し込む。
――それでも、目の端で追ってしまう。
「……パーシヴァル卿、顔が赤いですよ? 潮風に当たりすぎましたか?」
無表情な侍女の冷静な指摘に、元将軍は慌てて顔を背けて海を見据えた。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




